序章: あなたが知らない、もう一人のスーパースター
19世紀初頭のウィーンを想像してみてほしい。ハプスブルク家の帝都は、音楽の都としてヨーロッパ中にその名を轟かせていた。夜ごと開かれる貴族のサロンや公開演奏会は、熱心な音楽ファンで埋め尽くされ、そこでは一つの激しい論争が繰り広げられていた。それは単なる音楽の好みの問題ではなく、ほとんど思想的な対立に近いものだった。あなたは、燃えるような情熱で音楽の常識を打ち破ろうとする革命家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの支持者か。それとも、優雅さと輝かしい技巧で聴衆を魅了する至高のヴィルトゥオーソ、ヨハン・ネポムク・フンメルの信奉者か。
驚くべきことに、当時のウィーンの音楽界は、文字通り「ベートーヴェン派」と「フンメル派」に二分されていたのである。現代の我々にとって、ベートーヴェンは「楽聖」として揺るぎない地位を築いているが、当時はフンメルこそが彼と唯一比肩しうる存在だった。ピアニストとして、そして作曲家として、フンメルの作品はベートーヴェンのそれと同等に評価されていたのだ。
この忘れられた巨匠、フンメルが遺した唯一の弦楽四重奏曲集、Op.30は、単に美しい音楽というだけではない。それは、この音楽史の転換点そのものを封じ込めたタイムカプセルのような作品群である。古典派の様式が完成の極みに達し、ロマン派の新しい波が押し寄せる、まさにその瞬間に、ベートーヴェンの最大のライバルが放った、鮮烈な芸術的ステートメントなのだ。これらの作品を深く掘り下げることで、私たちは忘れられた巨人の真の姿を再発見し、クラシック音楽が最もダイナミックに変化した時代の空気を、より深く、そしてより豊かに感じ取ることができるだろう。
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第1章: 巨匠たちに磨かれて — モーツァルトのサロンからハイドンの宮廷へ
フンメルの音楽を理解するためには、まず彼がいかに特別な音楽的血統を受け継いでいたかを知る必要がある。彼の経歴は、まるでウィーン古典派の偉人名鑑そのものである。
物語は、フンメルがわずか7歳の時に始まる。彼の並外れたピアノの才能を聴いたヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは深く感銘を受け、この少年を弟子として引き取ることを決意する。それも、単なるレッスンのための通い弟子ではない。モーツァルトはフンメルを自宅に2年間住まわせ、文字通り寝食を共にしながら、自身の音楽のすべてを叩き込んだ *3。多忙を極めたモーツァルトが、このような形で内弟子を取ったのは後にも先にもフンメルただ一人であり、この事実は彼がモーツァルトの正統な後継者であったことを雄弁に物語っている。
フンメルの師事歴はモーツァルトに留まらない。対位法をアルブレヒツベルガー(ベートーヴェンの師でもある)に、声楽作品をアントニオ・サリエリに、そしてオルガンをかのフランツ・ヨーゼフ・ハイドンに学んだ。これは、当時のヨーロッパで考えうる最高の音楽教育を、その源流から直接受けたことを意味する。
このような盤石な教育を経て、フンメルはまずピアニストとしてヨーロッパ全土にその名を轟かせた。彼は当代随一のピアノ・ヴィルトゥオーソと見なされ、その演奏は一つの時代の基準となった。彼の演奏スタイルは、モーツァルトから受け継いだ優雅さ、透明性、そして完璧な技巧に裏打ちされたものであった。その影響力の大きさは、ベートーヴェンの弟子であったカール・ツェルニーの言葉からも窺い知れる。ツェルニーは、ベートーヴェンの作品を深く敬愛していたにもかかわらず、ピアノ奏法に関しては自らを「フンメル派」であると公言しているのだ*(ツェルニーの回想録より)。これは、フンメルのピアニズムがいかに当時の音楽家たちを魅了し、一つの流派を形成するほどの力を持っていたかを示す、何よりの証拠である。
フンメルの出自は、単に有名な師匠のリストを並べること以上の意味を持つ。彼は、ウィーン古典派という音楽様式の「熟知者のトップ」だった。彼はそのスタイルを学んだだけでなく、その創造主たちから直接、本質を受け継いだのである。この背景を理解することは、彼の弦楽四重奏曲Op.30を正しく評価する上で不可欠である。これらの作品は、決して時代遅れの模倣ではない。それは、自らが体現する偉大な伝統の力と洗練を、最高の権威と正統性をもって証明しようとした、一人の巨匠による 見事な実践なのである。
第2章: 二人の巨人の物語 — ウィーン弦楽四重奏論争
1804年頃のウィーン。この時期、弦楽四重奏曲は単なる室内楽いちジャンルではなく、作曲家の最も深く、知的な思索が込められる「至高のジャンル」としての地位を確立していた。イタリアの作曲家カンビーニが1804年の音楽雑誌記事で「弦楽四重奏の演奏こそが音楽生活の最高の形態である」と述べたように、このジャンルは音楽界の知的な頂点と見なされていた。ハイドンの弦楽四重奏曲全集が出版され、その音楽が「古典」として定着し始めたのもこの頃である*4。
この知的な戦場に、ベートーヴェンは1801年に出版された弦楽四重奏曲集Op.18をもって殴り込みをかけた。これらの作品は、ハイドンやモーツァルトが築いた古典的な形式を尊重しつつも、それまでの室内楽にはなかった激しい感情の起伏、大胆な和声、そしてドラマティックな構成を盛り込み、音楽界に衝撃を与えた。それは、新しい時代の到来を告げる挑戦状であった。
そして1804年頃、フンメルがこの挑戦に応えるかのように発表したのが、3曲からなる弦楽四重奏曲集Op.30である。これがベートーヴェンのOp.18に対する直接的な「返答」であったかどうかについては、研究者の間でも意見が分かれている *2。しかし、フンメルがこの作品群をベートーヴェンと同じパトロンであったロプコヴィッツ侯爵に献呈している事実は、彼が同時代の聴衆にベートーヴェンとの比較を意識させていたことを示唆している。
この二人の巨匠の弦楽四重奏曲は、単なる作風の違いを超えた、音楽の未来像をめぐる根本的な思想的対立を象徴していた。それは、当時のドイツ語圏の音楽界を二分した「保守派」対「進歩派」の論争そのものであった。
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フンメルの立場: 彼は、ハイドンとモーツァルトが完成させた古典派の音楽言語が、依然として無限の表現可能性を秘めた完璧な器であると信じていた。彼の目標は革命ではなく、その偉大な伝統を、さらなる優雅さ、機知、そして洗練の極みへと発展させることにあった *5。
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ベートーヴェンの立場: 彼は、旧来の形式は自らの革命的な思想を表現するにはもはや不十分であり、「根こそぎ」改革する必要があると感じていた。
この思想的対立の舞台として、弦楽四重奏というジャンルが選ばれたことは極めて重要である。それは、このジャンルがもはや貴族のサロンを彩る娯楽音楽ではなく、音楽における最も真剣な知的表現の場となっていたからだ。主にピアニスト兼作曲家として活動していたフンメルが、ベートーヴェンのOp.18発表直後に、キャリアを通じて唯一となる弦楽四重奏曲を作曲したという事実は、彼がこの戦いの重要性を深く理解していたことを示している。彼は、音楽界で最も権威ある闘技場に足を踏み入れ、自らの音楽的信条を賭けた、最も真摯な主張を行おうとしたのである。
第3章: 耳で旅するOp.30 — 3つの四重奏曲への招待
フンメルの天才性を真に理解する最良の方法は、彼の音楽に耳を傾けることである。ここでは、専門用語を避け、それぞれの曲が持つ個性や魅力に焦点を当てながら、Op.30の3つの弦楽四重奏曲を巡る旅へとご案内しましょう。
第1番 ハ長調 — 優雅なる反論
この曲は、3曲の中で最もベートーヴェンのスタイルを意識した作品と言えるだろう。フンメルがライバルの土俵に上がり、しかしあくまで彼自身の優雅な流儀で勝負を挑んだ、聴き応えのある一曲である。
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第1楽章 (Adagio e mesto - Allegro non troppo): 曲は、重々しく物憂げな短調の序奏で始まる。これは、当時のベートーヴェンが得意とした、聴き手の意表を突くドラマティックな手法である。しかし、その緊張を破って現れる主部は、闘争的ではなく、あくまで伸びやかで親しみやすい。フンメルが苦悩よりも気品を重んじる作曲家であることが、この対比から鮮やかに浮かび上がる。
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第2楽章 (Menuetto, allegro assai): このメヌエットの聴きどころは、下降と上昇を繰り返す半音階的なパッセージである 2。一度聴いたら忘れられない独創的な旋律で、フンメルの発明の才が光る、遊び心に満ちた楽章だ。テンポが速いためスケルツォともとれる。
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第3楽章 (Adagio cantabile): この楽章は、全3曲の中でも白眉の美しさを誇る。長く、息の合った旋律がゆったりと歌われ、そこには師モーツァルトの面影が色濃く感じられる 2。純粋な旋律の美しさに心ゆくまで浸ることのできる、至福の時間である。
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第4楽章 (Allegro vivace): 最後は、ハイドンを彷彿とさせる、機知に富んだ快活なフィナーレで締めくくられる。ベートーヴェンのように拳を振り上げるのではなく、軽やかな笑顔で幕を閉じる点に、フンメルの個性が表れている。
第2番 ト長調 — 田園の魅力と燃える魂
この曲でフンメルは、ベートーヴェンではなく、オーストリアの民俗的な伝統とハイドンの偉大な遺産に目を向けている。生命力と魅力にあふれた、独創的な一曲である。
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第1楽章 (Allegro con brio): 力強い和音で始まるが、続く旋律は快活で、後期古典派の洗練されたスタイルで書かれている。躍動感に満ちた楽章だ。
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第2楽章 (Andante grazioso): 優美な主題が、チェロの奏でる長く流れるような伴奏の上で繊細に歌われる。気品あふれる静けさのひとときである。
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第3楽章 (Menuetto, allegro con fuoco): この曲のハイライト。ハイドン風の、情熱的で力強いメヌエット。しかし、真の魔法は中間部(トリオ)にある。ここでは、他の楽器がピチカート(弦を指で弾く奏法)でリズムを刻む中、第1ヴァイオリンが「素晴らしいオーストリアのレントラー(民俗舞踊)」を歌い上げる。やがて第2ヴァイオリンも加わり、まるで村の楽団の素朴で温かい響きを聴いているかのような、魅力的な情景が広がる。
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第4楽章 (Finale, Vivace): どこか切迫したエネルギーに満ち、息つく間もなくゴールへと駆け抜けていくフィナーレ。スリリングで華やかな終曲である。中間部ではヴィオラの活躍が目立つ。
第3番 変ホ長調 — 伝統の再創造
3曲の中で、最も未来を見据えた野心的な作品かもしれない。モーツァルトとハイドンの様式を土台としながらも、次世代の音楽を予感させるユニークな試みが随所に見られる。
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第1楽章 (Allegro con spirito): 冒頭、聴衆の度肝を抜くような2つの強烈な和音で始まる。その後に続くのは、ユニークなチェロの足踏みに続いて聞こえてくるのは、どこか妖艶な半音階的旋律とハイドンを思わせる明朗な第2主題との対比が鮮やかな音楽である。モーツァルトがハイドンに捧げた弦楽四重奏曲群や、ハイドン自身の後期の作品のスタイルを深く消化していることがわかる。
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第2楽章 (Andante): 美しい緩徐楽章。その様式はモーツァルトの有名な「不協和音」四重奏曲の、バロック音楽の影響を受けた緩徐楽章にルーツを持つと思われる。この楽章では、フンメルが古い対位法の技法を復活させることに関心を持っていたことも窺える。
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第3楽章 (Allemande e alternativo): 実に独創的な楽章である。フンメルは伝統的なメヌエットやスケルツォの代わりに「アルマンド」という舞曲を選んだ。しかし、これは優雅なバロック舞曲ではない。大地を踏みしめるような、重厚で力強いドイツの踊りである。ある評者が「ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのいずれにも全く似ていない」と評したように、完全に独創的な音楽だ。中間部では、より軽快で速い別のドイツ舞曲が奏される。
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第4楽章 (Finale, Presto): まるで障害物競走のような、陽気でスリリングなフィナーレ。その無尽蔵のエネルギーと歌心は、次世代の偉大な作曲家、フランツ・シューベルトのフィナーレを驚くほど予感させる。
第4章: 星の光の薄らぎと、現代のルネサンス
フンメルほどの地位にあった作曲家が、なぜ長い間、音楽史の脚注のような存在に甘んじてきたのだろうか。その理由はいくつか考えられる。
第一に、彼の名声は主にピアニストとしてのものであり、演奏という芸術は録音技術のない時代においては、その場限りで消えゆく運命にあった。第二に、彼は19世紀の作曲家の偉大さを測る最大の指標となったジャンル、すなわち交響曲を作曲しなかった。そして最も決定的な理由は、音楽史の潮流が、最終的にベートーヴェンの方向へと大きく舵を切ったことである。ベートーヴェンが切り開いたロマン主義の激しい自己表現が時代の主流となるにつれ、フンメルの洗練された古典主義は「保守的で当たり障りのない」ものと見なされるようになってしまった。多くのピアニストや19世紀初頭の音楽家たちのみならず、メンデルスゾーンやショパンといったの次世代の大音楽家たちまでもがフンメルを崇拝していたが、これらは後世のドイツ音楽史(日本の音楽教育もこれに倣っていた)には取り上げられることがなかったからだと思われる。
フンメルの音楽史における後退は、歴史がいかに「交響曲中心主義」で語られてきたかを浮き彫りにする。19世紀を通じて、交響曲(そしてその絶対的王者としてのベートーヴェン)が作曲家の評価を決定づける至上のジャンルとされた。その結果、ピアノ協奏曲や、古典的な優雅さを本質とする室内楽といった他のジャンルで類稀な才能を発揮した作曲家たちは、必然的に一段低い評価に甘んじることになった。フンメルの再評価は、この偏狭な歴史観を乗り越え、19世紀に共存していた多様な音楽の天才性を正当に評価しようとする、より健全な動きの一部なのである。
幸いなことに、近年、フンメルの音楽への関心は着実に高まっている。新しい楽譜の出版や、意欲的な演奏家たちによる録音が増え、彼の真価を現代の耳で再評価する機運が生まれている。
この素晴らしい音楽への入り口として、この3つの弦楽四重奏曲の具体的な一枚を推薦したい。イギリスのデルメ弦楽四重奏団によるHyperionレーベルへの録音は、長年にわたりこの曲集の決定盤として高く評価されてきた。彼らの演奏は、「生命力と精神」にあふれ、「ユーモアと哀愁」を巧みに描き分け、フンメルの音楽が持つ気品と深い感情を見事に表現していると絶賛されている。まずはこの録音で、フンメルの世界の扉を開けてみることを強くお勧めする。
第5章:なぜ今、フンメルを聴くべきなのか
ヨハン・ネポムク・フンメルの弦楽四重奏曲Op.30は、歴史の中に埋もれさせておくにはあまりにもったいない、魅力に満ちた傑作群である。それらは「優雅で創意に富み」、決して難解ではなく「耳に心地よく」、そして「気取りのない爽やかさ」を持っている。機知に富み、職人技に裏打ちされ、そして何よりも美しい。
しかし、これらの作品を聴く価値は、単なる心地よさだけではない。フンメルの音楽は、私たちに音楽史の豊かな複線性を教えてくれる。モーツァルトとハイドンが完成させた古典派音楽からの道は、ベートーヴェンが示した革命の道だけではなかったのだ。フンメルの音楽は、偉大な伝統が終わるのではなく、至高の自信と優雅さをもって進化し続けた、もう一つの未来の音なのである。
さあ、1804年のウィーンでの演奏会シーンに時を遡り、この偉大な論争にあなた自身の耳で参加してみてほしい。そして、ベートーヴェンという巨人の影に隠れた「もう一人の巨人」、ヨハン・ネポムク・フンメルの忘れられた天才性を発見してほしい。この音楽を、「ベートーヴェンではないもの」としてではなく、「フンメルであるもの」として聴くとき、あなたはきっと、音楽史の最も刺激的な瞬間に生まれた、ユニークで美しい声の虜になることでしょう。
補足:今回のプログラミングについて
さて、偉そうに評論家っぽいことを述べてきましたが(論調もw)、今回の打ち込みについての説明をします。
打ち込み自体はDorico 5 pro を使用してますが、音源はNote Performer 5を使用しています。この音源の良いところは譜面制作で再生用音楽を作ろうと思うと、使用音源によって楽譜とはかなり違うアーティキュレーションを設定していかなければなりませんが、この音源では「ある程度」まではAi判定でバランスをとってくれます。ただ、テンポは細かく入れていますし、表情や強弱も変えてはいますが、弾き方による設定の変更などの手間が省けることがメリットです。
デフォルトでは50%のリバーブを10%まで下げて乾いた音にして、できた音をDawアプリに持っていき別のリバーブをかけています。今回は天井の高いヨーロッパの石造りの空間の部屋でごく近くで聞いている雰囲気にしました。
映像はDoricoの再生画面のキャプチャーのままですので、どの程度指示を出しているかがわかると思います。もちろん、オリジナルのスコアとは違う指示やアーティキュレーションがありますのでご理解ください。