テレビの存在意義。 | カープ・ドランク・ロックンロール
僕は テレビが好きです。

というか テレビっ子です。

とゆうか 
テレビっ子でしたね…。



春夏秋冬のなかで どれが好きですか?
僕は断然「冬」です。

ウィンタースポーツはしないのですが、
年末に向けてのあわただしさが嫌でもありつつ、
正月を迎えて リセットできる
あの すがすがしさが好きなんです。

それと あの年末年始の非日常。

世の中がいつもと違う感じ。

なんか 好きなんですよねえ。


その 非日常を
今や現代人が身近に感じることができる テレビの存在。

年始、比較的テレビの前に座る機会が多かったんですが






















最悪ですなあ。




やってる番組、やってる番組 正月感ゼロ。

民放地上波は論外。
いつもの特番。 年始にやる理由ナシ。
(一部を除く)


紋付き袴着たらんかい。

振袖留袖着たらんかい。


せめて盛装ぐらいせえよ!


五十路
女が
頭にリボンなんか
着けてんじゃねえ!!!



……すみません。 後半は個人的感情が顔を出してしまいました。

自分30代ですけど
今の若い人たちのテレビ離れすごいですよ。直接聞いてみると。
「ネットとかあるし、どうでもいい」 だって。


最近のテレビの内容って、
30~40代に絞られてますよね。

昔を振り返るネタばっかり。ドラマや音楽やアニメとか。

それに踊らされてワイプの中で 
オーバーなリアクション、
知りもしない曲を字幕スーパー追って 口角泡飛ばし口ずさむタレントさん。


それが仕事なのはわかりますが、
見てるこっちはシラケてます。


タレントさんを責めるというよりも、
それを要求する作り手のモラルの低さに愕然とします。

視聴率とかスポンサーとかそっちの事情はどうでもええんじゃい。
低予算でも作れるでしょ。ド派手なセットとかいらないし。
計画停電よろしく無駄はどこにでもあるはず。


ホント 視聴者不在の番組 多いですよね。



バラエティ番組に特化して 言わせてもらいますが
僕が一番危惧するのは、

CMの入れ方は論外として
オープニングとエンディングの雑さ。 




オープニングといえば 番組の挨拶的なポジション。

それが 最近の番組では、
いきなりクライマックスみたいな。

「あー もうやってるよー 来ればいいじゃん」って言われてるみたい。
2次会の途中に呼ばれた感じ。

自己紹介、ゲスト紹介なんてもんは テロップ2秒。忘れたころにね。
こんなところに合理性を押し込んでる。

昔は 司会者の自己紹介も ゲスト紹介も 
時間かけてしっかりやってた。 
それが演者に対しての礼儀というものです。


まあ「笑っていいとも」のオープニングの歌をはしょるようになってから、
伏線は感じてたんですけどね。

それくらいの時間も我慢できない我々視聴者が悪いんですね。



あとエンディングのブツ切り(いきなり終わる)。
それと高速スタッフロール。

挨拶って文化は 今後 すたれていくのかもしれないですね。
助長してますよ テレビが。
大げさやという人もいるでしょうが テレビの影響力も落ちてるんかなあ。




でも 地上波にはないけど
BSとかの番組は 作り手にプレッシャーが無いせいか ゆったり観られます。

CMとか入っても リモコンに手がいくことは少ないです。
まあ 最近はちょっとギスギスしてきた気もするけど。



いずれにしても このスタンスでは 遅かれ早かれ終焉を迎えそうですね。
テレビにとって代わる新しいメディアが誕生する頃に。





ちょっと今回 長々といつもより辛辣な意見が出てしまいましたが、
作り手の方々がこれを見てるわけもないし、
百歩譲っても戻んないでしょう。

もう正月番組は演芸とスポーツに限りますな。

漫才と歌舞伎と落語と
駅伝とラグビーとサッカーでええんちゃいますか。


そういう意味では かくし芸大会の終了は寂しいなあ。