初めての痛車。 | パソコン修理の『ゆーもあねっと』®

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常に全力でバカをやり社会にとって唯一無二の存在になる。

ネタがなくなると、昔話をするのは、悪いクセ(?)でして・・・。

いや、仕事は忙しいんですよ。

今日も、田原やら西幸やら走り回ってましたから。

見積もりも作らにゃあかんし、明日はBNIのビジネスミーティングだし(笑)

 

ただ、取材をする暇がない(;・∀・)

なので、昔話でお茶を濁すという・・・。

 

 

 

というわけで、本日のお題は『痛車』です。

いわゆる、アニメやゲームのキャラクター、

特に自分が推しているキャラ(嫁とも言う場合も)を使って

デザインしてラッピングしたクルマのことを言います。

 

で、なんで「痛車」と呼ぶのかというと、

『端から見てて痛々しい』からなんだそうです。

そう言われりゃそうですかね。

 

そんな痛車を始めたのは、2009年8月7日。

名古屋の某看板屋さんに施工してもらいました。

それから、マイナーチェンジやデザインを刷新したりして、

どうでしょう、現在はVer.3.1といったところでしょうか(よく分からない)。

 

でも、痛車という言葉はもう少し前から知っていて、

ちょうどその1年前でしたか、中学時代からお世話になっている恩師とのやりとり、

 

「城治君、“痛車”って知ってるかい?」

「イタリア車のことですか?」

 

が初めてでした。

私が知らないと分かると、すぐにググってみなさいと言われ、

そこで初めて痛車というものをみたのです。

 

それをみた瞬間、

 

『自分もやりたい!』

 

と思うようになり、現在に至ります。

 

なので、痛車作りはクルマ選びから始めました。

誰も痛車のベースにしないクルマ・・・。

 

だったら、セダン。

できれば、レクサス!!

 

は、無理だったのでWINDOMに落ち着いたという具合です。

 

そんな私が初めて乗った痛車がこちら。

 

 

 

テーマは『怪物王女』ですね。

 

これもまた、悩みもので、絶対他の人がやらないだろう作品を探してました。

結果、怪物王女だったと。

 

今も、『僕は友達が少ない』ですが、

こちらはどうもちらほらいらっしゃるみたいで。

 

 

 

 

ただ、この頃はデザインをしっかりしてくれる方を知らず、

看板屋さんに、こんな感じでやってくれしか言えませんでした。

だから、やや不満が残る出来映えだったりします。

 

というか、私もどのようにお話ししたらいいか分かりませんでしたからね。

 

 

リアガラスの『seeing and hearing like never before(今までに聞いたことも見たこともない)』というフレーズは

パイオニアのプラズマディスプレイ『KURO』のキャッチフレーズです。

ほら、その下にパイオニアのロゴがあるでしょ?

 

この2つは、この頃からずーっと入れてますね。

 

で、本当のことをいうと、これは最初の痛車ではありません。

Ver1.3といったところですかね。

リアガラスと、トランクの部分を変えてあります。

 

でも故有って・・・

 

 

剥がさなければならないことに。

 

当時、転職して、学習塾に就職が決まっていたのでね、

これで校舎はNGだと。保護者が云々と。

 

 

そんなこんなで剥がしてしまいました。

 

ちなみに今は、あんまり関係ないですかね。

逆にお客様に喜んでもらったりするんで。

それに、私を知ってもらういいきっかけになります。

 

最近、通っているスポーツジムでも言われるんですよ、

 

「あのクルマ(痛車)のにーちゃんでしょ?」って。

 

これをきっかけに、人脈が広がれば、私はどこへでも行きます。

なので、私は痛車に乗っていることに誇りを感じていたりするんですよ。