ライヒャ(レイハ):オーボエ五重奏曲 ヘ長調 作品107 | 室内楽の聴譜奏ノート

室内楽の聴譜奏ノート

室内楽の歴史の中で忘れられた曲、埋もれた曲を見つけるのが趣味で、聴いて、楽譜を探して、できれば奏く機会を持ちたいと思いつつメモしています。

Reicha : Oboe Quintet in F-major, Op.107 

 初夢は2日続けて奏楽がらみだった。昔入っていたオケとか弦楽合奏団とか、今の室内楽の会とかがごちゃ混ぜで出てきて、どこの部屋で練習するのかとか、ここは音響が悪いからダメだとか、楽器をどこまで持っていくのかとか、あまり要領の得ない内容ばかりだった。これも現実に奏楽活動ができていないことが深層心理に影響した結果かもしれない。ピアノ以外の楽器は単独では生きて行けないのだ。ある知人の年賀状では「あと4000日しか生きられない」と勝手に計算していた。「あと4000日も!」とありがたく考える見方もあるが、コロナの状況下でそのうちの2~3年は手も足も出ないとすれば、こうして「珍曲遭遇記」をつけるのもバーチャルな慰めになっている気がする。
 

 古典派後期の作曲家のうち、よく混同しがちなのが、ライヒャとリースである。ライヒャはベートーヴェンと同い年生まれで、オケの同僚かつ友人だったし、リースはベートーヴェンと同郷人でその弟子だった。同じ時代の空気の中で生きていたので、ベートーヴェンと作風が似通ったところも非常に多い。2人とも作品の数も多く、しかも幅広いジャンルでしっかりした曲づくりをしている点が共通している。「古典派後期の2大R」としてライヒャとリースを頭の中に入れてもらえたら有難い。

Antonín Rejcha : Quintet for Oboe and String Quartet F Major,op.107

                               Dusan Foltyn (Ob) & Kubin Quartet 

 このオーボエ五重奏曲に関しては、そもそも「楽譜を探してくださらない?」と室内楽友の会のS女史から頼まれたのが端緒だった。Youtube で演奏を知ったオーボエ吹きのN氏が楽譜を手に入れようと IMSLP を見たが、クラリネット五重奏用に直した版しか見つからなかったから、ということだった。幸いにも近所にある音大図書館ですぐに見つかって複写することができた。成り行き上、私も試演のメンバーに入れてもらえたのは嬉しかった。

 

 

 

 参照楽譜は、ロンドンのムジカ・ララ社版 (Musica Rara) で、下記のKMSA譜面倉庫でもパート譜を参照できる。
https://onedrive.live.com/?authkey=%21AHISkNtSGYXnlUY&id=2C898DB920FC5C30%217487&cid=2C898DB920FC5C30

第1楽章:アレグロ・ノンタント

 ヘ長調、4/4拍子。冒頭の第1ヴァイオリンのアルペジオに乗って、2小節目からオーボエが伸びやかなテーマを歌う。なんとなく温かみのある音色はオーボエならではだ。チェロは基音のF(ファ)の音をしっかりと鳴らし続ける。
 

 この時代になると古典派のソナタ形式も縛りが希薄になり、主題を自由に変化させてメロディを積み重ねていくスタイルが多くなっていると思う。このオーボエから始まるテーマに伴奏部の弦の頭拍打ちとそれに応える裏打ちが快く響かせる。

 

 オーボエが一息つく間に、第1ヴァイオリンがすかさず別のテーマを出してくる。管入りの室内楽ではこうした変わり身が音色の変化とともに気分を一新させてくれるので飽きない。
 

 この曲ではチェロも動きを見せてくれる。ライヒャは木管五重奏曲を沢山書いているので、低音楽器としてのホルンやファゴットの扱いも巧みだった。このパッセージなどもホルンが登場する感じで高らかに楽節をしめくくるのにチェロが使われている。


第2楽章:アンダンテ・シチリアーノ
Oboe Quintet in F Major, Op. 107: II. Andante siciliano

 変ロ長調、6/8拍子になる。オーボエによる典型的なシシリアーノのリズムで歌われる。
 

 この楽章でもチェロが効果的に動く。オーボエと対話するようにシチリアーノのテーマを真似る部分と細かな装飾句で走り回る部分とが入り混じっていて面白い。


第3楽章:メヌエット、アレグロ
Oboe Quintet in F Major, Op. 107: III. Menuetto. Allegro

                                               Katsuya Watanabe (Ob) +4

 のどかさが感じられるメヌエット。オーボエはバロック時代には主流だったが、古典派の後半にはクラリネットに押されて、室内楽でも出番が減っていった。このライヒャの曲は古典派での最後の花とでも言うべき名品ではなかろうか。

 

 トリオもどこかウィーン趣味ののどかなメロディが第1ヴァイオリンとオーボエで代わる代わる歌われる。


第4楽章:フィナーレ、ヴィヴァーチェ
Oboe Quintet in F Major, Op. 107: IV. Finale. Vivace

                                                Katsuya Watanabe (Ob) +4

 親しみやすい明快なテーマがオーボエから現れる。楽章の構成はロンド形式を思わせるが、中間部以降はどんどん新しいパッセージが広がっていく。

 

 経過句では、珍しくヴィオラが低音で繋げるソロが出てきてなかなか渋くて面白い。

 

 ドイツで活躍する名手、渡辺克也氏(Ob) の演奏は活力に満ちて思わず聞き入ってしまう。オーボエと第1ヴァイオリンのやり取りもスリリングだ。



 Youtube ではクラリネット五重奏に直した版の演奏も多く見かける。これはこれで十分に楽しく聴けるし、合奏でも体験したが、管楽器に達者なライヒャの曲はどちらでも支持される出来になっていると思う。
(参考)Clarinet Quintet in F Major, Op. 107: IV. Finale: Vivace

                                    Luigi Magistrelli (Cl) & Italian Classical Consort


*参考記事:ライヒャの別の曲(もともとクラリネットのために作った曲)
ライヒャ(レイハ):クラリネット五重奏曲 変ロ長調 作品89
https://ameblo.jp/humas8893/entry-12629887432.html


(再掲)
アントン・ライヒャ(アントニン・レイハ / アントワーヌ・レシャ)(Anton Reicha, 1770-1836)
 プラハ生まれ。教会の聖歌隊員としてラテン語の教育を受けながら音楽を学ぶ。16歳のとき、ケルン選帝侯の宮廷楽長だった叔父のヨーゼフ・ライヒャ(Josef Reicha, 1752-1795) の住むボンに移り、その楽団のフルート奏者として勤めながら作曲法を学んだ。同僚としてベートーヴェンと交友を持った。24歳のときハンブルクに行き、音楽教師をしながら作曲に取り組んだ。その時フランス語台本のオペラを作曲し、市の劇場で上演したところ、フランスの亡命貴族からパリに行くように強く勧められた。1799年にパリに行き、自作の交響曲を演奏し、好評を得たが、大革命の最中で劇場の運営はままならぬ状況だった。彼はすぐにウィーンに移ることにした。そこでハイドン、サリエリに教えを受け、ベートーヴェンに再会した。ウィーンでは数多くのジャンルの作品を次々に発表し、約8年間作曲と音楽教師で順調な生活を送ることができた。しかしナポレオン軍の侵攻により、ウィーンは占領状態となり活動が困難となったため、1808年再びパリに赴いた。旧友との再会とともに、音楽院のコンサートでの交響曲の演奏で聴衆の注目を呼び覚ました。また、音楽理論、特に対位法や作曲法に関する著作を次々に出版すると教育者としての名声が高まり、1817年パリ音楽院の教授として迎えられることとなった。門下生としてはオンスロー、ファランク、リスト、ベルリオーズ、グノー、フランクなどがいて、フランス・ロマン派音楽の発展に貢献した。1829年にフランスに帰化した。1835年にはアカデミー会員に選ばれた。1836年にパリで死去、66歳だった。