Anton Reicha : Flute Quartet in e-minor, Op.98 No.4 (or No1)
過去の堆積物というものは、まるで永久凍土のようにカチカチでどうにもならないものだ。かつて亡き両親の遺品整理を実家に行くたびに自分では精力的にやったつもりだったのだが、結局やり切れなかった。特に本人たちが大事にしまい込んでいた物の中から形見としていくつかを選んだあとは膨大なガラクタの山だったのだ。水面下の氷山の大きさにも例えることができた。だから断捨離や身辺整理をして自分にとって最良のものだけを残そうと思うのだが、自分が死んだ途端にそれらの物ですらつまらないガラクタと化すのは明らかだ。あの世には何も持って行けないのだし。
ベートーヴェンと同い年のアントン・ライヒャ(レイハ)(Anton Reicha, 1770-1836) は管楽器の特性を生かした作曲にすぐれ、木管五重奏曲を始め、管楽器と弦楽アンサンブルによる室内楽曲が親しまれている。得意なフルートと弦楽三重奏のための四重奏曲6曲は作品98としてまとめられ出版されたが、内容の充実ぶりの割には知名度が低く、半ば忘れ去られていた。戦後、チェコのスプラフォン系列の楽譜出版社アルティアArtia から3曲ずつ2分冊で出版された。その曲順は1~3番でト短調、ハ長調、ト長調、そして4~6番でホ短調、イ長調、ニ長調だった。
1~3番まではCDでオーレル・ニコレ(Nicolet)、イルジー・ヴァレク(Valek)、の2種類の盤が出ていて、Youtubeでも聴くことが出来る。また全曲6曲を収録したチェコのフィルハーモニー・ライヒャ四重奏団の盤もあるが、ここでもヴァレクがフルートを吹いている。今回第4番のYoutube音源はここから採っている。
第1楽章:アレグロ・モデラート
Reicha Flute Quartet e-moll Op 98 No 4 I Allegro moderato
Philharmonie Rejcha Quartet
冒頭は弦楽だけで悲壮なテーマが提示される。すぐその後にフルートが同じテーマで登場する。作曲年代は1820年頃でライヒャは50代、ロマン派音楽の潮流が広がる時代で、この曲集の構成も長調の曲にも短調の楽章が混じり、古典的なソナタ形式も自由に変形されてきている。
第2主題を思わせるフルートのテーマも次々に新しいフレーズが続けられる。
応答する弦楽部の伴奏もしくは合いの手にも魅力的な勢いを感じる。
フルート奏者でもあったライヒャなのでヴィルトゥオーゾ風のパッセージも充実している。
第2楽章:ラルゲット
Reicha Flute Quartet e-moll Op 98 No 4 II Larghetto
Philharmonie Rejcha Quartet
ホ長調に転じる。8分の6拍子だがゆったりした3拍子の曲に聞こえる。木々の葉のささやきと鳥のさえずりを思わせる。
第3楽章:メヌエット、アレグレット
Reicha Flute Quartet e moll Op 98 No 4 III Minuetto_ Allegretto
Philharmonie Rejcha Quartet
これもホ長調。なだらかなメロディ・ラインにフランス的な優雅さのあるメヌエット。区切りの部分の半音階の下降音型が面白い。
第4楽章:フィナーレ、アレグロ
Reicha Flute Quartet e moll Op 98 No 4 IV Finale Allegro
Philharmonie Rejcha Quartet
ホ短調、弦からテーマが始まる。テンポはプレストに近く切迫感がある。
フルートのテーマはなめらかさがある。
第3のテーマも明快で楽しい。
楽譜は Imslp に最近浄書されたスコアとパート譜が収容されている。
6 Flute Quartets, Op.98 (Reicha, Anton)
Reinhard Greeven 2020 (非商業的知的共有資産?)
ここで問題が出ている。曲番の問題である。IMSLP には初版当時の楽譜もあって、パリのボワエルデュー(Boieldieu)社版およびマインツのショット(Schott) 社版なのだが、1~3番と4~6番をチェコ版とは取り違えていたのである。従って上記の浄書された楽譜も1~3番がホ短調、イ長調、ニ長調、4~6番がト短調、ハ長調、ト長調となっている。その根拠としては表紙に「作品98の四重奏曲の第1分冊」(1er Livre de Quatuors Op.98) および「第2分冊」(2me Livre) と記載されているからだ。どうしてこの「取り違え」が起きたのかは今となっては知る由もない。
この曲番に準拠したCDも見つかった。ヒュンテラー(Hünteler)のフルート、クスマウルのヴァイオリン、ディールティエンスのチェロの演奏で、これもなかなか見事なものだが、1~3番の3曲しか出ていない。しかしこの1~3番はチェコ版では4~6番に相当するので、非常に紛らわしい状態になっている。今後国際的な学会で彼の作品98の曲番をどちらかに統一することを望みたい。
Reicha: Quartets for Flute, Violin, Viola and Bass, Op.98 Nos.1-3 - Spotify /
Hünteler, Kussmaul, Dieltiens
(従ってこのCD or Spotify では第1番がここに言及した第4番のことになります)
(再掲)
※アントン・ライヒャ(アントニン・レイハ / アントワーヌ・レシャ)(Anton Reicha, 1770-1836)
プラハ生まれ。教会の聖歌隊員としてラテン語の教育を受けながら音楽を学ぶ。16歳のとき、ケルン選帝侯の宮廷楽長だった叔父のヨーゼフ・ライヒャ(Josef Reicha, 1752-1795) の住むボンに移り、その楽団のフルート奏者として勤めながら作曲法を学んだ。同僚としてベートーヴェンと交友を持った。24歳のときハンブルクに行き、音楽教師をしながら作曲に取り組んだ。その時フランス語台本のオペラを作曲し、市の劇場で上演したところ、フランスの亡命貴族からパリに行くように強く勧められた。1799年にパリに行き、自作の交響曲を演奏し、好評を得たが、大革命の最中で劇場の運営はままならぬ状況だった。彼はすぐにウィーンに移ることにした。そこでハイドン、サリエリに教えを受け、ベートーヴェンに再会した。ウィーンでは数多くのジャンルの作品を次々に発表し、約8年間作曲と音楽教師で順調な生活を送ることができた。しかしナポレオン軍の侵攻により、ウィーンは占領状態となり活動が困難となったため、1808年再びパリに赴いた。旧友たちとの再会とともに、音楽院のコンサートでの交響曲の演奏で聴衆の注目を呼び覚ました。また、音楽理論、特に対位法や作曲法に関する著作を次々に出版すると教育者としての名声が高まり、1817年パリ音楽院の教授として迎えられることとなった。門下生としてはオンスロー、ファランク、リスト、ベルリオーズ、グノー、フランクなどがいて、フランス・ロマン派音楽の発展に貢献した。1829年にフランスに帰化した。1835年にはアカデミー会員に選ばれた。1836年にパリで死去、66歳だった。
※参考過去記事:
(1)ライヒャ:フルート四重奏曲 ハ長調 作品98の2 (2017.02.18)
(2)ライヒャ(レイハ):オーボエ五重奏曲 ヘ長調 作品107 (2021.01.08)
(3)ライヒャ(レイハ):クラリネット五重奏曲 変ロ長調 作品89 (2020.10.06)

