みなさん毎日寒い日が続きますが、いかがお過ごしですか?

ユマニテ会ゆにっちですニコニコ 北の方は雪かきお疲れ様です。雪


今年もユマニテ会は古今東西の色々な哲学から

たくさんの学びをしていきたいと思っています。哲学といってもそんなに堅苦しく、難しく考えなくてもよいのです。でも学べは自分を客観的にみることもできるようになるし、生きていく中でのポリシー、物事の判断、

大切な場面でも自分を助けてくれる力にもなっていくと思います。


人はなかなか考えているようで、難しいことにぶつかると考えることをやめてしまったり、さけてしまったりすることが多いとおもうんですが、わからないことにも果敢にぶつかって、わからないなりに、そのこととぶつかっていくなかで、だんだんと考えることが少しずつ深くなっていくのです。メラメラ


そんなえらそうなこといっても、私もまだまだ、わからん??????といって考えるのをやめることはあるんですが、さいきんではメモとって、またしばらくしてから考えてみると、また少し前に進んだりします。

以前は考えもせずに、「あれどう思う?」とか人に聞いたりしてましたが、まずは自分で考えて自分の考えをまとめるということも大事だということもわかってきました。


また病気の時はなんの哲学も役にたたないことも、学びました。カゼ病気の時はまずはゆっくりやすんで美味しいものを食べて、病気を治すことです。そうして病気が治って気力がわいてきて、前に進もうとする時に、

日頃哲学をやっているかいないかで(考えているかいないか)差がでてくると先生はおっしゃいます。

さあ今年も一緒に考えていきましょうね。ユマニテ会は楽しく学ぶも、モットーですので、楽しく学びながら人生を豊かに過ごしていきましょう。


では、昨年の講義の中から、今回は11月の講義よりまたすこしお伝えします。

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前回もたしかいったとおもいますが、たとえばソクラテスの弟子は四派にわかれる。
ソクラテスは良く生きることが大切といった。


良く生きるということはどういうことかという解釈によって分かれていく。

① アリスティッポス・・・・良く生きるとは快楽に従っていきる。
② ディオゲネス・・・・・・ 良く生きるとは徳にしたがっていきる。
③ プラトン ・・・・・・・
④ 論理派 メガラ派 論理に従って生きる 

④ は女性にとっては難しいかもしれないが、
うそつきの人が「私はうそつきです」というとどうなるのか。とか 


一粒の麦が、あって、1粒では堆積したといえない。2粒でもまだ堆積したといえない。ではいったい何粒から堆積したといえるのかなど

つまらないことだと思うけれど、そんなつまらないことが実は文化なのです。余裕なんですよ
あくせくあくせく食べていくことに夢中になったり、肉体的欲望とか名誉とかそんなものに必死になっているうちはまだ文化とは関係ない。人からみたらなんでそんなこと考えるのというようなことをした人達が結局は本当の文化を作ってきた。


論理派

三段論法:失くさなかったものはもっている。→君はつのを失わなかったよね。→君はつのをもっている。ということになる。いわゆる詭弁

のちにギリシャアテネ(民主主義が初めてできた場所)の民主主義はやがて堕落していきますが、
相手を倒せばよいのだ。という風潮がでてきます。


おちついて考えればどこがおかしいかがわかるが、だけど議場内などで 、ワアワアと政敵とやりあっていたら押し負けてしまう。
正義を求めるよりむしろ、相手に勝つことばかりを優先する。


論理はよくも悪くも役立つものなのですが、同じ「よく生きる」というソクラテスの思想がこのように分かれていった。


孔子・孟子の原始儒教も時代を経るにしたがっていろんな分派に分かれて変化していく。
儒教も朱子学や陽明学にわかれる。同じ儒教である陽明学もまたさまざまに分かれていく。
孔子のいわれたある部分を「これが大切だ」と思った弟子がその方向で発展させていく。

左派から右派までバラエティに富んでいる。民間の学者として子供たちに教えた人もいる。勉強とかそんなことよりも心が大切だという派もありました。そうかと思えば左派 革命家というような人もいる。

儒学者 大塩平八郎も門弟50人を率いて、勝てるわけないのに幕府と戦う。勝ち負け考えずに戦う。(左派)

そういうように儒学にも右派から左派まで様々なものがある。もとはみんな孔子の教えである。
みなさんも自分の好きな哲学者を見つけて、その教えと格闘し、自分なりに解釈して、自分の哲学を作っていかれたらどうでしょうか。極めて容易に、しかも出来上がったものは、レベルの高いものになる。

私は、儒者ですが、儒学任侠派を名乗っている。


孔子の弟子である元侠客だった子路はすばらしい男である。子路は過ちを指摘されたら喜んだといわれている。任侠の侠は人偏に爽やかと書く。人から指摘されて喜ぶなんて、すっきりした男である。

哲学というものは相当程度自分の好みでいい。相反してもどちらがいい悪いではない。哲学は相反しても全部○ということもある。しかしそれ誠は実に誠実に生きている限りにおいて。



思想には自分の好みもでるかもしれない。それでいいと私は思います。

客観的にこれがいい、これがだめといえるようなものではない。

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みなさんも一緒に自分の哲学作りの旅に
でてみませんか?


今年は色々な分化会なんかもできたらいいな~と思います。

お問い合わせはhumanite@live.jp   まで


お待ちしております。