11月末。
季節はずれの台風。
家の中では昨日の夕方から、外よりも嵐がすごかったです。
父の状況が最悪のピークに達し、
本人はもちろん、
母、兄二人と私、みんなほとんど寝ていませんでした。

そんな中、
うちの猫が今朝亡くなりました。
17歳2ヶ月くらいのご長寿でしたし、
私の帰国を待ってもらえて満足なはずですが、
やっぱり悲しくて仕方ありませんでした。
ここ最近あまり、面倒を見てやれませんでしたから。

実は少し前に猫の顔になぜか傷ができ、
薬を塗ってあげても治らなくて、
ずっと気になってはいました。
このままじゃだめだと、
動物病院に行って
炎症を抑える飲み薬かなんかもらってこなくちゃと思いながら、
毎日父のことでいっぱいいっぱいで、
偶に外出しても、猫のことを忘れちゃって、
家に帰ったら「あっ!」と悔やんだりして。

台風の寒い朝に耐えられなかったんでしょうか。
きっと傷が痛かったと思います。
飼い主失格ですね、いくら父のことがあっても。

最後の思い出も嫌な記憶で、
私の不注意で猫の足をドアに挟んじゃって、
「にゃ!」って言ったのに、
別のことで慌てていた私は、
ろくに撫でたりもしないで
その場を去っていった自分しか思い出せなくて。

長年待ってもらったのに、
帰国したばかりのときくらいしかちゃんと面倒を見ませんでした。
私が現れると猫がいつも以上に甘えてうるさく鳴くって、
家族に文句を言われていたのに。

昼過ぎに、家族はみんな疲れ切っていてし~んとしている中、
一人で「お葬式」に出してきました。
母には休んでもらいたいですし、
同じく猫をかわいがっていた次兄は、
たぶんこういうことが苦手なんだろうと思い、
今日は誰とも相談せずに、こっそりと一人で決行しました。
末っ子の私は、いつも家族の意見にしたがってきましたが。

ネットで調べ出した、ある市立の組織に火葬を頼むことにしました。
いつもダラダラして訳もなく用事を先に延ばしたりする私でしたが、
自分でもびっくりするほどの効率で動きました。
アリなんかに噛まれるのが嫌ですから。
今日は寒くてジメジメしていますし、
清潔でさっぱりしててふわふわして暖かい場所に
早く連れていってあげたかったです。

留学する前に、よく羽織っていたナイトガウンがあります。
寒い夜には時々それに猫と一緒に包まってソファに座っていました。
その二人の思い出のガウンに、猫を包みました。
猫はまだ柔らかくて軽かったです。

火葬場の方は気を遣ってか、
物静かな態度で受け付けてくれました。
簡単すぎた手続きにびっくりして、ちょっと慌てちゃいました。
えっ?もうお別れかと。

帰りに電車に乗っていると、
携帯にMちゃんからメールが入りました。
「ミク(猫の名前)は君に見送られて寂しくなかったと思うよ」って。
大粒の涙がぽろぽろと落ちていきました。
窓の外を眺めて、
「静かに涙を流すのってこんな泣き方のことなんだな」と
しばらくぼんやりとしていました。

バスを降りて歩いていると、
傘を持っていくつもりだったのに忘れていたことに
初めて気付きました。
雨はいつのまにすっかり上がりましたし、
いずれ、体の芯までもうびしょびしょでしたから。

家に帰ったら、母が出迎えてくれて、
「一人で行くなんて」って、一緒に泣いてくれました。

冷蔵庫を開けると半分食べかけのミクの缶詰があって、
まだ目を赤くしてしまいました。

ジメジメした一日だったな。
というタイトルをつけてみましたが、
蓋を開けてみたらちょっと暗い話。
タチが悪くてごめんなさい。(笑)

でもやっぱり、タバコの箱に印刷されている警告のように、
「一応」は書いておきたいですね。
「暗い話がちょっと」という方、ご遠慮なくパスしてくださいね。

1歳3ヶ月の甥は、気に入った全てのものにキスします。
その相手は、普通に人や、好きな人の写真、
鏡に映った自分(小さなナルシスト)から、
プラモデルのトラックの絵などまで幅広いです。
車の絵と、人間に対して似たような行動をするのって、
私にはちょっと不思議なことです。

で、父の話になってしまいます。
こんなに赤裸々に書くことに少し戸惑いもありますが…

父の認知症(たぶん血管性の)からの被害妄想が非常に深刻で、
家族全員は全くお手上げです。
ことばを用いると99%敵意を引き起こしてしまいます。

認知症は場合によって、患者を正反対の性格にするのって、
どうやら本当らしいです。
どの角度から見ても礼儀正しい父なのに、
いまは非常に怒りっぽくて、
言葉遣いも全然別人になってしまっています。

まだ混乱していた時期に、
「この親不孝め!」と罵ったかと思うと、
またすぐに「お父さんは君たちに一生申し訳ない。」と
謝ったりしました。
自分の症状を分かっていて、
それがうつ病に繋がる老人もいるという文章を読んだだけに、
父がいちばん辛いんじゃないかと悲しくて。。。

病気だから、「親不孝」と怒鳴られてもこちらは平気ですが、
「なんて親不孝な娘を持っている!」と
激怒している父が気の毒で仕方ありません。

それから、父がすやすやと寝ているとほっとする自分が、
罪悪感まではいかなくても本当に淋しいです。

ここ何日はさらに深刻になり、
仕方なくなって、言葉をあきらめて、
ボディランゲージに切り替えてみたら、
そちらのほうが良さそうだということが分かりました。
胸や顔を撫でたりしても、そんなに怒りません。
甥からヒントを得て、
頬にキスをしてみたら、「謝謝」と言ってくれました。

夕べもまた大混戦でしたが、
合計4回頬にキスすると、
ちゃんと4回分「謝謝」と言われました。。。
表情は険しいままでしたが。

通じるかわからない思いが、
通じたように思えると感動ですね。

「好きだからキスするんだよ。」
父には、「家族に嫌われている」と思ってほしくありません。
実際、愛されていますから。

それでも魔法のキスなんて存在しないと思っている自分に苦笑い。

あるいは、好みの問題だけなのかもしれませんが、

家族の間でも、恋人の間でも、

「君さえよければ」という言い方が、

あんまり好きじゃないなぁ・・・

そのアンバランス感が、嫌かな。


ケースバイケースで一概には言えませんが、
そこから、何かあきらめみたいなものを感じ、
気が滅入るので、
自分が言われたときに、
そこから思い遣りを感じることがいつもできませんでした。


自分は、たとえ心でそう思っても、
口にしないようにしたいと思います。

尊敬している方からいただいたお手紙にあったことばです。


「疲れているとき、みんなもそうですから、一寸だけがんばりましょう。」

父の話の次は、母?(笑)

今日は母の誕生日。
Mちゃんがお祝いに泊まりに来るので、
母は朝早く美容院に出かけました。

私がドライヤを掛けている隙に、
父が一人突然消えてしまいました。
「雨なのに?!」
おかしくなって初めて一人になったので、
超ドキドキしちゃって、
大慌てで探しに走りました。
すると200メートルもないところに、
家に向かってゆっくりと歩いてくる父の姿があって、
ほっとしました。
「いつものお散歩だよ」って。
てっきり父は、お母さんが蒸発したと心配して、
探しに行っちゃったかと思いました。。。

野球帽に、杖。ちょっとした雨なのに。。。
昔毎日スーツ姿の父だったので、
野球帽姿はとても新鮮でした。(←のん気な私)

話しかけてみたら、
今日は意識がしっかりしているらしいです。
ありがたい。
家に着いたら熱いおしぼりに、
「明星花露水」をたらして渡し、

父に自分で顔を拭いてもらいました。
鍵でドアを開けるとか、雨に濡れた顔を拭くとか、
色々と代わりにしてあげたいですが、
そういう衝動を押さえて、
できれば父ができることを、自分でさせてあげようと思って、
ただ傍で待っているだけでした。

しばらくおしゃべりをしてみようと。
「お母さんの誕生日だよ」と話したら、
「そうだね、30日だもんね」と。
嬉しかった。
その後、父からお金を渡され、
「お父さん調子がいまいちだから付き合えないけど、
君が今日お父さんの代わりに一仕事をしてあげて。任せたね。」と。
そして、
「お金はお母さんのためにぜ~んぶ使い切ってね」と付け加えました。(笑)

というわけで、夜はママのためのパーティーです。
私からのプレゼントは、一緒に山を登ることですが、
お天気になったら実行します。

そして、Mちゃんからの花束。↓
yuri

素敵。ハート
ママの写真も撮りましたが、
「すっぴんだから」と、まだ掲載の許可は得ていません。(笑)

読み手によってはちょっぴり重い話になってしまうかもしれないので、

そういうのが苦手な方、

いまいち元気のない方などは、

この日記を飛ばしてくださいな。(笑)


なぜこんな話をここに書こうと思ったんだろうね。

ま、気持ちの整理として書いてみようと思います。

あるいは続編はないかもしれませんし、

なんだっていいんじゃないかな。^^


===============

家の両親は、24も歳が違います。

父が44歳のときにお見合いに行く途中で20歳の母に出会い、

お互い一目惚れをして、三か月後に結婚。

(なのに娘の私には「一目惚れ」の意味がいまだに理解できません~笑)

どうやらもともと、母に出逢った翌日に

紹介してもらうことになっていたそのお見合いのお相手には、

父は会わずに断ったらしかったです。


私の立場で言うことではありませんが、

せっかくだから、二人の女性を比べてから決めてもよかったのにと、

やっぱり思っちゃいます。

そんな、真摯にも、頑固でく○まじめにもとれるような父親です。


こんなのって、やっぱり大恋愛と言えるんでしょうね。

しかも、父はいわゆる「外省人」で、

蒋介石政府と一緒に、中国から台湾へ渡ったのもあって、

保守的だったその時代に、

ことばも完璧には通じない客家人の母方の祖父母が
よくもこの結婚をあっさりと認めたんだな、と思います。
ちなみに母方の祖父は、父との歳の差わずか7歳。


そんな父はいま85歳です。

入れ歯の不調と、家庭の事情で軽いうつ病症状もあって、

食欲が全くなく、何かを食べさせるのに大変です。

一食分に水ぎょうざが2個だったりするくらい食が細いです。

帰国して3日間経った頃から、

父親の食事を、私が担当することにしました。

栄養バランスを考えて、あまり噛まなくてもいいように、

彩りも考えて、飽きないように、

味付けは中華だったり、洋風だったり、和風だったりします。

日本のテレビ番組から食に関する知識を

色々と仕入れてよかったと思います。

料理を作るのはそもそも嫌いじゃないので、

一人前だけで楽ですし、嫌な後片付けはしなくていいし、

悩みながら手抜きもしてみたりして、結構楽しくやっています。


父はとても気を遣う性格で、

わりと前よりは量を食べてくれるようになりました。

毎回毎回父親に丁寧に「謝謝」と言われるのが切ないですが。。。

9年半も娘をさぼっていた私。。。


なんとなく空気が重い我が家なので、

自分のキャラじゃないですが、

しつこく「おいしい?」とにっこりと目を覗き込んでみたりして。

でもかわいい父は、母に気を遣って、無表情に軽く頷くだけで、

母が近くにいないときにだけ、

「おいしい」のサインとして静かに親指を立ててくれます。


まるで私の帰国までがんばっていたかのように、

帰国して1週間ちょっと経った頃から、

父親には認知症っぽい症状が現れ始めました。

ここ2つ日間は幻覚もひどいみたいで、

少し被害妄想もあるようで、私のことしか信用しないらしいです。

食べるようになってくれたかと思うと、

幻覚のせいで、また拒食したりするようになっちゃって。

病院にもまだ行っていませんし、

まだまだこれから症状を観察して、勉強していかないといけませんが、

とにかく明るく、がんばり過ぎないように心掛けたいと思っています。

調べたらたぶん嫌になるほどたくさんの情報が手に入ると思いますが、

そういうのを、まだ少し先に延ばしたいと思います。


このタイミングの発病。

私の風邪みたいに、きっと父もほっとしたんだと思いたいです。

よくがんばって待ってくれたんだと思います。

なに疲れか分かりませんが、

なんだか、疲れがなかなか取れないような気がします。

ほとんど何もしていないのに。


帰国の際、いただいたプレゼントや手紙、

10日以上経ったいま、ようやく全部開けました。


プレゼントを開けるわくわく感がとても好きだったのに、

お手紙もいつもならすぐにでも読んじゃうのに。


言い訳になりますが、

落ち着かないようなところに、

せっかくの手紙やプレゼントを、開けたくなかったですね。

涙をする力くらい湧いてくるときにと思って。(笑)


手紙って泣けるものですね。(/ω\)

ありがとうございます。


N

N子さまの美的センスには、

いつもため息が出ます。

紺色の包装紙の中は、私の好きな茶花の本。

素敵。

「茶花(ちゃばな)」ということば自体も、

N子さまから教わったのです。


techo

2008年の手帳。

これをくれた仲間のことを、

傍にいると思って大切に使いますね。

最近姪と甥がマイブームです。

あのときのあの子 はいま。。。


zong

1歳と二ヶ月になりました。

名前はあれから変わったので、訂正をしなくちゃ。

宗羲(Zong1 Xi1)と言います。


この子は、「謝謝」というとき、

いつも頭を下げるように母親に頭を押さえられちゃうので、

いまになっては自分の両手で頭を押さえて

「謝謝」と言うようになってしまいました。↓


渾身の力でお礼を言うのでちょっと笑えます。

帰国前の2週間、
本当に寝る時間もない、食欲もない、
トイレに行く時間も惜しいと思っちゃうくらい
スケジュールがきつかったので、
恥ずかしい話ですが、
結局色々と始末が悪かったです。

ちょっと落ち着いてきたところで、
いつも新潟土産をくれていた隣のお兄さんに、
徹夜して荷造りしてうるさかったことを
今日メールで謝りました。
本当は帰国前にちゃんとご挨拶しなければいけませんでしたが。

そうしたら、「言ってくれれば手伝ったのに」、
「空飛べないのでまた来た時お会いしましょう」
って言ってくれました。
お世辞でもありがたいご近所さんです。

(メルアドは、アパートが一緒だったMちゃんの提案で
三人で交換しました。当時はちょっと躊躇ったんですが、
いまになってはアドレスをもらっておいてよかったと思います。)

夜は、大家さんに国際電話を。
「あなたたち(私とMちゃん)の部屋に入って、
何もないのを見て、
初めて『ああ~本当に帰っちゃったな』と思ったね。。。」
と奥様がしみじみと。

「お母さん・・・」(涙)

(大家さんのことを、私もMちゃんも図々しく
「お父さん」「お母さん」と呼ばせていただいています。^^;)

親からのお礼のことばを訳したら、
「あなたたちのお蔭で楽しかったわ、とご両親に伝えて~。」って。

「お母さん~~~・・・」(涙x3)

寂しくなってきちゃいました。(:_;)(←遅っ!)

大家さんのお父さんお母さん、大好きでした。。。