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福島原発事故★自主避難者として生きる

福島原発事故の原因や汚染の現状、放射能や放射線の健康被害や影響。避難は必要か?など福島原発事故を判断する材料になる資料を集めました。

2013年2月13日、福島県の県民健康管理調査の検討委員会が、新たに甲状腺がんの子供が2人見つかったと発表しました。


これで2011年度の甲状腺検査で甲状腺がんが見つかった子供は3人に、さらに7人が甲状腺がんの疑いがあると見解を述べています。


もちろん福島県は「原発事故の影響とは考えにくい。もともとあったガンを発見しただけ」と東京電力福島第1原発事故との因果関係は否定しています。


この件について考察してみようと思います。


まず、福島県全体における未成年者のがんについての資料を見てみます。福島県の保健福祉部が平成20年(2008年)3月に作成した『福島県がん対策推進計画 』の53、54ページに、平成17年(2005年)の福島県内の未成年者(0歳~19歳)の死亡者数が掲載されています。


この資料はがんを12種類、具体的には肺がん、胃がん、大腸がん、肝臓がん、すい臓がん、胆道がん、食道がん、乳房がん、子宮がん、前立腺がん、白血病、その他のがん、に分類しています。


甲状腺がんは『その他のがん』に含まれるようですので、わかりやすいように抜粋します。


さらに患者数がわかりませんので宮城県対がん協会会長久道茂氏の推測方法 を使って推測患者数を計算しました。


それから、なぜ推測患者数を使うはめになるかといえば、資料が手に入らないからです。ちなみに福島県は患者数を正確に把握しているはずです。


【平成17年(2005年)福島県未成年ガン死亡者数、推測患者数】

   がん全体 その他のがん
死亡者数     8人        5人
推測患者数    16人       10人

※福島県の平成17年(2005年)の人口は、約209万人(国勢調査)


未成年者のがん死亡者数全体の8人のうち『その他のがん』が5人を占め、未成年者においてその他のがんがもっとも多いことがわかります。念を押しますがその他のがんは甲状腺がんのみを指すのではなくさっき並べた11種類に該当しないもの、すべてが含まれているということです。


上記の表と、現状の福島県の甲状腺がん検診の結果を比較してみましょう。


上記の表から考えれば、福島県内においてその他のがんは10人までなら福島第一原発事故前とかわらないと言えると考えられます。


2013年2月13日現在の福島県の甲状腺がん検診の結果を見てみます。すでに甲状腺がんと確定した子供が3人、甲状腺がんの疑いがある子供達が7人います。あってはならないことですが、疑いがある子供達が仮に甲状腺がんだった場合、甲状腺がん患者だけで、その他のがん全体の合計数である10人に達してしまいます。


そもそも甲状腺検査の対象は2011年3月11日時点で0歳~18歳だった者、約360,000人の子供達です。そのうち1次検査を受けれたのはまだ48%の175,848人にすぎません(2013年1月25日現在※1)。まだ半分以上が1次検査すら受けれていないのが現状なのです。


1次検査を受けれた175,848人のうち2次検査が必要とされたのは0.4%の735人です(2013年1月28日現在※2)。


この735人のうち2次検査を受けれたのはまだ29%の218人だけなのです。このうち3人が甲状腺がんと確定、さらにさらに7人に甲状腺がんの疑いと言っているのです。


つまり、福島県の子供たちに対する甲状検査はまだ半分も実施されていないのに、推定患者数で考えれば、仮に甲状腺がんが10人だとすると、その他のがんの全体の推定患者数10人と同じ数となってしまうのが、福島県の現状ということです。


※1第10回「県民健康管理調査」検討委員会(平成25年2月13日開催)資料 の18ページ左下の「合計」


※2第10回「県民健康管理調査」検討委員会(平成25年2月13日開催)資料 の23ページ左下の「合計」

2013年2月13日の午後1時すぎに福島県の県民健康管理調査の検討委員会が、新たに甲状腺がんの子供が2人見つかったと発表しました。さらに7人に甲状腺がんの疑いがあると見解を述べています。


もちろん「「原発事故の影響とは考えにくい。もともとあったガンを発見しただけ」と東京電力福島第1原発事故との因果関係は否定しています。


ひとまず、速報版として記事にしました。

「つなごう命の会ー沖縄と被災地をむすぶ会」の代表、沖本八重美さんと電話で最後にお話ししたのはお亡くなりになる1週間ほど前でした。


自宅の自室でぼーっとしていたところ携帯電話のベルが鳴りました。


「パズー君、今電話大丈夫?」


「あっ、お久しぶりです。全然大丈夫ですよ」


「そういえば悪かったね、沖縄で流通する食品の件で話したときは…」


私は思わず吹き出して笑ってしまいました。と、いうのは1年以上前、初めて沖本八重美さんとお会いした際に、沖縄で今、流通している食品は放射能汚染があるのか?ないのか?で二人の間で議論になったことがありました、でも、その件はもうとっくにカタがついており、その後何度もお会いしていますが、二人の間にその話題が出ることはなかったんです。というか、沖本八重美さんも私も、さっぱりした性格でその場では言いたいことをお互いに言うのですが、それ故に感情的なわだかまりなどさっぱり残らないのです。


なので1年以上前の私はすっかり忘れていたことが、ひょいと話題に出て笑ってしまったのです。


私は笑いながら言いました。


「そんなの、全然気にしてないですよ。沖本さんも私も、引きずるほうじゃ、ないじゃないですか」


それから避難者の集会が週末にあるとの内容の話が沖本さんからあり、私は今回の参加は厳しいという旨を伝えました。


その後、沖縄県の避難者の間で甲状腺から嚢胞が見つかる人達が異常に多い件について私が「統計的あるいは疫学的資料って現段階で把握している所ってないですかね?」と質問し、沖本さんから「私もわからない」旨の回答がありました。


最後に私は「今回の参加は厳しいですが、別件で何かあればおっしゃっていただければいつでも馳せ参じますので」と伝え、電話を切りました。


電話の向こうにいたのはいつもの沖本さんでした。



その電話から約1週間後の2013年1月27日の日曜日、私は疲れていて午後まで寝ていました。


午後2~3時頃起きたところ、携帯に何人かの沖縄の避難者からの着信が午前中にあった履歴が残っていました。寝起きで電話すると頭が働かないので1時間ほど水を飲んだりぼーっとしてから電話しました。


そして沖本さんが夫である矢ヶ崎克馬教授と二人で、友人の祝会に出席する為熊本に行き、沖本さんはスピーチをされた数分後に心不全で倒れられ、そして帰らぬ人になったという旨話しを聞きました。


避難者はみな私も含めて混乱していました、そして信じれませんでした。沖本八重美さんは、活動的で強い人というイメージがすべての避難者にはあって、沖本八重美さんが召されるなど誰もまったく考えていなかったからです。


沖本さんの遺体が今日、飛行機で那覇空港に到着すると聞き、私は車に飛び乗り、沖本さんのご自宅へ向かいました。


運転をしながら窓の外をふと見ると、いつもは波立っている東シナ海がやけに静かで、平らで、遠くまで見渡せました、沖縄にとって欠かさべからざる存在の沖本八重美さんがなくなったことを海まで悲しんでいるように思えました。


辺りがすっかり暗くなった午後8時過ぎ、ご自宅にご遺体が到着し、その場に集まった男性たちで棺を部屋に運びました。


沖本さんの収められた棺は、重く、まだ、やっぱり沖本さんは、これからも活動すべき人で、なくなるべきじゃないと改めて感じました。


棺の一部が開けられて、沖本さんのお顔を拝見できました。生前と全く同じで、美しいままの沖本八重美さんがそこにはおられました。


半年くらい前でしょうか、沖本さんと年齢の話になり沖本さんから私はいくつだと思う?と聞かれ「えっ、50代前半でしょう?」と答える私に「65だよ」さらりと答え、私は「えーっ、沖本さんいったい何を食べてるんですか?かすみ(仙人の主食)ですか」などと茶化したことを思いだします。


生前と全く同じで、美しいままの沖本八重美さん、だから、沖本さんが亡くなったという現実を、お顔を拝見しても避難者は誰も受け入れることができませんでした。



那覇空港に沖本さんの車が置いたままだという話になり、他の避難者の方と一緒にとりに行きました。ひとけのない広い駐車場でナンバープレートを頼りに車を探しました。沖縄でも1月ですから夜は冷え込んでつま先がだんだん寒くなります。


10分くらい探して、車が見つかり、エンジンをかけました。サイドブレーキの位置がわからず5分くらい室内灯の切れた車内で、携帯電話の明かりを頼りにサイドブレーキを探しました。


その間、沖本さんがつけていったラジオは鳴り続けました。


駐車場を出て車を走らせてしばらくすると給油が必要なことを知らせるランプがつき始めました。もう夜遅い為、やっているスタンドも少なく、那覇空港周辺の土地勘もあまりない私は、あせりました。


あせりつつ、きっと沖本八重美さんの頭のなかには、熊本から那覇に帰ったらどこのガソリンスタンドで給油して…と計画があったんだろうな。給油だけじゃない、他にも避難者のことからその他、関わっていたたくさんの計画が沖本さんの頭のなかにはあったんだろうな、と思うとすごく淋しくなってきました。


当然ですが、沖本八重美さんという存在はこの世界に唯一無二であり、沖本八重美さんの計画は、沖本さんにしか実行できない。


沖本八重美さんという壮大な交響曲が途中で不意に演奏がパッタリ止まってしまったのですから、この喪失感があるのが当然なんだろう。


ガソリンは何とか持ち、無事に車をご自宅まで届けることができました。



沖本八重美さんとの思い出を振り返ると申し訳なかったとの思いでいっぱいになります。お電話いただくとついでによく私は「避難者の○×さんが先週風邪をひきました」や「○△さんは今週学校行事で忙しいそうですよ」などと遠回しに、オーバーワークになっている人の名前をあげ無理させないでねということをお伝えしてきました。


沖本八重美さんは、いつも全力投球で、元気で、強くて、パワフルでしたから、気付けませんでした。本当は一番無理をしてオーバーワークになっていたのは沖本さんだったんだね、きっと。


気付けなかった。



告別式の日、会場に入りきれない人々が式場の外にまであふれました。夫である琉球大学の矢ヶ崎克馬教授が、沖本さんの最期のスピーチの結びの言葉が「がんばろう!」だったとお話しされていました。その言葉通り、参列者はみな、悲しみ、そしてこれからがんばる!という決意を表明していて、ああ、沖本さんらしいなと思いました。がんばろう!ってすごく沖本さんらしい言葉。二点間の最短距離は、直線である。猪突猛進。いつも強く堂々としていて。正義のためなら、誰が相手でも決してひるまない。


強く堂々と、でも実はすごくやさしいんだよね。常に弱い人の味方でしたね。苦しんでいる人や悲しんでいる人をほっておけないタチで、言葉だけの気休めじゃなく、実際に行動して避難者を助けて下さっていましたね。泣いている避難者と共に涙を流して下さったこともありましたよね。


沖本八重美さんは、強く、やさしく、美しく、されど自らの意志で弱い人の味方でした。

セシウム降下量については福島県発表がPDFで、かつ分かりにくい場所にある為、携帯やスマートフォンで閲覧しにくいという話を多々耳にします。


そこで、2012年発表の定時降下物環境放射能測定結果を一覧表にしてみました。


赤い数字は、3ケタになった多い日、青い数字は、1ケタになった少ない日を表します。単位は、すべてMBq/km2(メガベクレル毎平方キロメートル)です。


採取日 セシウム134 セシウム137
1月01日 0 0
1月02日 180 252
1月03日 54 71
1月04日 18 26
1月05日 10 17
1月06日 30 40
1月07日 37 53
1月08日 58 79
1月09日 10 18
1月10日 37 48
1月11日 26 34
1月12日 26 37
1月13日 7 10
1月14日 13 21
1月15日 81 115
1月16日 14 24
1月17日 23 33
1月18日 12 13
1月19日 5 6
1月20日 0 0
1月21日 0 0
1月22日 0 0
1月23日 23 32
1月24日 13 17
1月25日 4 4
1月26日 40 53
1月27日 0 4
1月28日 6 8
1月29日 6 7
1月30日 4 0
1月31日 3 3
2月01日 32 39
2月02日 9 15
2月03日 13 17
2月04日 7 11
2月05日 0 0
2月06日 4 0
2月07日 24 38
2月08日 32 46
2月09日 4 9
2月10日 4 6
2月11日 98 139
2月12日 25 38
2月13日 5 8
2月14日

4

4

2月15日 150 199
2月16日 51 67
2月17日

26

35
2月18日 105 147
2月19日 6 5
2月20日 0 3
2月21日 63 86
2月22日 15 24
2月23日 15 18
2月24日 26 44
2月25日 0 0
2月26日 10 11
2月27日 10 15
2月28日

0

0
2月29日 0 0
3月01日 0 0
3月02日 0 0
3月03日

4

5

3月04日

0

4

3月05日

0

0

3月06日

0

2

3月07日

4

5

3月08日 0 0
3月09日 0 0
3月10日 0 0
3月11日 9 17
3月12日 20 29
3月13日 8 13
3月14日 19 25
3月15日 88 128
3月16日 7 12
3月17日 0 0
3月18日 7 12
3月19日 33 49
3月20日 51 83
3月21日 97 136
3月22日 13 15
3月23日 0 2
3月24日 0 0
3月25日 18 22
3月26日 9 15
3月27日 15 27
3月28日 53 34
3月29日 18 26
3月30日 4 6
3月31日 9 11
4月01日 26 41
4月02日 0 4
4月03日 63 92
4月04日 25 35
4月05日 4 5
4月06日 21 42
4月07日 22 26
4月08日 11 22
4月09日

40

55
4月10日 0 3
4月11日 57 93
4月12日 5 8
4月13日 22 33
4月14日

0

0
4月15日 0 3
4月16日 0 0
4月17日 0 0
4月18日 5 6
4月19日 0 4
4月20日 3 4
4月21日 0 3
4月22日 0 3
4月23日 0 2
4月24日 0 0
4月25日 0 6
4月26日 4 7
4月27日 0 0
4月28日 0 0
4月29日 0 3
4月30日 0 0
5月01日 9 11
5月02日 0 0
5月03日 0 0
5月04日 8 14
5月05日 0 3
5月06日 0 3
5月07日 0 3
5月08日 0 0
5月09日 0 3
5月10日 5 7
5月11日 21 33
5月12日 27 44
5月13日 4 3
5月14日 0 0
5月15日 0 0
5月16日 0 0
5月17日 3 6
5月18日 0 0
5月19日 0 0
5月20日 0 0
5月21日 3 3
5月22日 0 0
5月23日 0 0
5月24日 0 0
5月25日 3 4
5月26日 0 0
5月27日 0 0
5月28日 0 0
5月29日 0 0
5月30日 0 0
5月31日 0 0
6月01日 3 3
6月02日 3 5
6月03日 0 4
6月04日 0 0
6月05日 7 12
6月06日 0 0
6月07日 0 0
6月08日 6 8
6月09日 0 0
6月10日 0 0
6月11日 0 0
6月12日 0 0
6月13日 0 0
6月14日 0 0
6月15日 0 0
6月16日 0 0
6月17日 3 5
6月18日 0 0
6月19日 11

23

6月20日 0 0
6月21日 0 0
6月22日 0 0
6月23日 0 0
6月24日 0 0
6月25日 0 0
6月26日 0 3
6月27日 0 0
6月28日 0 0
6月29日 0 0
6月30日 0 0

日本未来の党に投票した有権者は2タイプに分けれるはずです。


小沢一郎系議員たちが作った「国民の生活が第一」の元々の支持者。


そして脱原発のため決起した嘉田由紀子滋賀県知事や環境学者の飯田哲也氏の支持者です。


それぞれの支持者がどれくらいかを比較検討するためNHKの世論調査を見てみます。


  8月 9月 10月 11月 12月
国民の生活が第一 0.6 0.6 0.8 0.8  - 
日本未来の党   -   -   -   - 1.6


なぜ突然、日本未来の党になることで支持率が0.8%増えて2倍になったのか。自然に考えれば、新たに嘉田由紀子滋賀県知事や環境学者の飯田哲也氏の支持者が加わったからではないでしょうか。


衆議院選の結果、決してふるいませんでしたが9議席をとりました。あえて全員の名前と選挙区を書きます。


日本未来の党を乗っ取った小沢一郎私党の生活の党に残留する議員は7名、赤で表記。政党交付金を受け取れない政治団体になってしまう日本未来の党に移動した議員は1名、青で表記。無所属になった議員は1名そのまま黒で書きました。


■小選挙区は2議席

 岩手4区小沢一郎

 広島6区亀井静香


■比例代表区は7議席

 東北畑浩治

 北関東小宮山泰子

 南関東阿部知子

 東京青木愛

 東海鈴木克昌

 近畿村上史好

 九州玉城デニー


日本未来の党自体は、さきの衆議院選での得票率が2%以上ありますから例え、国会議員が阿部知子一人になったとしても分党や小沢一郎系議員が集団離党する形であれば政党助成法による政党交付金がもらえます。ですが今回はそうでなく、離婚で言えば妻が裸一貫の一文無しで家を追い出される感じです。


もし離婚でしたら夫婦の共有財産は半分ずつが正当でしょう。さきほどの世論調査を見ればちょうど半々。比例代表区は政党名で投票しますから、比例代表選出7名の国会議員が半々になれば嘉田由紀子滋賀県知事や環境学者の飯田哲也氏の支持者も納得はいくはずです。現実は6名1名。先ほど言ったようにお金は生活の党が総取り。


たいへん残念ですが、脱原発に期待して嘉田由紀子滋賀県知事や環境学者の飯田哲也氏の支持者の入れた票は、小沢一郎氏の私党への賛同票と化してしまいました。完全に横領されたんです。小沢一郎という男は、脱原発の票をむさぼって生き残ってしまった。自分が生き残る以外の理念も信念もない男ですから。脱原発が票に結びつかなければ、また簡単に捨てるでしょう。人間を捨てるのを厭わない人間が、どうして脱原発を捨てないといいきれるものか。


ただただ、この悔しさを忘れていただかぬように全員の名前を列挙したしだいです。


でも、今回の乗っ取り騒ぎで小沢一郎をどうして石原新太郎や浜田幸一がものすごく毛嫌いするかがわかった気がします。


小沢一郎という人間は、平気でウソをつくし、利用した後は平気で人間を使い捨てにする。


高速道路無料化も暫定税率廃止もウソ。嘉田由紀子滋賀県知事も環境学者の飯田哲也氏も使い捨て。


ただ自分達が生き残ればいい。


ひょっとすると血も涙もないという点では企業の経営者として小沢一郎は向いているのかもしれませんが、政治家が国や地方や人々のことを考えず、自分たちが国会で生き残ることだけを考えてうごめいているとしたら。


小沢一郎という男はきっと、戦後最悪の政治家。

私のツイッターを見て下さってるかたはご存知だと思いますが、麒麟地震研究所さんが大地震への注意を呼びかけています。

麒麟地震研究所を何ヶ月かフォローしてみるとわかりますが、地震予知というか予想…けっこう当たってます。

他にも地震予知をツイートしてる人けっこういますが、私は参考程度にしています。

たった今、大地震がきたと仮定して、水や食料や自動車の燃料の備蓄は大丈夫ですか?1週間程度は、補給なしで生きていられそうですか?

仮に福島第一原発が再び危機的状況になった場合に安全な距離を保てますか?

答えに窮したかたは、今の自分の危機管理体制を見直すほうが無難です。

災害がきてから準備するでは遅すぎます。

災害は人間の都合の悪い時に襲ってくるものですから。

2012年9月11日福島県は、県民健康管理調査の検討委員会(座長は山下俊一福島県立医科大学副学長)で、甲状腺の検査をした子供のうち1人が甲状腺がんだったことを発表しました。


この発表に先立ち、福島県の県保健福祉部の担当者の呼びかけで、事前に検討委員会の委員が集まり、見つかった甲状腺がんについて原発事故との因果関係を否定する見解をすりあわせ、さら9月11日の一般公開でおこなわれる検討委員会の席上で、委員があえて今回の甲状腺がんと原発事故との因果関係を質問し、調査担当の福島県立医科大学の鈴木真一教授に因果関係を否定させるというシナリオまで打ち合わせしていたことを2012年10月3日毎日新聞がスクープしました。


この談合、ひどいもので議事録は残さない、配布した資料も回収、さらに福島県側が委員に「他言なさらないように」と口止めまでしていました。


この件について、すでに福島県は事実を認め、今後は談合しないとしています。


福島県にお住まいのかたは百も承知でしょうが、福島県の言うことはまったく信用できません。テレビカメラの前ではキレイごとを並べて涼しい顔をしながら、その裏で政治家や福島県職員の家族が、福島原発事故直後に多数避難していたことからもわかる通りです。真実は、言葉にではなく行動に宿ります。


私は、避難したこと自体を非難しているのではありません。むしろ私は、知りうる限りの友人知人に電話で避難を呼びかけ、インターネットでも避難しろと騒いだ人間ですから、避難には大賛成です。ただし、例外なくすべての福島県民を避難させるべきでした。少なくとも放射性ヨウ素の汚染がひどかった2、3ヶ月は。


ですので、すべての福島県民を避難させることのできた立場や権限のあった人々には、それ相応の責任があると考えています。


2012年9月11日に公表された福島県の子供たちの甲状腺検査結果(平成24年度実施分※1)をまとめてみます。


【対象市町村】

-中通り地方-

福島市


検査結果 内容 対応 人数 割合
A1

結節なし

嚢胞なし

経過観察 23702人 56.3%
A2

0.5cm以下の結節あり

2cm以下の嚢胞あり

経過観察 18119人 43.1%

0.5cmを超える結節あり

2cmを超える嚢胞あり

二次検査 239人 0.6%

福島県の子供たちに対する甲状腺の検査は、平成23年3月の原発事故当時に環境放射線量の高かった市町村順に、平成23年度後半からおこなっています。


平成23年度に甲状腺検査を実施した市町村は。


【対象市町村】

-浜通り地方-

広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯館村


-中通り地方-

田村市、南相馬市、伊達市、川俣町


一言で言えば、原発が立地していた市町村と高濃度のセシウム汚染がわかっている市町村が対象でした。


ですから平成23年度の甲状腺検査結果より平成24年度の検査結果のほうが、嚢胞や結節ありの子供たちの割合は減るはずだと多くの福島県民が考えていたはずです。比較するために平成23年度実施の検査結果と並べてみます(%のみに変更、人数略)。

検査結果 内容 対応

23年度

24年度
A1

結節なし

嚢胞なし

経過観察 64.2% 56.3%
A2

0.5cm以下の結節あり

2cm以下の嚢胞あり

経過観察 35.3% 43.1%

0.5cmを超える結節あり

2cmを超える嚢胞あり

二次検査 0.5% 0.6%


嚢胞も結節もない正常な子どもの割合は平成23年度に比べて7.9%減少しました。


さらに1999年度(※2)長崎県の子供の甲状腺検査結果の資料(※3)がありますので3つの検査結果を比較してみます前回と同じ方法 で結節を対象外にして嚢胞のあり、なしで表をつくりました。この3つの資料は、山下俊一放射線健康リスク管理アドバイザーが中心になってまとめたものです。


実施年度 1999年 2011年 2012年
地域 長崎県 福島県 福島県

嚢胞なし

99.2%

64.8%

56.9%

嚢胞あり

0.8%

35.1%

43.1%


【長崎県1999年と福島県2012年との比較】

つまり嚢胞ありの甲状腺に問題が見つかる子供の割合は、長崎県では1%未満だったのに対して、2012年の福島県はその43倍もあったということです。

逆を言えば長崎県の場合、嚢胞なしの正常な子どもが99%なのに対して、2012年の福島県では56%まで減少しています。


【福島県2011年と福島県2012年との比較】

たった1年で正常な子どもの割合が7.9%も減ったということでしょうか。それとも、小児甲状腺がんの原因になる放射性ヨウ素については、2011年調査対象の浜通り北部や中通り北部よりも福島市のほうが汚染されていたということでしょうか。どう考えたらいいのか、わかりません。


【2013年3月11日加筆】

長崎の検査結果の論文では結節については5mm以上を陽性と定義がありますが、嚢胞については定義自体が存在しないため、福島県の検査結果でいう「B」判定のみを指しているのではないか?とのご意見をk様からいただきましたので。加筆しておきます。ご意見をいただきましたk様に感謝です。


Nodules more than 5 mm in diameter were considered to be "positive".


※現在、この資料の比較については嚢胞の定義自体が存在しない為に、定義をどう解釈をするかで見解が真っ二つにわれています。どちらの見解を支持するにしても、必要なのは中立的な信用できる医療機関での検査です。これを読んでいるすべての人へ…大人も含めて甲状腺と血液の検査をおすすめします。


私が子供及び大人の避難者の方に聞き取りした感じでは、嚢胞や結節のある人は3~4割程度、血液に異常がある人が1~2割程度でした。


残念ですが現実に甲状腺がんの診断を受けた方も何名かいます。但し、甲状腺がんは10年後の生存率が極めて高いがんですので失望する必要はありません。現実を知ればいくらでも対処法を探すことができます。


繰り返しますが、必要なことは、日本政府や福島県など政治の影響を受けていない中立的な医療機関での検査です。無料であっても偏向していれば何の意味がないですし、もないでしょうから。


※1http://www.pref.fukushima.jp/imu/kenkoukanri/240911siryou2.pdf のPDF3枚目。


※2前回の記事は西暦表記でしたので「2000年」としましたが、今回の福島県の検査結果と会わせる為、年度表記にしたため「1999年」となっています。


※3https://www.jstage.jst.go.jp/article/endocrj1993/48/5/48_5_591/_pdf

2012年9月11日福島県は、県民健康管理調査の検討委員会(座長は山下俊一福島県立医科大学副学長)で、甲状腺の検査をした子供のうち1人が甲状腺がんだったことを発表しました。


福島県の子供達の甲状腺の検査は、まだ始まったばかりです。対象者は、2011年3月11日時点で0歳~18歳だった者(約360,000人)で、2012年9月11日現在、検査対象の22%約80,000人の一次検査が完了しただけです。


この一次検査が完了した80,000人のうち、0.5%にあたる425人が二次検査(精密検査)が必要とされ、二次検査(精密検査)が必要な425人のうち、精密検査が実施されたのはまだ60人、このうちの1人が甲状腺がんだったということです。


甲状腺がんの子供が見つかったことについて、調査担当の福島県立医科大学の鈴木真一教授は


チェルノブイリでも甲状腺がんは最短4年。福島では広島、長崎のような外部被爆や、チェルノブイリのような内部被曝も起きていない


と話し放射能との因果関係を否定しました。この見解を構成する2つの文章についてそれぞれ考察してみようと思います。


【1】チェルノブイリでも甲状腺がんは最短4年


福島県立医科大学の鈴木真一教授がこの根拠としていると思われる資料は、山下俊一福島県立医科大学副学長がまとめた「チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん※1」に登場する3枚目のスライドです。そのスライドは、チェルノブイリ原発事故の汚染地帯にあるベラルーシ共和国の資料で、10万人あたり何人が甲状腺がんの手術をうけたかが記録されています。この資料のうち、18歳以下の手術症例数だけ抜粋して表にしてみます(小数点以下は切り捨て)。


『ベラルーシ共和国10万人あたりの小児甲状腺がん手術数』


チェルノブイリ事故から小児甲状腺がん手術数
0年0人
1年0人
2年0人
3年0人
4年1人
5年2人
6年2人
7年3人
8年3人
9年4人
10年3人
11年3人
12年2人


なるほど確かに4年目から増えています。小児甲状腺がんは100万人に1人と言われていますので、10万人に1人になった時点で通常の10倍も患者が多いということになります。


もう一つ、山下俊一福島県立医科大学副学長の別の資料「チェルノブイリ原発事故後の健康問題※2」を見てみましょう。この資料はベラルーシ共和国のなかの、汚染のひどいゴメリ州の小児甲状腺がん患者数がわかります。上の表と比較するために同じように抜粋します。


『ベラルーシ共和国ゴメリ州の小児甲状腺がん登録数』


チェルノブイリ事故から小児甲状腺がん患者数
0年1人
1年 4人
2年 3人
3年 5人
4年15人
5年47人
6年35人
7年45人
8年56人
9年63人
10年57人
11年66人
12年52人


なんでチェルノブイリ原発事故から0年、最初の表ベラルーシ共和国全体で0人なのに、この表ベラルーシ共和国のゴメリ州の資料だと1人になるんだ。ヘンじゃないか、と思われるかと思いますが、上の表は比率でしかも小数点以下切り捨て、この表は実際の人間の数だからです。


チェルノブイリ原発事故の-1年前、1985年も小児甲状腺がんは1人でしたので、0年も平常として青く1人としました。


この表でも確かに4年目から小児甲状腺がんは、急増しています。しかし、1年、2年、3年を見て下さい。平常よりは増えているのです。数人は誤差の範囲と言われればそれまでですが、増えているのは事実です。


私個人的には、今の福島県はこのグレーゾーンの上にあるように思えてなりません。もちろん、日本全体で見れば上の表のように今のところ統計上わからないほどの小さな数字でしょうが。


【2】福島ではチェルノブイリのような内部被曝も起きていない


内部被曝は、(1)放射性物質があり、かつ(2)人間が体内に取り込むことで成立します。


(1)放射性物質はあった


国際的な尺度でいえば放射性物質が


京ベクレル(10,000,000,000,000,000)


外部に放出されれば、もっとも深刻な事故としてレベル7と判定されます。


2012年5月24日に東京電力が発表した放射性物質の大気中への放出量は102京ベクレルあり、レベル7の基準の100倍です。※3


今回は甲状腺がんとの関係で被曝を論じていますので、甲状腺がんの原因となる放射性ヨウ素、特に放射性ヨウ素131をピックアップします。福島第一原発事故で放射性ヨウ素131は、50京ベクレルと大気中への総放出量の半数をしめ、もちろん福島第一原発事故でもっともたくさん出た放射性核種です。


チェルノブイリのような…と鈴木真一教授が比較していますので放射性ヨウ素の放出量をチェルノブイリと福島とで比較してみます。


『放射性ヨウ素131、大気中への放出量』※4


福島第一原発事故チェルノブイリ原発事故
50京ベクレル176京ベクレル

放出量だけ比べると、福島第一原発事故の約3倍の放射性ヨウ素を、チェルノブイリ原発事故は出したことになり、チェルノブイリよりは、たいしたことがないようにも思えます。


しかし人口密度はどうでしょうか。ベラルーシ共和国、ウクライナ共和国と比較してみます。


『1平方キロメートルあたりに何人、人がいるか?』※5


日本ベラルーシウクライナ
339人50人39人

日本の人口密度は、ベラルーシの6.7倍、ウクライナの8.6倍あります。放出量がたとえチェルノブイリの1/3だったとしても、その6~8倍人口密度が高ければ油断できないのではないか?ということが見えてきました。


(2)人間が体内に取り込む


人口密度だけでは机上の空論になってしまいますので、具体的に福島第一原発事故当時、放射性ヨウ素がどのように拡散したかを映像で確認してみます。独立行政法人の海洋研究開発機構の滝川雅之氏らの放射性ヨウ素拡散シミレーションの一部です。



※再生を押しても画面が真っ白な場合には右下にある全画面表示を押すと閲覧できます。


この動画を見てわかることは、放射性ヨウ素が2012年3月11~15日の間に少なくとも福島県、茨城県、栃木県、群馬県に高濃度で飛来していたということです。


これらの地域で避難勧告が出ていたのは、福島県でも双葉郡や南相馬市など一部にすぎません。東日本大震災の影響のなかった地域ではほとんどの人が、放射性ヨウ素の危険性を知らずにいつも通りの日常をすごしていたのではないでしょうか。


つまり、人間がいたのです。


同じくこれらの地域で、放射性ヨウ素による放射線障害予防のための安定ヨウ素剤を全住民に配布したのは福島県の三春町だけです。この状況で放射性ヨウ素を体内に取り込まなかったと主張するほうがおかしいのではないでしょうか。※6


なお事故当時、南関東や東京に住んでいた子供達の甲状腺に結節や嚢胞が見つかったとの連絡をうけています。少なくともと上で留保したのはそのためです。


福島県より北については、情報が不足しているためわかりません。少し参考になるのが2011年9月21日に公表された文部科学省作成の「ヨウ素131の土壌濃度マップ」です。一部調査が福島県を越県しています。これを見ると少なくとも宮城県南部に放射性ヨウ素が飛来したことがわかります。それから紫の部分は、非可住地域をあらわすだけですから、放射性ヨウ素とは無関係です。※7


福島県からの★自主避難者として生きる-ヨウ素131の土壌濃度マップ


放射性ヨウ素の資料が少ないのは、半減期が8日と短いのと…なにより国の対応が遅かったためです。ですので、未成年の子供さんがいるご家庭でもし不安があるなら南関東や東京の人達がやったように定期的に甲状腺の検査をすることが安心材料です。


なお放射性ヨウ素による小児甲状腺がんの患者数を、チェルノブイリ原発事故当時何歳で被曝したか?で分類した資料※2がありますので、わかりやすく抜粋してこの記事を締めくくります。それから小児甲状腺がんは、治療法がある程度確立しています。過度に心配する必要はありません。


『ベラルーシ共和国ゴメリ州年齢別小児甲状腺がん登録13年分の合計』

事故当時の年齢患者数合計
17歳11人
16歳12人
15歳13人
14歳12人
13歳12人
12歳2人
11歳12人
10歳12人
9歳18人
8歳23人
7歳19人
6歳36人
5歳44人
4歳39人
3歳56人
2歳55人
1歳55人
0歳16人


※1「チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん」と3枚目のスライド出典へのリンク


http://depts.washington.edu/epidem/Epi591/Spr09/Chernobyl%20Forum%20Article%20Cardis%20et%20al-1.pdf※リンク切れ

※2チェルノブイリ原発事故後の健康問題リンク先のページの一番下にある表2から抜粋。


※3チェルノブイリ原発事故、放射性ヨウ素131は176京ベクレル


http://www.oecd-nea.org/rp/chernobyl/c02.html


※4福島第一原発事故、放射性ヨウ素131は50京ベクレル


http://www.tepco.co.jp/cc/press/2012/1204619_1834.html


※5面倒くさいのでウィキペディアの数字そのまんま使いました。


※6福島県内の市町村のヨウ素剤への対応。三春町は配布していたヨウ素剤を独自の判断で3月15日13:00に服用指示。富岡町は3月12日希望者にヨウ素剤を配布。楢葉町、双葉町は配布はしたが詳細は不明。いわき市は、18日から順次配布したが服用指示はでなかった。http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/03/post_3382.htmlhttp://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/03/post_3383.html


※7http://radioactivity.mext.go.jp/ja/contents/6000/5047/24/5600_0921.pdf

前回の東日本大震災時の報道映像のまとめ をご覧になった皆さんは、市民科学者の藤田祐幸(ふじたゆうこう)さんの名前を忘れられない人も多いかもしれません(最初の動画の8分30秒より出演)。


東日本大震災から5時間が過ぎたフジテレビの生放送に電話出演した藤田祐幸さんは、たった2分20秒のキャスターとのやりとりを通じて予言のごとく、これから起こるであろうことを的確に視聴者に伝えられました。


①メルトダウン

②水素爆発


たった2分20秒やりとり…これを当時見たり、聞いたりできたかが、避難する避難しないの明暗をわけたという避難者も多いです。


念のため、映像を見ていないかたのために全文抜粋します。




2011年3月11日20:06分 フジテレビ生放送より  


安藤優子キャスター

「原子力発電所の今後の安全確保について、専門家であります藤田祐幸(ふじたゆうこう)さんと電話がつながりましたので聞いてみたいと思います。藤田さん、今現在ですね原子力緊急事態宣言というものが出されまして自動停止しています(福島第一)原発について、冷却という作業が行われるための電力の確保といった事態になっているのですが、今どういう状況で、何がどう行われているとご覧になれますか


藤田祐幸氏

「原子炉というのは非常に高温にありますので、冷却を続けなくちゃいけないんですね。原子炉が緊急停止して発電が止まったとしても、原子炉の冷却をしないと原子炉がメルトダウンという状態になります原子炉それ自身が溶けてですね、水に触れたりすると水蒸気爆発を起こしたりして大災害になります。それを防ぐために今たぶん電源車が向かってると思いますけれども、すでにメルトダウンの状態にはいっているのではないか…ということをたいへん心配しております」


安藤優子キャスター

ということはですね、冷却がおこなわれておらず、炉心の溶解といっていいんでしょうか…メルトダウンの状況がもうすでに始まりつつあるのではないか?このような状況を藤田さん自身は心配されている…」


藤田祐幸氏

非常に緊迫した状況にあるというふうに思っております」


安藤優子キャスター

「そのように推察される何か根拠というものはあるんでしょうか、時間的な根拠というのは?この地震が発生したのがですね午後2痔46分過ぎでした。それからですね、もう(東日本大震災から)6時間近くが経とうとしてるわけなんですが、そうした時間の推移というのはどのような影響があるんでしょうか?」


藤田祐幸氏

「もう、こういう場合には1分1秒という単位で物事が進行していくんですね。ですから6時間という時間は大変長い時間で、現場ではたいへんいろいろ苦労しておられると思いますけれども、もう一刻も早く電源を回復すること、そして冷却を再開すること。それができなければ非常に大きな災害になる可能性があります」


安藤優子キャスター

「なるほど、わかりました。とにかく電力車が全速力で現地に向かってるということで、電力を確保する、冷却を始めるということが大切だということが判りました。藤田祐幸さんに伺いました。ありがとうございました」