おとといの帰寮日。
珍しく雨となり、荷物を寮に運ぶのが大変でしたが、何とか無事搬入。
ハウスマスターとも新年のご挨拶ができ、
息子達とハグしてしばしのお別れ。
学期替わりの帰寮日には、
残念ながら、学校を去る方もいらっしゃいます。
それはとっても寂しいことですが、
理由は大きく分けて3つ。
1.長期休みで里心がついた
2.学校が思っていたのと違う
3.自分の将来の進路を見据えて留学や転学
私としては、3は心から応援したいことです♡(*´艸`)
自分の将来を真剣に考え、悩んだ末に出した結論なので。
ただし、親主導でなければ、ですが(^_^;)
2は、情報や認識不足、そして覚悟不足もありますが、
念入りに情報収集していたとしても起こりうること。
ですが1とともに、とてももったいないなあ、と思います。
というのも、世の中にはそんなことはいくらでもあって、
自分が納得いかない時に、
「どう対応するか、を学べる機会」だと思うからです。
もちろん、精神的に支障をきたして、日常生活に影響がある場合は別、です。
「逃げれば恥だが役に立つ」じゃないけど、
生きるために逃げることが必要な時もあるからです。
ですが、そうでない場合に安易にそれをしてしまうと、
「乗り切る力」を身につけることができません。
生きていくために必要な、
「工夫する力」とともに。
そう、
「逃げる」は最後の手段!!
「嫌だ」ということに対してのストレスが人間を強くするし、
経験値を上げることにもなる。
そう思って親も腹をくくって見守れるか、問われる時もあります。
つまり、親子ともに試練の時。
お子さんは目の前の現実と向き合い、
親はそれを見守る苦しさを味わう。
ですがそこを支えて乗り越えた時、
本人は「あのつらい時期を乗り越えられたのだから」と
自信を得ることができ、
見守ってくれた親への感謝と信頼関係も深まります♡
「イヤならしなくていいよ」と、
ただ甘やかすだけでは何も身につかないし、
ぬるま湯な環境下では茹だったカエルになり、
気が付いた時には死が迫っている(=手遅れ)となりかねません。
(※茹だったカエルとは、2匹のカエルを、
一方は熱湯に、もう一方は緩やかに昇温する
冷水に入れると、前者はすぐに飛び跳ねて
脱出・生存するけど、後者は水温上昇に
気づかずに死ぬ、という比喩)
そもそも、自身のお子さんを
「乗り越えられる力がある」と信頼していて、
「何を身につけて欲しくてこの学校を選んだのか」
を忘れなければ、ブレることはないと思います(*^^*)
だからこそ、子供の主張の本質を見極めることはとても大事。
目の前の現実を親が、
「子供の経験値を上げる機会」と捉えて寄り添いつつ見守るか、
単なる「子供を悩ませるイヤなできごと」として捉えて言いなりになって甘やかすかによって、
同じできごとから得られる結果も人間的成長も変わってきます。
これは、目の前の現実を
「すべて自分の思考の結果」と自分中心に捉えられるか、
「○○のせい」と自分以外に原因を押し付けて責任を取らないか、
という、親の意識の在り方次第です。
そしてその意識、姿勢は、
親に反発しているお子さんを除き、
見事にお子さんに継承される可能性が高い。
だから、辞める決断の理由が、
単なる「イヤ」という感情や、
「○○のせい」でなければいいな、と祈るのみです。
その場合、後々うまくいくことはないので。
他に改善できることはないか?
それをすでにやってみたか?
本当に限界なのか?
すべて自分が選んで決めること。
だから学校を去ることにいい悪いはないです。
その結論を出すまで苦しかったと思いますし。
個人的な寂しさがあるだけで。笑
その決断がプラスとなる未来となりますよう、
応援しています♡