末の大叔父 | それで?

それで?

どうでもいいことを書いてます。
好きなようにダラダラと。
文の雰囲気は記事ごとに変わったり…
読んでも何も得られない残念系。

そんな感じ。

こんにちは。
 
最近はnoteばかり更新してアメブロが疎かになっていたので、ちゃんと更新します。
少しも忘れてはいないです。
 
最近あったことを書くのですが、Xに書いたことを詳細にやたら長く書くだけです…。
明るくないけど…。
 
 
数日前、親戚のおじさんが倒れた。
父の叔父なので、私からすると大叔父にあたる人だ。
 
幼いころから山形に帰省すると、おじさんも他の親戚の家に滞在していたので、会うとよく遊んでもらった。
私も妹もよく懐いていた。
 
おじさんは祖父の弟だが、祖父が8人兄弟の長男でおじさんは末っ子。
祖父とおじさんには年の差が20歳近くあるらしく(正確には把握してないが…)
おじさんは実の兄たちよりも年の近かった父と伯父(父の兄)と遊んだり面倒を見ていたので、父らの兄貴分だったらしい。
お陰で末っ子なのに珍しく面倒見のいい人だった。
 
おじさんと父と伯父はちょっとした逸話がある。

おじさんは〇治という名前で、伯父が△治。
この時点で親戚らからは「紛らわしい」「叔父と甥なのに兄弟みたいだ」なんだと言われていたという。

そこに父が産まれ、名前を親戚と話し合って決めた名前で届け出す役割を担った祖父(父の父親ね)。
役所に来て気が変わったのか誰の断りもなく、父の名を「□治」として提出した。
(次男なので漢数字の二で、□二のはずだったらしい。どちらにせよ呼ぶには紛らわしいが…)
 
もちろん親戚からは怒られたらしいが、届を出してしまったから変えることもできず、3人の名前は「治」が共通となった。
〇治!△治!□治!とセットで親戚からは呼ばれ、何かと一緒に叱られたり、名を呼び間違えられたらしい。
 
特に祖母(父の母親)は後年までこのことを根に持っていたようで
「またあの爺さんは何も言わずに勝手に決めやがって…□治の時も…」と
ネイティブ山形弁でブツブツ言っていたのが印象的。
 
 
そんなおじさんを父は上京(川崎だが)する際も先に上京をした実の兄より、おじさんをアテにしてほぼノーアポでおじさんを訪ねて世話を焼いてもらったのだとか。
住むところを決めるのも手伝ってもらったとか何とか…。
若き父の無計画さにため息が出るが、おじさんは良くしてくれたそうだ。
 
 
おじさんには恩も思い出も多いものだから、父はかなりショックを受けていた。
医師には「今週、意識が戻らなければ何が起きてもおかしくない、今週が山場。」と言われているとの話。
 
去年の暮、父とおじさんは法事か何かで会ったそうで「靴下をたくさん貰った」と困ったように笑っていた。尚更ショックだろう。
 

そして父は昨日、メソメソと礼服をクリーニングに出していた。

クリーニングに出した礼服を着るのは、もう少し遠い日になると良いのだけど…。
 
 

しかもおじさんは、父方の親戚にあまり良い印象を持っていない母が信頼する数少ない親戚。

書くと長くなるので詳細は割愛するが、嫁入りして間もない頃に唯一、女だの嫁だのと関係なく接してくれて、おじさんの奥様も「普通に」接してくれた人だったらしい。
(普通に、というのがポイントである)
 
 
そんなこんなで、おじさんが亡くなってしまうと私も悲しい。
弊社の上役や社長より若いだろ、おじさん…。
 
 
 
と、ちょっと悲しい話題でした。なんかすまん。
おじさんが亡くなってしまったら私も通夜に行こうかと考えている。
基本的に父方の親戚の通夜や法事は父が代表して行くことになっているが(親戚一同が会すると人数的に大変なことになるので…)、おじさんは例外。

ただ問題は喪服らしい喪服、手持ちが無いけど…。
 
 
だけど今は、えっちゃん(橋本絵莉子)の新曲や宇多田ヒカルのベストアルバムを聴いて気分を上げていきます…!

アゲリシャスあげるよ!!
 
 
おわる。