短編生活小説「面倒な日常――ポンコツ検索エンジン搭載バージョン」 | 春風ヒロの短編小説劇場

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春風ヒロが執筆した短編小説を掲載しています。

「ムケーレ・モベンベ」
 夕食中、向かいの席に座った夫がいきなり言った。
「……は?」
 私は沢庵をつまみ上げたまま手を止め、心の中で(ああ、また始まったよ)とつぶやく。
 夫はしばらく中空を見上げていたが、やがて軽く首を振ると、里芋の煮物とご飯を交互に口へ運ぶ作業を再開した。

 時折、夫が意味不明の単語をつぶやくのは、いまに始まったことではなかった。
 食事中だったり、風呂の中だったり、車の運転中だったり……。だいたい、何かをしている最中に、ふと、何の脈絡もないことをつぶやくのだ。
「超ひも理論」
「フィアンマ」
「ムニマユ」
「2千年前の蓮の実が花を咲かせたことがあるじゃないか」
 いや、夫曰く、厳密には、まったく完全に脈絡がないというわけではないらしい。何らかのきっかけがあって脳内のキーが起動し、インスピレーションと情報が結びつく。ところが、そのきっかけというのが、あまりにも突拍子もないものなので、私には脈絡がないとしか思うことができないのだ。
 加えて、何かのきっかけで浮かんできた断片的な情報が、あまりにも細かすぎて、自分でもそれが何なのか思い出すことができない。結果として、意味不明の独り言をいきなりつぶやくという、日常的奇行が繰り返されてしまうのである。

 たとえば、冒頭の「ムケーレ・モベンベ」。正確には「モケーレ・ムベンベ」である。中央アフリカの湖に住む未確認生命体(UMA)で、現地の言葉で「川の流れをせき止めるもの」という意味があるらしい。
 夫が毎日チェックしている食べ歩き・飲み歩き系のブログで、なぜかこの「モケーレ・ムベンベ」の話題が出ていて(そもそも、飲み屋紹介のブログでどうしてアフリカのUMAが出てくるんだ!)、夕飯を食べながら、ふとその単語が脳内に浮かんできたらしい。
 ただ、その「モケーレ・ムベンベ」がうろ覚えだったために「ムケーレ・モベンベ」となり、具体的にそれが何を意味する言葉だったのか思い出せないために、(ムケーレ・モベンベって何だったかな……?)という思いが、不意のつぶやきとして表出したようだった。
 ちなみに、「超ひも理論」は物理学の仮説の一つ。「フィアンマ」は『とある魔術の禁書目録』というライトノベルの登場人物。「ムニマユ」は「無二馬油」で、馬油を使った化粧品。「2千年前の蓮の実が~」というのは、円谷プロの特撮シリーズ『ウルトラQ』に出てくるセリフ、らしい。
 それもこれも、全部自分で調べたのだ。
 夫はつぶやいて、その後、何の説明もしないままほったらかしにしてしまうことがほとんどである。こちらとしては、頭の中に無数の?マークを溜め込んだまま、モヤモヤし続けるしかない。自分で調べるのは、せめてもの消化不良解消法だった。幸い、いまはスマホで検索すればすぐに答えを見つけることができるから、まだマシだ。スマホを持っていなかったころは、わざわざその単語を調べるためだけにパソコンを起動させて、検索しなくてはいけなかった。
 まったく、面倒な日常だった。

 ちなみにこの夫、普段の仕事はパンの移動販売である。
 スーパーの駐車場の片隅などを借りて、焼き立てメロンパンやプチクロワッサンを売っている。
 これが雑誌か何かの編集者だとか、大学の研究員だというのなら、自分の専門分野や関連分野に詳しいというのは理解できる。また、取材したり、情報収集のために本を読んだりして、知識を広げる機会もあるだろう。
 しかし、この夫は違う。メロンパンを焼きながら、ふと「ヒョギフ大統領の貴重な産卵シーン」などという、某お笑い芸人のネタに出てくる意味不明なセリフを一人でつぶやいているのだ。
 彼の脳内には、微妙にポンコツな検索エンジンが搭載されているのだろうと、私は思う。
 その検索エンジンがうまく働いているときはいい。
 たとえば、「国正って知ってる?」と聞けば、「地名のほう? それとも堀川国正(日本刀)?」と聞き返される。
「チャッキーって、最後はどうなったっけ?」と聞けば、「1(チャイルド・プレイの1作目)の最後では、火をつけられて、銃で撃たれて、さらにバラバラにされてたね。2では……」と、映画の解説が始まる。
「日蓮上人って、比叡山で修業して天台宗を修めたのに、どうして日蓮宗を立ち上げたの? 天台宗でも、法華経を唱えてるんでしょ?」
「それを考えるためには、当時の比叡山の状況や、社会情勢をまず踏まえないといかんね。そもそも当時の比叡山は――」
 この質問をした時のことは、いまでもよく覚えている。
 約90分にわたって日蓮の生い立ちや日蓮宗の成り立ち、教義、法華経の内容について延々とレクチャーされることになってしまい、(馬鹿なことを聞いてしまった……)と後悔したからだ。ちなみに、夫も夫の両親も、日蓮宗の信徒ではない。そのくせ、中途半端な信徒以上にやたらと詳しい解説ができるのは、夫曰く、「たまたま調べる機会があったから」らしい。移動パン屋が、いったいいつ、どこで、日蓮について「たまたま調べる機会があった」のかは、まったくもって理解に苦しむのだけれど。
 要は、彼の脳内検索エンジンが、ある日突然勝手に何らかの情報を検索して、そのままフリーズしてしまうらしいのだ。
 検索するだけしたくせに、答えが出てこない。
 その結果、(あれ、○○って何の略だったっけ……?)という漠然としたモヤモヤだけが残ってしまう。

 まあ、いいか。
 面倒な人ではあるけれど、きちんと仕事をして家族を養ってくれているのは間違いないのだし。
 たまに妙な独り言を口走るぐらい、どうってことない。
 そう、ほんのちょっとだけ、私がモヤモヤすればいいだけのことなんだから。
 たとえば、そう、ほんのちょっとあれが……。あれ……そういえば、あれって何だったっけ……?
 えーっと、あれよあれ、あの……あ、そうそう。
「――KOSPI、って……何だっけ?」


本作は某コミュニティサイト内で投稿されたお題に基づいて執筆したものです。
本作のお題は「日蓮上人、蓮、両親」でした。