さよなら▲のブログ

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義両親からの干渉を逃れ、彼の職場が近いところの県営住宅に引っ越しました。


私は仕事を辞めて専業主婦になりました。

でも収入は少なく、色々切詰めても1日の食費は二人で千円も使えないくらい。

さすがに不安になり、近所の喫茶店にパートに行き始めました。

小さい時家が飲食店だったので、接客業務はお手の物!近所の人と知り合いになれたりして楽しかったです。


私の人生とは関係ないですが、その団地には主婦売春グループがあるとかないとか?

派閥がいくつかあり、あの人には気をつけてとか、あの人には逆らわないほうがいいとか色んな情報がとびかってました(笑)

どれも本当なのか?って思ってましたけどね(笑)


数ヶ月して妊娠が発覚。

でもすぐに流産してしまったのです。

まだ20歳。きっと私達にはまだ早いと神様が試練を与えたのかもですね。


悲しみから立ち直れてないのに、またまた彼の転職です。

その前の転職理由は忘れてしまいましたが、は?って思うものでした。

ですが工場勤務で腰が痛くてできないと言われてしまえば了承するしかありませんでした。

運送会社の事務に転職しました。


そして社宅があったので、そちらに引っ越しました。

経済的に苦しいのは変わりなく、私も正社員で働くことにしました。


その頃かなぁ〜彼の性格がかわり、私もそれを許すようになったのは・・・


車が好きな人で、結婚した当初は中古のカローラ乗ってました。

私は免許を結婚してからとったので、取得してから中古の軽自動車に乗ってたんですよ。


運送会社に転職してから、クラウンだったかな?中古で、これがほしいなぁと言われて許しちゃったんですよね〜


それだけじゃなく、しばらくしてこれもほしいなぁって言われて


「私が夜もバイトすれば買えるかな」なんてアホな考えをもってしまい買ってしまったんです!

夫婦二人に車3台(笑)

彼の運送会社の伝票整理のバイトを夜3時間やりました。


それからまた少しして、クラウン以外の車を売り、軽自動車の新車を2台購入。

今考えると、私は何をやってたんだろうって思います(笑)


私は昔からコンピューター関連の仕事をしたかったのですが、やっと初心者オッケーの職場をみつけて転職しました。

私も結構かわってますね(笑)


前の職場とはちがい残業もあるし、バイト禁止だったのでバイトを辞めます。

そして離婚を考え始めます。


そうとは知らず、また車を変えたいと言い出したので、離婚を切り出しました。

彼の会社の支店長から考え直せと説得が入りました。

車を買わせるのはやめさせる。職にも真剣に向き合うようにさせるからと言われました。


一応納得するふりをしてから引っ越しを企てました。

社宅に居てはまた会社の人に丸め込まれます。その頃まだ21歳で、歳の離れたおえらいさんには何も言えない小娘でしたから(笑)


さぁ、引っ越して1週間もの経たないある日、彼の会社の先輩が辞めると言い出したのです。

「この会社にいても将来が見込めない」が理由らしいです。


ちなみに彼の会社は結構有名な運送会社で、新卒は大卒しかとらない会社でした。

新卒で入った人以外は主任以上昇格出来ない会社だったのです。

そして先輩は、新卒入社の人です。どのこ大学だったかは知らないですけど。


そして彼は、

「俺もそう思うなぁー中途入社で主任以上あがれないし」


前に少し書きましたが、彼は田舎の農業高校卒です。転職も何度か繰り返しています。

その運送会社に入れたことすら奇跡に近いのに、支店長とかに色々心配かけて説得され夫婦関係が存続出来ている立場です。


ありえないと思うのは私がおかしかったのでしょうか?

ブチッとなにかの糸が切れるのがわかりましたよ(笑)


その言葉を聞いた瞬間、離婚を告げ出ていってもらいました!

もともと私の家に転がり込んだような形でしたので、家具は全て私のもの。

彼の荷物は着替くらいで少量です。

追い出してから次の休みに残りの荷物を取りに越させましたが、荷造りは10分もかかりませんでした(笑)


車は、クラウンが彼。軽自動車2台が私となりました。

私も2台は要らないので片方売ろうかと2週間くらい考えてところ彼から連絡あり、クラウンはガソリンがかかって維持できない。軽自動車と交換してくれと言われました。

私ってホントにお人好しというか、バカでしたね〜交換してやりましたよ。

すぐ売りましたけど(笑)


1度目の結婚はわずか3年。

おままごとみたいなもんですね(笑)


離婚してすぐに、友達から飲んでるから来ない?と誘われて、「すぐ行く!」と喜んで向かってる途中に、自由になれたんだという清々しい気持ちになれたのを今でも覚えてますよ(笑)

随分間をあけてしまいました。

これからもこんな感じの更新になると思います。


母との関係を断ち切り、本当の意味の独り立ちです。

独り暮らししたかったのですが、家賃代等のこともあり、ほとんど家に入り浸っていた高校卒業間近から付き合っていた彼と結婚することにしました。


住むところは、私が住んでいた大家さんの会社が下にある 2DKのアパート。

同棲ではなく、ちゃんと籍を入れました。

彼の名前は土谷。結婚したときは自動車のボディを作るライン工場で夜勤もありました。

私と同い年の彼は、このときすでに転職数回目の状態です。

市町村の中心部に住んでいたのに、そこからかなりかかる田舎の農業高校に通ってたくらいのレベルとしては低い人でした。

最初の会社は知識的に付いていけないとか、ため息が出るような転職理由な人でした。


結婚してすぐ土谷の両親から、前の借家をリフォームしたからこちらに住みなさいと言われました。

当時2DKの家賃が安くても4万以上なのに、大きな駅まで徒歩10分。そこに3Kで七千円でしたwww


安さに飛びついてしまったのですが、古いわ、両親からの干渉がひどいわ・・・

1年ともたずに引っ越しました。

その時すでに職場は変わってましたよwww


両親からの干渉を逃れ、県営住宅での生活がスタートします。

名前が元の佐藤にに戻り、私一人の人生が始まります。


会社は、楽しく過ごせてました。

会社から歩いて5分くらいのアパートに住み、ギリギリまで寝てる生活でした。

でもアパートがボロ過ぎて、お風呂ついてなく、歩いて数分の銭湯に通うことになります。


あの頃家賃光熱費は母が払ってくれていました。食費等現金で払うものは給料から出していたのです。


お昼は会社の仕出し弁当で、夜は自炊できるような台所ではなかったので、ほとんど買ってきたものを食べてたなぁ〜。

炊飯器スイッチ入れるとブレーカ飛ぶようなアパートだったよwww

銭湯に通うお金は毎日の分は算出できなくて、2日に1度くらいの頻度だったなぁー


銭湯からの帰り道変な男に絡まれるし、逃げて帰ってきてもドアの鍵は外からガチャガチャ強くひねれば開いてしまうようなところでしたよ。

耐えきれず母にアパート変わりたいと相談します。数ヶ月我慢して、なんとか2DKの風呂付きのアパートに引っ越すことができました。

一階は大家さんの会社の事務所、二階は大家さんの住居、三階の二部屋だったかな?それを人に貸してるところで、オートロックなんてない時代ではかなり安全なアパート?今で言うコーポでした。


会社への通勤は時間がかかるようになりました。バス停まで歩きバス通勤で1時間くらいしたかなぁ。バスの本数も少なかったから。

私は免許持っていなく、原付の免許だけ取りに行き、原付通勤にかえました。

そうすれば20分くらいの通勤時間になりました。

ですが、転倒してバイク買い替えたり、それなりの出費ありいつも貧乏生活でしたよwww


母は小さい頃から「誰のおかげで大きくなったんだ、誰のおかげで生活ができてるんだ」が口癖でしたよ。

東京の兄貴への仕送りが足りず、バイト代の殆どを母に渡してたのに、ずっと言われ続けてました。

その分は免許取ったり、結婚資金として返してくれるはずでしたが返してもらえず免許取れなかったのにですよ。

それでも家賃光熱費は払ってもらっていたので、社会人になっても言われ続けてました。

私はそれが嫌で嫌で仕方ありませんでた。


ある日ケンカをしてしまい、また言われたのでカッとなってしまいこれからは自分で払うからと口が滑ってしまったのです。


でもずっと母の支配下から逃げ出したかったので、誰のおかげでとか言われなくなりスッキリはしましたけどね〜


さて、困りました。誰が払うんだろ?

悩みますよね〜

高校卒業前から付き合っていた彼氏は、殆どと言ってもいいほど私の部屋に泊まっていたので、少しは払ってほしいと相談しました。

結果結婚することにしたんです。


自分で選択した人生、間違いはここから始まります。