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母にとっては初婚となるわけで、私は名前が永田に変わりました。

これが私にとって苗字が変わった初になります。


実は年長さんのとき、どのくらいの期間か覚えてませんが森山と名乗っていた時期があります。教材にも森山と書いていたので確かです。

私の息子にも経験がありますが、次の結婚が決まっていて転校した場合、事情を話せば数ヶ月〜半年くらいは新しい名前で通してくれます。学校にもよりますが。

書類上は戸籍の名前ですが、それ以外は通してくれるんですよね〜途中で名前が変わる方が色々影響ありますから。


私の森山時代もそうだったわけですよ。

母が言うには、森山は資産家の長男だったらしく、二人も連れ子がいる母との結婚は認めてもらえず、そのうち事故で亡くなったそうです。

結婚認めてないから葬儀にも参列させてもらえなかったそうです。

なので母の初婚は見送られたのですが・・・


信じられます?あの母のことですからねー亡くなったってのは嘘なのかも?

あてになりませんよね〜ただ別れただけなのでは?

小学1年からは喫茶店をやり始めたので引っ越しします。その時からはもとの佐藤を名乗っていたんですよ〜


そんなこんなで高校1年からは3年まで永田となります。

母は喫茶店をやめてデパートに勤め始めます。

永田も普通の会社員でした。

兄は私が中3になる前に、高校を転校し東京に出ます。なので新しい家では3人で暮らしていました。

裕福ではありませんが、それなりに普通の暮らしをしてましたよ。

ところが高校3年の卒業まじかにまた人生が狂います。


前のマンションで永田の借金を母が返したとありました。

母の知り合いの金貸しから低金利で借りたそうです。そして喫茶店を辞める頃までに返済が完了したのです。(マンション売ったのも含めて)


その3年後、その時の永田の借金がくすぶっていたらしく、ドカーンとやってきたわけです。

永田本人も全部返し終わったと思っていたらしくびっくりしたようです。


そこで家を売りに出すことになります。

永田は会社には黙って市場にバイトに行き始めました。

その帰りに事故を起こします。


相手は軽トラ、真横から衝突します。信号無視でした。軽トラは横転し、新聞にも載るような事故だったみたいです。

そのせいもあってか離婚となりました。


その時付き合っていた同い年の彼氏がいたのですが、月9万払えばこの家に住めるけどどうする?って母から聞かれたことがあります。

まだ卒業もしていない、内定はもらっているが給料だってその頃の初任給は事務員で10万そこそこです。

払っていけるわけがありません。それで手放すことになります。


余談ですが、その家の前の通りに数年後橋ができ土地価格が上がります。

この頃に橋の計画は出てたのですが、まだ子供の私にはわかるわけもなく、まさか土地の値段が倍以上上がるなんて予測できなかったのですよ。あー勿体ないことをしましたよwww


そして私はひとまず6畳一間のボロアパートに一人暮らしをすることになります。

卒業後は事務職で働いたのですが、入社試験は永田で受けています。

人生2回目の苗字変更です。会社に説明するの恥ずかしかったですよー


母は、病院で付添婦をすることになりました。

休みの日以外は病院に泊まるので、母もボロアパートで一人暮らしでしたよ。


ここからは私一人の人生が始まります。

これが落ち着いてないんだなぁ〜www

さて、こうして事務所に連れて行かれたのですが・・・・


はっきり意識が戻ると、事務イスに座らされ手は後ろで縛られてました。

目が覚めての一言目、

【これ解けよ、クソッ!】


なんで素直に恐いとか助けてとか言えないかねぇ〜それが出来ていたら、もう少し人を頼って生きられたら、もっと別の人生を歩んでこれたのかも・・・・


開口一番これだった訳ですから、何も言われず平手くらいました。

耳がキィーンってなって、目の前が真っ白になって、小娘相手に大の大人が本気で殴らないでほしいよね。


「この女どうします?」

みたいな相談がされてました。

そこにそのチンピラ達より上の人物らしき人が事務所に帰ってきました。

「兄貴!永田のとこの生意気な娘連れてきちゃいました。どうします?まわしちゃいますか?」

あぁー私は生きて帰れないかもなぁって思いましたね。


ガシャーン!って音を立てて、私の目の前を男が飛んでいきました。

「てめーら何やってるんだ!ふざけるな!」その兄貴っていう人は、私を連れてきた二人を何度も何度も殴ってました。

その後とても優しい声で謝ってくれたのです。そして私の唇からにじんでる血を拭ってくれました。

そしてタクシーをよんでくれ、1万円札を手に握らせて中に押し込みました。


たしかお釣りは二千円なかったくらいかな。もらっておきましたけどねwww


上に立つ人って、かっこいいもんですね。

いや、部下の教育がなってないんですからいけないんですけどね。


話はそれますが、高校3年のとき卒業旅行を友達と行ったんですよ。卒業旅行というか夏休みに海に行ったんですけどね。

夜花火を海岸でやっていて、ヤ○ザにからまれたんですよ。俺たちの旅館に来て飲もうと。

振り払って帰ろうとしてもついてきて。

その人達の旅館の前を通ったとき中に入るよう引っ張られます。嫌がっていたら中年の女性が出てきて、そいつらの頭をひっぱたいてました。

「素人さんに迷惑かけるな。ネーチャンたちゴメンな。帰りな!」って助けてくれました。


かっこいと思ってしまいましたね〜その後極道の妻たちにハマりましたよwww


話をもとに戻しますが、そんなこんなで無事に家に戻れた訳ですが、何故かその時はそのことを親には話さなかったんですよ。

大人になってから母親に話したのですが、

[私は知らない。私のせいじゃない。やつが悪い]なんて言ってましたよ。


その後母は永田の借金を全て返したんです。もう40年前ですが、その頃で800万もあったみたいです。

その後高校にあがるとき永田と結婚したのですが、マンションもお店も売り払い小さな一軒家を購入して3年間暮らすことになります。


借金、それで終わったと思ってました。

平穏に暮らせると思ってました・・・・

母の彼氏と一緒に住み始めたのは、私が中学1年なった頃です。


昔の借金取りって、今では禁止されている張り紙や自宅訪問、時間外の連絡とか制限なくて、わりとづけづけやりたい放題だったんですよ。

携帯なんてない時代ですから、固定電話にじゃんじゃんかかってくるし、突撃隣の晩ごはん!みたいに突然やった来ますしね〜


母の彼氏の名前は永田。

学校から帰れば、借金取りか永田の元妻からの電話がなるわけですよ。

「永田がそこにいることはわかってるんじゃ、出さんかい!」とか

『この泥棒ねこ!』とかとか。


前にも述べたように私は強気な性格でいました。なので、

【知るか、ボケ!そんなに言うならさっさと連れに来いや!】とか

【私に言っても知らん!そんなに必要な旦那なら首輪でもつけて縛っとけ、】とかとかwww


当然相手は、

「なんだと、われ!ぶちこ○すぞ!」とか

『親が親なら子も子ね、末恐ろしいわ!』とかとかwww


,あっ、わかると思いますが、

「」←借金とり

『』←元妻

【】←私ね


中学1年ですよ。こないだまで小学生だったわけですよ〜結構辛かったですよ。

この先いろんなことがありましたから、今では笑って話せますけどね。


その都度母や永田に怒鳴り散らします。でもいっこうに改善されず。

元妻が突撃してくることはなかったのですが、電話以外には借金取りの訪問があります。

さすがにマンションの名義は母でしたし、永田は住所を移していませんでしたから張り紙されることはなかったのですけどね。


帰ればマンションのエントランスに居たり、今のようにセキュリティなんて発達してないので玄関先待ち伏せされたり。

家の中に入ることは最初のうちはなかったのですが、玄関の扉を閉めさせてはくれなかったり、終いには中までズカズカ入ってきました。


家の中に永田がいないか探してました。しかも土足で!

今の私ならすぐ警察よんだり、不法侵入で被害届だしたりと知恵は付いてるのですが、いきがっていても所詮小娘です。警察のケの字も浮かんでこなかったです。


まぁ生意気なガキでしたからねー

【ふざけんな、こんなことしていいと思ってるのか?】

【こんなところに来ないで親のところに行けよ!】

【なんならあいつの少ない荷物持ってどっかに連れて行け!】とかとか叫んでたわけですよ〜


その借金取りに怒鳴られたり平手されたりしました。でも私は蹴りをかましたりして反抗的だったわけです。


借金取りは、二人いました。

その一人に、「こいつ事務所に連れていきましょうぜ」と言われお腹を殴られ、意識朦朧とするなか車に乗せられ連れて行かれたのです。


こっから先はまた次回に。

無事に今生きていますから、たいしたことはされてませんのでご安心を。