寝たきり社長『ありがとうの価値観』 | こどもの未来をまもるピアサポグループ Mirai terrace+

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こんにちは!

お越しいただきありがとうございますキラキラ

 

 

藤丸です

 

 

中日新聞で連載されている

 

 

寝たきり社長の

上を向いて

 

 

8回目の連載

タイトルは

 

 

『ありがとう』の価値観

 

 

これを連載している

寝たきり社長って

どんな方を想像しますかはてなマーク

 

 

脊髄性筋萎縮症という

重度の障害を持たれていて

親指がかすかに動かせるという

 

 

東海市在住

『株式会社仙拓代表取締役』

佐藤 仙務(ひさむ)さんという方です

 

 

東海市にあった事務所を

最近名古屋駅近くに移転したそう目

 

 

 

以前、身の回りのサポートを

されていた行武 亮太郎さんと

一緒に伺った時の写真ウシシ

 

 

仙拓さんに名刺を

作っていただいた時からの

ご縁ですほっこり

 

 

ドキュメンタリー番組

ガイアの夜明けに出演されたり

本を出版されたりしてる

実業家さん目

 

 

 

その寝たきり社長

仙務(ひさむ)さんが

書いた新聞の記事がこちら


 

私には子供のころ

大嫌いな言葉があった

 

『ありがとう』

 

ひねくれ者と思われそうなので

弁解しておきたいのだが

私なりの理由がある

 

 

(省略)

 

 

特別支援学校に通っていた

 

 

(省略)

 

 

私はその中でも

特に障害が重かった

 

 

トイレ、給食、教室の移動

授業だけではなく

日常動作のすべてにおいて

先生のサポートが必要だった

 

 

私は子どもながらに

心が重かった

 

 

別に誰かに手伝ってもらうことが

イヤだったわけではない

障害児として生まれたことを

悔やんでいたわけでもない

 

 

毎回必ずやってもらったことに

お礼を言わなければならない

重圧がイヤでたまらなかった

 

 

(省略)

 

 

私の場合は誰よりも

手伝ってもらったので

その数は(一日に)数百回

というレベルだった

(省略)

 

特別支援学校の先生と

障害児との間には

普通の学校では

考えられないほど

 

 

絶対的な強者と弱者の

壁がある

 

 

先生たちは基本的に

 

『お礼を言わないと

介助をしない』

 

というスタンス

 

 

そして、お礼を言ったところで

二コリともしない

先生たちばかりだった

 

 

『僕は一生お礼だけを

言いながら生きていくんだろうか』

 

 

そんなふうに考えたこともあった

 

 

子どもながらに

自分は誰かの手伝いがなければ

生きていけない存在なのだと

いうことを強く意識させられた

 

 

しかし、高校生の時

私の中で『ありがとう』の

価値観が180度変わった

 

 

きっかけは

ある先生との出会いだった

 

 

 

続きが気になりますが

今回の連載はここで終わりほっこり

 

 

幼い頃の仙務さんにとって

ありがとうって言葉は

 

 

してもらったら

言わなくちゃいけないこと

だったんですね

 

 

条件付きのありがとう

を言わされること

 

 

ってもう、ありがとうじゃないイヒ

 

 

 

でも、この話の続きには

 

 

それをひっくり返す

出来事があったのでしょうね

 

 

お忙しくされていて数えるほどしか

お会いしてませんが

 

私の知ってる仙務さんは

気さくで

周りへの気遣いがある方です

 

 

伺ったとき

『来てくれてありがとうございます』

と言ってくれました

 

 

続きのエピソードを

早く知りたいところですチュー

 

 

私は、何かをしてもらった時に

『ありがとう』を言うようにしています

 

 

有り難いと思うからニコ

 

 

私にもありがとうの価値観が

ひっくり返るエピソードがあり

 

当たり前の日常を

送れることに感謝していますニコニコ

 

 

 

 

ここまで読んでいただき

ありがとうございました

 

 

藤丸でした