Mozart : String Quartet No.18 in A major, K.464
「鼓笛隊」という呼称は現在では古臭くなった。今は一般的に「マーチングバンド」と言うのは知っている。しかし今から百年以上も前の頃の、バンドの絵や写真のことを思えば、そういう呼称のほうが似合っている。昔の日本では、外来語をそのまま通用させるよりも、日本語でどう言い表わすのかに頭を砕いていたのだ。
モーツァルトの弦四ハイドン・セットの5番目、イ長調 (K.464) の曲の一部に行進曲まがいのリズムをチェロが長々と刻む個所がある。第3楽章の変奏曲の後半の締めくくり部分なのだが、ある時の合奏でヴィオラを奏いていた H氏がひと言「ここはおもちゃのマーチを思い起こさせるね」とつぶやいたのが余りにも的を得た印象だったので、それからずっとこの曲につきまとうことになった。誰でもそうなのだろうが、日本人なら先に童謡のほうを覚えているはずなのだ。
どちらも音階名で「ド・ソ・ド・ソ」の4度音型になっていて、楽隊が足踏みするような様子を表している。これはモーツァルトの創意が原点ではなく、もっと普遍的な、例えば、紀元前から人間が行進して体感する感覚から来ているように思う。モーツァルトの場合はその足取りをチェロに代弁させている。
「おもちゃのマーチ」は大正12年(1923年)に海野厚(あつし)(1896-1925)作詞、小田島樹人(じゅじん)(1885-1959)作曲で発表されたというが、おそらく現代の子供たちにも受け継がれ、覚えられている日本人の名曲の一つであるのに改めて驚かされる。
モーツァルトの楽譜は IMSLP に収納されている。
String Quartet No.18 in A major, K.464 (Mozart, Wolfgang Amadeus)
第1楽章:アレグロ
Mozart: String Quartet No.18 In A, K.464 - 1. Allegro
Emerson String Quartet
モーツァルトの弦四ハイドン・セット6曲は傑作揃いであり、その中でどのようなランク付けになるのかを時々考えてみたことがあった。しかし序列をつけるのは無意味であるという結論を心に決めた。
この第5番 K.464 が「渋い曲」だと思われているのは確かだ。中心テーマが弱起なので控え目な印象になるのは仕方がないが、それで魅力が半減する訳でもない。第1ヴァイオリンの最初の2小節のモティーフが多様に変化しながら、各パートで交互に鳴り響く。
第2楽章:メヌエット
Mozart: String Quartet No. 18 in A Major, K. 464 - 2. Menuetto
Hagen Quartett
拍の強弱が頻繁に行われる最初のモティーフと5~6小節目の第2のモティーフでこの楽章が成り立っている。ここも「渋く」禁欲的な印象のメヌエットだ。
第3楽章:アンダンテ
Mozart: String Quartet No.18 In A, K.464 - 3. Andante
Alban Berg Quartett
ニ長調、2/4拍子。はっきりと表記されていないが、変奏曲楽章と言ってよいと思う。10分以上の長大な楽章で、K.464全体の曲としての重心がここにあると考えられる。この最初の主題も弱起で始まり、しっとりした味わいがある。
第1変奏部は第1ヴァイオリンの細かな装飾が美しい。
第2変奏部は第2ヴァイオリンにその装飾的な動きを譲って、第1ヴァイオリンとチェロがゆったりと歌い交わす。
第4変奏部は二短調に転じ、チェロが単独の三連音符で動きを先導する。この翳りもモーツァルトの傑出したインパクトになる。
そして第6変奏部以降が先に掲げたチェロのマーチになる。やがて行進のテーマはヴィオラ、第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリンと受け渡されるが、最初の主題を回顧したあと、最後はチェロに戻り、静かに終える。無事行進できたときの達成感は大きい。
第4楽章:アレグロ
Mozart: String Quartet No.18 In A, K.464 - 4. Allegro non troppo
Amadeus Quartet
この楽章も「渋い」。冒頭の半音階下降のモティーフと4小節目のヴィオラにある1拍目休みで2拍目から出るモティーフの2種類でこの楽章の骨格が出来ている。よく見れば、第2ヴァイオリンもチェロも1拍目休みの2拍目から動きだしている。こうした「途中から音を繋げるような動き」がこの曲全体を「渋さ」でまとめていたのではなかろうか。いい意味で捉えれば「いぶし銀」のような味わいと言うことができるだろう。
最後に「おもちゃのマーチ」の作曲者、小田島樹人の名言がウィキペディアの末尾に掲載されていたのを、下記に紹介する。(太字は筆者)
歌うことは聴くことである。弾くことも亦…
音楽は聴く為にのみ存在する。
歌い又は弾くために存在するのではない。
歌いたい又は弾きたい衝動は聞きたい衝動である。
聴きたい衝動に駆られる時自らも歌って之を聴き
聴きたい衝動に駆られる時自ら弾いて之を聴く。
斯くして心を、魂を豊かにする事こそ
音楽の第一義的な存在理由である。