誤解について考える。 | 堕落と自由と哲学者

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何かしらの確認用です。

誤解をあたえる。誤解をうける。誤解をうむ。つまりは互いの理解不足。それ以上も以下もない。

なんて大口叩いてますが、よく誤解されます。
相手の理解力云々の話ではなく、単純に説明過多になってしまうからであると自己分析。
説明過多だと相手に想像する隙を与えないので、優しさや愛なんていう朧気なものは伝わりません。

つい最近知りました。

言葉足らずになることがないということが、人との関係を築く上で弊害になるとは思いもせなんだ。

あと、相手が上手く説明出来ない時ササッとまとめてしまう。
これも良くないらしい。
相手にも達成感が必要らしい。
言葉少なくとも、互いが理解しあっていると思い込める関係性こそ信頼なのでしょう。

なんて難しいんだろうか。
約款読まずに、なんとなくこの会社信用出来る気がするって判子押しちゃうようなもんじゃんか。

いや、人対人の関係と契約をごっちゃにするのが悪いのか。
けど結婚とか契約以外の何でもないし…。

きっと、ふんわりとした会話から愛を読みとる力がないんだろうなぁ。
日本語難しいもんね。



誤解を恐れずいうならば、自分は誤解されることや、誤解することさえも楽しめる人になりたい。