みなさん新年あけましておめでとうございます鏡餅旧年中はありがとうございました。ニコニコ

ユマニテ会に参加してくださった方、またブログを読んでいただいた方、本当に感謝いたします。


去年は後半私事の仕事の関係でなかなか更新もままならず、ご迷惑おかけしました。

お知らせはできなかったことも、少しずつ紹介できたらと思ってます。アップ

去年一年色々勉強させてもらった感想をかくと、やはりユマニテ会がスタートした頃からくらべると、

少しは考える人になってきたのかな?と感じています。

難しいことにも、くらいついて時々思い出したり、主観ばかりの自分から、「ちょっとまてよ・・・」ともう一人の自分が顔をだしてくれるようになった気がします。

壁にぶちあたり、いったい私はこれまで何を学んできたんだろう?と立ち止まる時もしばしばありました。だけどそうやってもがきながらも、自分というものと向き合う時間もまた、次の一歩への力になっていくような気がします。


これからも楽しく学んで、自分の哲学(自分なりのポリシーや生きるためのものさしなど)を鍛えていきたいと思います。新しい方も、久々の方もまた一緒に楽しく学びましょうね。

本年もどうぞよろしくお願いします。いちご


では12月のユマニテ会より

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徒然草第38段


哲学入門に最適の書「徒然草」 この徒然草の思想を知って、気に入るかどうかはみなさんの判断です。
だれか気に入った一人の人の思想を深く学んで、それからまた次の人と、広げていくのもよいと思います。
では今日の本題に入ります。


第38段
名利に使われて、閑かなる暇なく・・・・・

①名声とか、物質的利益に引き回されて、心静かにすごすこともなく一生を苦しめるのは愚かである。
財が多ければ、それに気をとられて、自分の身を守ることも忘れてしまう。
わかってる人からみたら 愚かなことだ。


②高い地位をのぞむことも愚かなかとだ。どんな人間でも良い家に生まれ時にめぐまれれば、高い地位についたりする。


③知恵とか高い徳、人徳によって名を残すことそれもつまらない。「立派な人だった」といわれていつまでも名を残したからといっても、いい噂してくれた人も死んでしまう。結局それも人の評判を得たいからではないか、それも愚かである。


こんな詩もある。

我をして身後の名 あらしむるよりは即時一杯の酒に如(し)かず。


だけど世の中の、名声のためではなく、ひたすら内面の湧き上がる気持ちから智をもとめたり、
賢者になりたいと願ったりする人のためにいえば、知恵出でて偽りあり。
(私たちのいっている知恵というもの自体偽りがあるのではないだろうか) 


才能は煩悩を増長させるなり。


人間の欲望がつもりつもって文明になっていく。自然の道、宇宙の道からみれば人間の知恵なんていったいなんであろうか。

真(まこと)の人は智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知って、誰か伝へん(老子や荘子的な思想)
そういう知恵ならばよろしい。←(兼好は荘子の思想を学んでいたと思われる。)


愚かを装って、徳を隠していても、もとより、賢愚、得失などの価値判断の物差しにとらわれているからだ。


迷ひの心(善だ悪だ、良い悪いなどと物事を区別していくやりかた)をもちて、名利の要を求むるのも同じ。
万時は全て非実在だ。(荘子のいう無とか空とか)自然の道においては一切は無である。区別するのは人間の心である。
そういったものに心惑わされる必要はない。  いうに足らず、願うに足らず。


といいながら、おもしろいことに、筆者はいうに足らず、願うに足らずなことをつらつらかいている。


思想系の書物は、100%信じてはいけない。ある主張を受け止めて、そののちまた別のまったく逆の主張とであう。またそれも受け止めればいい。


相矛盾する思想をぽんぽん受け入れたらよい。人間の生き方には色々な生き方があって、
相矛盾する生き方どちらも○ということがいくらでもある。


ただしそれは誠実に生きる限りである。

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原文はこちらから

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure000_049/turedure038.htm


私たちはつい、善い人になりたいとか、徳のある人になりたいとか思うけれど、そういうことさえも人の評価を気にしてのことである場合が少なくないですよね。


さあみなさん2013年はどういきますか?



まだしばらくは徒然草とその他哲学的小話などをやっていますので、興味がある方はご参加お待ちしております。


お問い合わせは humanite@live.jp  まで