自利他利、GiversGainの精神がなければ | パソコン修理の『ゆーもあねっと』®

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名古屋市昭和区菊園町。

 

今日は、一日予定がなかったので、

名古屋市西区にあるソニックプラズセンター名古屋へ遊びに行ってきました。

 

その帰り道、ちょっと思い出の場所をね。

私も一時、名古屋市民だったことがあります。

2011年7月末、もう3度も転職をして、いい加減豊橋では仕事がないなーと思い、

一念発起して、名古屋への進出を図ったんですね。

その時、転職したのが、この場所にあったリサイクルショップでした。

 

 

今では、カーブスになってしまってましたが。

 

どうして、全くの異業種へ転職してしまったかというと、

このリサイクルショップ、リサイクル業界のイメージを変えようと

『リサイクルデパート』という看板を掲げてました。

社長も、営業あがりの超やり手。自分が天下を取るなら、どの業界が良いだろうか研究の末、

選んだのが、リサイクルショップ業界だったそうです。

 

創業して1年も経ってない。

初めて正社員を募集すると言うことで、

私はかつての湯川元専務(かつてのセガ第一号社員)を思い浮かべ、その門を叩いたわけです。

面接の時も色々と話をしましたが、その時社長が示してくれたのが、

今後5年のロードマップでした。

 

それが、まあ非常にワクワクするもので、それが本当に実現するか分かりませんが、

少なくともこのお店のシステムを、本当の意味でシステム化して、FC化も狙ってました。

かなり壮大な計画で、私はそれに賭けようと思ったんですね。

なので、多少アレな労働条件であっても、入社することにしました。

 

 

懐かしいですね。

このお店の全面に、買い取った品物を並べて売ってましたよ。

ホント。

 

利益率やら、回転率、まあ営業さんにありがちな様な計算式を叩き込まれましたね。

でも、そこに確実に欠けていたなと思うのが、お客様への配慮でしたね。

 

「売ったもん勝ち、買い取ったもん勝ち」そんな感じでした。

チラシでは出張査定無料!と謳ってましたが、

社内の方針としては、

「出張した以上、手ぶらで帰ってくるな」でした。

だから、もうどーにかして買取もしくは、廃棄処分でモノを(ある意味で)ぶんどってこなければならない。

私も怒られたくないのでね、必死でお客様を説得(?)してモノを獲得しました。

それこそ、嘘もついていたでしょうな。

 

 

お店のバックヤード。

今はスッキリしてますが、ここに買い取った家具や家電が所狭しと押し込められてました。

お店のキャパは限られているのに、どしどし買い取ってくるのですから、大変です。

私を含めた男衆は買取や配送に回っているので、販売するのはパートさんの役割。

でも、そこまで回転率は良いわけじゃないので、在庫は増えるばかりで、

私はお店のレイアウトも含めていつも頭を抱えていました。

ここに置いてあっても売れるわけではありませんから。

 

これら一連の活動が、本当にお客様のためだったのか、社会のためだったのか?

結局、自分のことしか考えてないんじゃないのか?と思うようになりましてね。

 

インターンシップか、若者の社会復帰支援事業のアレだったか、

ひとり若者を雇ったこともありました。

でも、社長が「使えねぇ」とか、「役に立たねぇ」とか言い放って、

まあ、何だろうな、本当に可哀想な事をしました。

 

また、ちょうと父親ががんを患っておりまして、

早朝出勤、営業時間後のポスティング・・・。

そんなことやっていたら、父親が危篤になっても家に帰れない!と思い、

退職を決意したわけです。

 

社長は私が辞めることがとても悔しかったみたいですね。

でも、しょうがないですよ。

結局は、自分のことしか考えてなかったのですから。

「リサイクル業界で天下を取る」ことは別に悪い目標じゃないと思うんです。

でも、そのためには、お客様、従業員、ステイクホルダーの支持があってこそじゃないですか。

辞めてからもチョイチョイ気になって、ホームページをのぞいていましたが、

それこそ一時は、買取王国と提携して、港区にでっかい店舗を展開したり、

熱田区に倉庫もあったみたいです。

それも、今は日進市の店舗に集約した(せざるを得なかった?)みたいです。

加えて、なんか中古農機具の取扱もはじめたみたいで、岐阜と新潟に店舗があるのだとか。

 

結局、あのロードマップは本当に絵に描いた餅だったみたいですね。

私がいた頃の従業員も、どうやらもういないみたいですし。

やっぱり、今でこそ社長に言えることは、「自利他利、GiversGainの精神が足りなさすぎる」事につきます。

たった3ヶ月でしたが、本当に身に沁みました。

今となっては、この時の経験が反面教師になっていますがね。
そういう意味では、とても勉強になりました。
 
 
 
 
そういえば、私が辞めたあと、
社長の名前が変わっていた(同一人物ですが)のはなぜだったんでしょう。