『want to become』ではなく、『want to be』。 | パソコン修理の『ゆーもあねっと』®

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『将来の夢は何ですか?』

 

小さい頃に一度は聞かれたことがあると思います。

 

今でも、第一生命が毎年『大人になったらなりたいもの』アンケートをしています。

今年は、男の子で「サッカー選手」、女の子で「食べ物屋さん」がそれぞれ1位になったそうです。

 

子どもの頃から夢や目標を持つというのは大切。

なぜならそれに向けて、努力するから。

しかし、歳を経るにつれてその夢や目標がしぼんでいくことも珍しくありません。

 

特に、中学生三年生。

いわゆる“進路”を考えなければならないとき、

そこで明確な答えをだせる生徒はおそらく殆どいないでしょう。

 

子どもの頃に抱いた夢と現実とのギャップがだんだんと大きくなり、そしてあきらめてしまう。

かといって、次の目標は・・・?

なので、結局いける(高校)ところを選んでしまうわけです。

 

しかし、今度は高校三年生の時に、また同じ悩みに落ちるわけです。

そして、やっぱりいけるところ(今度は大学)へ行くわけでしょう?

夢や目標もなしに。

でも、大学は高校と違って、“遊ぶ”ことができます。

自由ですから。

勉学を修めるのも良し、サークルに勤しむのも良し、そして遊ぶことも。

 

さあ、大学四年生。

どこへ就職しますか?何か考えましたか?夢や希望は?

そこで、慌ててエントリーシートを10社も20社も書くわけですよ。

 

中には『就職したくないでござる!!』と開き直って、

大学院へ行ったり、フリーターになったりしてしまうわけです。

 

でも、最終的には何かしら進路は決めなければならない。

先送り、先送りしたツケはいつか支払わなければならない。

 

私もね、そのツケを最近になってようやく精算できたのかなと思ってます。

 

 

では、なぜこの様な結果になってしまったのか。

その元凶は『将来の夢は何ですか?』と思います。

 

何になりたいですか?

サッカー選手、食べ物屋さん、学者・博士、保育園・幼稚園の先生、野球選手、お医者さん・・・

 

結構です。

 

でも、なってどうするんですか?

 

サッカー選手になって、どうしますか?

食べ物屋さんになって、どうしたいですか?

学者・博士になって、何の研究をして、どうしたいですか?

保育園・幼稚園の先生になって、どんな子供をを育てたいですか?

 

結局ね、そこが欠けていると思うんです。

つまり、『○○になって、どうありたいのか?』

 

サッカー選手になって、世界の頂点に立って、人々を湧かせたい

食べ物屋さんになって、おいしいモノを提供して、みんなを笑顔にしたい

学者・博士になって、世の中に役立つ研究をして、人々を幸せにしたい

保育園・幼稚園の先生になって、心優しい子供に育てて、末永く幸せになれるように送り出したい

 

この『どうありたいのか?』が明確であれば、

例えばサッカー選手になれなくても、別の方法で人々を湧かせる事はできるでしょう。

食べ物屋さんになれなくても、みんなを笑顔にする方法はいくらでもあります。

 

結局ね、『○○になりたい』ってのは、ただの通過点なんですよ。

『○○でありたい』という“あり方”に到達するための。

だから、その“あり方”を明確できれば、
『Aになれなくても、Bになることによって、 ○○であり続けることができる』

ので、次の新しい目標を立てることができるのです。

 

中学校になって初めて“進路指導”が行われます。

しかし、そこでの中心は『どこの高校へ行くか?』です。

『将来、どんな人間になりたいか?』つまり『どうありたいか?』という話しました?

 

親子との会話でも同様です。

 

亡くなった私の父親は、当時独立開業してダンプカーの運転手をやってて、

また私が運動が苦手だった関係から、勉強しかないと言われ、

 

「高校は時習館、そして東大へ行って、国家公務員上級職受かって、

建設省に入って俺を使ってくれよ。」

 

と良く言ってました。

そこに、「どうありたい」というのはありません。

 

またあるとき、私が『(豊橋)市長になりたい』と父親に話したことがありました。

「豊橋をもっと良くしたい」という夢があったからでしょう。

 

そしたら、「市長になる近道を教えてやろうか?」と乗ってきました。

 

「高校は時習館行って、東大行って、国家公務員上級職受かって、

自治省に入って、豊橋市に副市長とかで出向して、市長が退職したら、選挙にでればいい」

 

ああ、またこの話か。

 

なので、私はこれ以降、将来について父親に相談することは止めました。

意味がないので。

 

父親は、私が愛知教育大学附属高校へ行ってから、もうこの話をすることはなくなりましたが、

後日聞いたところによると、私を愛教大附属へやったことを後悔したそうです。

 

 

ここで、言いたいことは、父親が求めていたモノは、

結局は『お金』なんですよ。文字通り、『モノ』なんです。

ああみえて、かつて豊橋市で選出された衆議院議員の秘書をやってましたからね。

官僚がどんだけおいしい職業か目の当たりにしているだけに、私にもそうなって欲しかったんでしょう。

天下りとか、退職金とか良く聞かされました。

その話がでる度に私は『そんな夢のない話興味ないわ』って

態度で聞いてました。

 

もしここで父親がね、


「今の日本は○○が問題だ。このままだと日本が危ない。俺がかつて秘書をやっていた××先生も
 その問題に一生懸命取り組んでいた。そこでおまえが官僚になって、この問題に取り組んでくれ!
 そして、日本のために働いてくれ!!」

 

と言われたら、私も真剣に考えたかもしれませんね。

「こんな私でも『日本のために』働くことができるんだったら、官僚になるのも良いかな・・・」って。

 

そこで、初めて努力するんですよ。

官僚になりたい!じゃなくて、日本のために働きたい!!って。

だから、例え官僚になり損なっても、別の方法を探して、日本のために働こうとするでしょう。

 

 

夢や目標として『want to become』(なりたい)と掲げるのは、

それはただの通過点。

本当に掲げなければならないのは『want to be』(ありたい)こと。

職業は、あるべき姿を達成するために、たまたま必要だっただけのことで、

自分のあるべき姿を掲げて、見失わないようにすれば、どんな職業でも関係ないのです。

そして必死になる。努力する。

 

 

自分に問いてみてください。

『自分はどうありたいのか?』