常識について考える。 | 堕落と自由と哲学者

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何かしらの確認用です。

常識とは、時代や文化や宗教、国によって当然違うものである。それでも人々は常識を押し付けあい、多数派こそが常識であり正義であると錯覚するのだ。

常識、一般、普通、倫理観…あと何があるだろ。
あっ、数の暴力か。
けど、常識ってのが成長すると条令や法律になるわけで、一概に暴力でもないのかもしれない。

人は遺伝子と環境で育つ。
環境には気象や文化、時代背景などが含まれるんだけども。
この文化ってのが曲者だよね。
自然に淘汰されて常識になっていくんだろうけど、文化って掴みにくい。

○年度の統計結果を文化としますとか言われた方がわかりやすい。

とか言う自分も常識に囚われているわけですが。
人からどんなに破天荒だと言われようが、自分のことを常識人だと思ってるわけで…。

いや、待てよ。

常識外れが集まれば新しい常識が生まれるように、自分の周りだけで常識を判断するのはとても危険なことなのではないか。

あー、またゲシュタルト崩壊。


常識とか関係なくさ。
いつの時代も、大事な人を傷つけちゃいかんよね。

これだけは守っていきたいマイ常識だなぁ。



ん?常識ってなんだっけ?