古き八十男のタイムマシン  1989年の株価最高値の前後の思い出 | 長谷川 忠康 オフィシャル・ブログ

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1989年12月29日の大納会に38915円の最高値で平均株価は終わりました。

 

その日は私が担当していた大手投資家に挨拶回りをしていました。

会社に戻って、最高値を確認しましたが、同時に会社のすべての意思決定にかかわっていた、最高経営者が倒れたという知らせが伝わってきました。その後、年明けて社内は後継者選びを巡るあわただしい動きがあったことを後で知らされることになりました。

 

その時は38915円が最高値に終わるとは神のみぞ知るという状態でした。バブルが膨らんでいたことは関係者はうすうす感じていましたが、バブルははじけるまでは誰も予想できません。

 

その兆候が見え始めたのは、春になって、地価公示調査が発表された時からです。バブルの正体は不動産価格の上昇が一つの要素でしたが、上がり続けた地価に陰りが出始めました。

 

その後、大手投資家と協議を重ね、1990年内に株式投資から全面撤退する方針を確認しました。

1990年の株価はどうなったか。
1990年2月26日には33322円まで急落しました。
4月2日には28002円、9月28日には20984円に達しました。9か月で46%の下落となりました。
上昇時のテンポに比べると下げ相場は、まさにつるべ落としでした。

年末には投資家からは損失は最小限に抑えられたという報告がありました。

 

一方で、社内では最高経営者の後継者をめぐるあわただしい動きが続いて、バブル崩壊よりも社内人事に奔走する現象が見られました。その後、小生も人事異動の対象になり、海外セールスに引き出されることになろうとは夢にも思いませんでした。

 

まさに激動の一年になりました。