HUMAN LOG -105ページ目

“うれしい”も“悲しい”も一人占めしない

“うれしい”も“悲しい”も一人占めしない

うれしいとか悲しいってのは、自分で昇華できる
感情の量を超えた時に感じるものなんじゃないだろうか。
自分で処理できないくらいの心の変化に耐えかねた時、
感情というものを感じるんじゃないでしょうか。
つまり、感じるってことはもーいっぱいいっぱいな状態に
あるってことで、これを自分でなんとかしようという方が
不自然になるんじゃないかな。
そう考えるといろんな感情を周りの人とシェアするのって、
ごくあたりまえのことのように思えてくるのです。


ゆっくり壊れたものは、ゆっくりとしか直らない

ゆっくり壊れたものは、ゆっくりとしか直らない

何かが壊れるのは一瞬のようだけど、
ちゃんと助走期間や必然性なんかがある。
よいことも悪いことも、
カタチが整うのには思ったより時間がかかる。
もし壊れたものがあるとしたら、元にもどすためには
たくさんの時間が必要だということを思い出すといいかも。
元にもどらないかもしれないけど、
何かがよい方向に向かうと思います。
そう信じていたいですね。


その出来事には必然性がある

その出来事には必然性がある

よりによって…とか、いったいなんで…とかいうことはままある。
でも多くの場合、あとでよくよく考えてみると
納得いくようなシナリオが見つかって
なんだそういうことだったのか、と気づく場合も多い。
タイミングや内容やその時の行動や事前事後の展開なんかも、
あるプログラムの中に組み込まれているのかもしれませんね。
そしてそれを運命なんて呼ぶのかも。
しかし、ほんとうに偶然というものは存在しないのだろうか?