学歴。 | パソコン修理の『ゆーもあねっと』®

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常に全力でバカをやり社会にとって唯一無二の存在になる。

豊橋市立豊岡中学校卒業

国立愛知教育大学附属高等学校普通科入学

国立愛知教育大学附属高等学校普通科卒業

人間環境大学人間環境学部人間環境学科入学

人間環境大学人間環境学部人間環境学科卒業

人間環境大学大学院人間環境学研究科人間環境専攻入学

人間環境大学大学院人間環境学研究科人間環境専攻修了

 

就職活動や転職活動の際、履歴書に記載する学歴。

毎度毎度、発狂しそうになります。

 

特に大学・大学院なんて、「人間環境」という言葉が何度でることやら(12回)。

また、語尾が微妙に違うので、記入をミスった履歴書を破棄すること数十枚。

 

履歴書を書くのが嫌で独立した・・・・・・

ては、冗談のようで本当のハナシだったり。

 

さて、この学歴、私にとっては自慢できるモノでも何でもありません。

 

愛教大付属は、ただ遠くの土地へ行きたかった。

人間環境大学は、他に行くところがなかったから。

大学院は、就職したくなかったから。

 

おまけに高校も、大学も親父が見つけてきたモノで、

私が進んで「(こうなりたいから)ここへ行きたい!」と

希望して見つけたものではありません。

 

だから、大変申し訳ない、受験勉強なんか全くしてませんでした。

ほぼほぼ自然体で受験して受かってしまった(それでも驚かれることかもしれませんが)。

特に大学は、2教科受験がOKだったので、

国語と(当初は数学ⅡA)政治経済で望んだという・・・。

それで合格してしまうのだから、

つまり、大学のレベルとしてはお察しくださいということ。

事実、今の人間環境大学のランキングはF(ボーダーフリー)。

 

通っている学生諸君には、頑張って欲しいものではあるけれど、

彼らは何を以て勉学に励んでいるのだろうか。

 

 

 

よく、『学歴でヒトを判断するな!』という声を耳にします。

もちろん、それはその通りだと思う。

しかし、そういう声を発するヒトは得てして、人間としてどうかと思えるヒトだったり。

私は、学歴というのは、一種の『努力の現れ』だと思う。

東大にしろ、京大にしろ、早稲田、慶応、ハーバード・・・。

誰でもいけるところではない。

やっぱり彼らはどこかで努力している。

その結果が、学歴として残る。

もちろん、努力しても合格できなかった方もたくさんいらっしゃると思う。

でも、彼らは果たして上記のような事を口にするだろうか。

 

だいたい努力もなんにもしないで、

わがままばかり言ってる連中がそういうことを言ってくるんじゃなかろうか。

 

とどのつまり何が言いたいのかというと、

先日学歴詐称で騒がれているK氏の事。

『学歴でヒトを判断するのはよろしくない』と彼を擁護する発言が見られます。

 

私は、逆に詐称された側にとっては良い迷惑だと思うのです。

特にそこの学生・卒業生に立ってみれば。

彼らは一生懸命努力をしてハーバード(など)で学を修めている(た)傍ら、

K氏何も努力もせずに、学歴を騙っている。

これが怒らずにいられようか。

 

K氏は何が悪いのか良くわかってないようですが、

相手の立場に立って考えていただければ、何が悪いのか良くわかるはずです。

 

学歴をただのレッテルとしみてしまうと、本質を失います。

学歴に隠された本人の努力を見抜くことがイチバン大切な事だと私は思います。

 

 

 

 

どとのつまり、私は勉学に関してはあまり努力してこなかった訳ですが(笑)