誰が知りたい、私の人生 7 | さよなら▲のブログ

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名前が元の佐藤にに戻り、私一人の人生が始まります。


会社は、楽しく過ごせてました。

会社から歩いて5分くらいのアパートに住み、ギリギリまで寝てる生活でした。

でもアパートがボロ過ぎて、お風呂ついてなく、歩いて数分の銭湯に通うことになります。


あの頃家賃光熱費は母が払ってくれていました。食費等現金で払うものは給料から出していたのです。


お昼は会社の仕出し弁当で、夜は自炊できるような台所ではなかったので、ほとんど買ってきたものを食べてたなぁ〜。

炊飯器スイッチ入れるとブレーカ飛ぶようなアパートだったよwww

銭湯に通うお金は毎日の分は算出できなくて、2日に1度くらいの頻度だったなぁー


銭湯からの帰り道変な男に絡まれるし、逃げて帰ってきてもドアの鍵は外からガチャガチャ強くひねれば開いてしまうようなところでしたよ。

耐えきれず母にアパート変わりたいと相談します。数ヶ月我慢して、なんとか2DKの風呂付きのアパートに引っ越すことができました。

一階は大家さんの会社の事務所、二階は大家さんの住居、三階の二部屋だったかな?それを人に貸してるところで、オートロックなんてない時代ではかなり安全なアパート?今で言うコーポでした。


会社への通勤は時間がかかるようになりました。バス停まで歩きバス通勤で1時間くらいしたかなぁ。バスの本数も少なかったから。

私は免許持っていなく、原付の免許だけ取りに行き、原付通勤にかえました。

そうすれば20分くらいの通勤時間になりました。

ですが、転倒してバイク買い替えたり、それなりの出費ありいつも貧乏生活でしたよwww


母は小さい頃から「誰のおかげで大きくなったんだ、誰のおかげで生活ができてるんだ」が口癖でしたよ。

東京の兄貴への仕送りが足りず、バイト代の殆どを母に渡してたのに、ずっと言われ続けてました。

その分は免許取ったり、結婚資金として返してくれるはずでしたが返してもらえず免許取れなかったのにですよ。

それでも家賃光熱費は払ってもらっていたので、社会人になっても言われ続けてました。

私はそれが嫌で嫌で仕方ありませんでた。


ある日ケンカをしてしまい、また言われたのでカッとなってしまいこれからは自分で払うからと口が滑ってしまったのです。


でもずっと母の支配下から逃げ出したかったので、誰のおかげでとか言われなくなりスッキリはしましたけどね〜


さて、困りました。誰が払うんだろ?

悩みますよね〜

高校卒業前から付き合っていた彼氏は、殆どと言ってもいいほど私の部屋に泊まっていたので、少しは払ってほしいと相談しました。

結果結婚することにしたんです。


自分で選択した人生、間違いはここから始まります。