こう見えても、小学校、中学校のアルバムや成績表はとってあるんですよ。
さらに、小学校5、6年のときの学級通信も。
さすがに原本はありませんでしたので、原本を持っている友達から
コピーさせてもらいましたがね。
小学校時代の学級通信が必要だった理由として、
ノートの作り方があげられます。
当時は「島づくり」と呼んでましたか、キーワードとなる単語を島として、
各島々を、実線、点線などでつなぎ、まとめ上げていく手法です。
ぶっちゃけ、そんな高度な技術をアタシらは小学校の時からやっていたのです。
それが、年を経るにつれてできなくなってしまった・・・。
もっというと、小学校時代のアタシらは、
先生ではなく、アタシらが授業を作っていた。
各自で調べたこと、感じたことを発表しあうことで、
先生が一切しゃべることのない授業を完成させた。
だからアタシが、大学時代に教育実習をやっていたとき、
一番必要なモノは何か?と考えた時、真っ先に頭に思い浮かんだのは、
この学級通信。
あの授業の再現をしようと思ったんですが、やはり無理でした。
でも、あれが本当の授業でしょうね。
なんて、思い出に浸っているのは、その授業をしてくれた
かつての担任に会ってきたんですよ。
今は、豊橋市植田小学校の校長先生。
奇しくも、同じ名字です。
以前から、またお会いしたいと思っておりましたが、
ちょっとしたきっかけがありまして、一念発起、別の中学の恩師とも相談の上、
植田小学校にお電話をして、お会いできることになりました。
お会いした先生は、当時と比べてちょっと頭が薄く、おなかも出ていましたが、
それでも当時と変わらずの語り、雰囲気でした。
私が持参した卒業アルバムを見せると、
「懐かしいなぁ」としげしげとご覧になっておりました。
色々な児童の名前をあげておられましたが、
アタシも友達だったり、友達でなかったりとありましたので、
なかなか答えにくいこともありまして(;^ω^)
そうそう、アタシらが教えを請うていた時は、
結構しばかれ(びんたされ)ました。
今では考えられないことですが、
当時のアタシらは、
『悪いことをしたのだから、当然の報いだ』と
思っていましたがね。
今は、違うんですかね?
それで、指導ができるのか・・・。
もっとも、だったら親がちゃんと指導するべき何ですけどね。
先生もやはりお忙しいらしく、小一時間ぐらいしかお話しできませんでしたが、
非常に有意義な時間でございました。
ちな、帰りにアタシのクルマをごらんいただきましたが、
アタシがWINDOMに乗っているのも、先生が乗っていたからであって、
それもお話ししました。
さすがに、痛車で学校の駐車場に停めることはできませんでしたがね。
ところで、この日の午後はもう1人の恩師にお会いしに今度は青陵中に行ってきました。
中学校1年生の担任でもあり、3年時には学年主任でいらっしゃった先生です。
以前は、西郷小学校の校長と伺ってましたが、今は青陵中の校長になられていました。
青陵中に足を踏み入れるのは初めてなんですが、メチャメチャ広い。
途中、あいさつしてきた生徒に職員室の道を聞く始末でね。
まあいくら校長の元教え子とはいえ、青陵中からすれば完全な部外者ですから、
正面玄関まで来た時には、ちょっと強面の先生が「何者だ?」という剣幕でした。
しかしながら「校長先生に会いに来ました」と告げたら、すんなり通してくれました。
あれはちょっとドキドキしましたが(;^ω^)
先生は、午前中にお会いした先生と違って、逆にお痩せになられたかな?という印象です。
印象として、「ちょっと、丸くなった?」みたいな。
アタシが中学一年生の時の通知表(先生が担任だった時)をお見せしたら、
「確かに俺の字だ」と懐かしくご覧いただきました。
もちろん、こちらも卒業アルバムは忘れませんで、
かつての先生らを指さしながら、今は誰がどこの先生をやっているのか、
こと細かに教えてくださいました。
また、アタシの今の商売に関しても
「ちゃんと、飯は喰っていけるのか?」
と心配してくださり、
アタシの今の近況、facebook、そしてBNのおかげで
みなさまに大変可愛がられております、と告げると安心なさった様子でした。
先生もやはりお忙しい身。
こちらも小一時間ぐらいしかお話しできませんでしたが、
痛車に関しては、ぜひもってこいみたいな感じな事をおっしゃられてね。
青陵中の学園祭の時に、出し物のひとつとして持ってこようかなんて思ったりね。
おふたりとも、お元気だったのはもちろんですが、
やはり、覚えていてくださったことが一番嬉しいですね。
これを機会に、他の先生にも会ってみたいと思います。
手始めに、中学3年生の時の担任、もしくは英語の先生かな?