🟠読書のすすめ


本は1冊読めば、確実に1(いち)賢くなるモノだ。


本にもよるが、まあ一冊につき確実に読んだ君の「賢さ」は「1」UPする。


「何だよ?たった1しか上がんねえのかよ」と思うだろうが2冊読めば「2」、3冊読めば「3」と、必ず賢さがUPする。


これはデカい。


全く本を読まない奴と、年間100冊本を読む奴の差は1年後には確実に「100の差」が約束される。


賢さは少し。だが確実に「積み上がる」

それが本である。



本は安くてコスパが良くて確実に賢さを積み上げられるアイテムなのだ。 



え?本1冊の値段って結構するじゃん。だって?

だから「図書館」があるんだ。 図書館は多少不便とはいえ、いずれ最新の本が「借りれる」のところなのだ。財布の中身を問題にする奴は近所の図書館の「図書カード」を作ってこい。



🟠そして読書で「脳内の科学変化も起きる」事がある。


さっきの説明で本は1冊読めば、賢さが1上がると説明した。


しかし本を読み続けていると「1以上の賢さ・ヒラメキ」が頭に「ズガン!!」 と降りてくる事がある。


「長年モヤモヤしていた事が一気に分かる瞬間」というもので、正に「ユーリカ!(そういうことか!)」という現象が起こる事があるのだ。



この現象は「本を一冊読めば賢さが確実に1だけどUPする」の法則で説明できる。



本を1冊読めば賢さが1上がる➡


2冊本を読めば賢さが2上る➡


3冊本を読めば賢さが3上る➡


こうして本を4冊読むと賢さが「4」溜まる➡


賢さが4溜まった辺りで、「賢さの科学変化の可能性モードが発生」➡


得た賢さ4を「2」と「2」に分けて、この分けた2と2での「掛け算」が起こるのだ。


「2✖2」が起きると、それまで溜めた賢さ「4」に加えて掛け算で生まれた「賢さボーナス4」が加わり、4冊しか本を読んでないのに「賢さ8」になるのだ。



これが本を読むことによる恩恵。「賢さボーナス」の仕組みだ。



もちろんこの上記の数式は最小で最大の効率が起こる場合で計算した「理想の数式」である。


「4冊読むと、必ず賢さボーナス4が自動で付く」なんて楽な展開は起こらない。


何が賢さのボーナスに関わる知識になるかは、サッパリ分からないからだ。小説の中の主人公のセリフかもしれないし、脇役のセリフかもしれない。 スッカリ忘れていた10年以上前の本の中の作者の一言、一見関係がない、ある科学における最新の研究結果がボーナス発生の材料となるかもしれない。 



「ああそうか!!そういう事か!!」という、飛躍的な賢さが降りるという、めくるめく体験はそう簡単には起こらない、



確実に言えるのは「本を読まない奴にこのボーナス体験は生涯絶対、降りてこない」。



まぁ経験則で言うなら、この「賢さボーナス現象」は10年読んでて2回か3回。しかもこの降りてきた「飛躍的な賢さ」は大抵の場合、どこかの誰かが同じ事、似たような事を先に唱えてたりする(笑)



だけど自分の中で生み出したこの「賢さ」は確実に自分の力で生み出した。導き出したのだ。の自信となるので、「俺が先じゃないんだ」の多少のガッカリはあるものの、今後の君の考えに強固な自信をもたらす「強力な武器の1つ」となり、君の脳みそを「明らかに強くする」。




🟠ダメな人は漫画からでも良い。でも物書き(小説家など)を目指す奴は「活字」を読め。


「文字だらけで本を読むのが嫌だ」という人がいる。こういう人は大抵漢字が苦手で読めない人だ。


だったら仕方がない。漫画でも構わないから、兎に角、読め。 漫画の中の活字を読むことで「漢字」が読めるようになるチャンスが増える。そしたら小説や科学本などの活字主体の本を読むキッカケが出来るからだ。



しかし小説家など「物書き」を目指すならば、他の人の小説や活字の本を読べきだ。漫画はどうしたって「セリフの応酬」だけとなり、登場人物の行動や仕ぐさは全部「絵で」表現されてしまい、細やかな動きや、佇まい、仕ぐさの「言葉としての表現」の養い(訓練)にはならないからだ。


漫画しか読んでない者が小説を書くとただの「セリフの応酬」で終わる例が⬇である。

 

⬆この作品は2016年の物である


この作者は恐らくこの時まで小説なるものは1冊も読んだことがなく、漫画の経験しかないのが見て取れる。セリフの応酬のみに終始しており、面白くない。 


いや、上手い物書きならセリフの応酬の場面をあえて作って、それを面白くする「腕」もあるが、それは元々文字で物語を描くという力があってこそ出来るものであり、そもそもの「文字で描く」の能力が無いと上の例文の様に大変つまらない物になるのが関の山となる。



漫画から始めたって構わない。だがもし「物書きになりたい」「文字で語る人になりたい」と少しでも思うのなら、いずれは何らかの「活字主体の本」を読まなければ物を書ける人間にはなれない。



🟠昨今の「読解力不足」の問題は「本を読まないから」



最近、大学のテストで問題文で問われている意図を理解できない学生が増えている。といわれている。いわゆる『読解力不足』である。



相手の言っている意味が理解出来てないという、現象。問うている人、語っている人の言葉が理解出来ない現象だから、当然テストの問題文が何を問うているのかが理解出来ない。結果としてあらゆる教科の成績が「何を言っているのか分からない」で成績が低下する現象だ。


これは「最近の人間は本を読まなくなった」が原因だと言われる。



🟠読解力ってどんなもん?


身も蓋もなくいうと読解力は「ツッコミ力」である。


例とするのはこの「小説らしきもの」2024年の作品である。⬇

 



一応作品(?)を読んだうえで、ここから例文を抜き出し、この文の「何処がまずいのか?」そして「読解力」とはどういう能力か?を説明する。⬇


『この男は俺のパチンコ仲間で、あだ名はモガと言われている。毎日ここに来ているうちに声をかけられ、話すようになった。この男がまたどうにもうざったい奴で、もう50にもなるのに毎日のようにここに来る。話によると、以前は日雇いで警察署に荷物を搬入する仕事をしていたが、長引く不況の影響であえなく解雇。生活保護を受けて毎日パチンコ三昧というわけだ。本当、こんなのと一緒にされているかと思うとやるせない。しかも俺よりパチンコがへたで、ほとんどの日は負けこんで帰るがたまに当たるとこうして上機嫌で飲みに誘ってくるというわけだ。』


このセリフを吐いている主人公は、その前の章で明確な理由もなく会社を唐突に辞めた挙げ句、生活保護を受けるようになり、受け取った金で酒を毎日あおり、パチンコを打つという自堕落極まりない生活をしている「クズ(駄目人間)」なのだが、何故か文章では「同じクズのパチンコ狂いの50男」を完全に見下している。


だが、その「全く同じ境遇(同類のクズ)」を見下す理由が全く、片鱗すらも書かれてないのだ。


いないので読解力のある読み手は「なんでこのクズ(主人公)はクズの癖に同じクズを見下せるんだ?何なんだ?このクズ。」という「ツッコミ」をしながら読んでいる。



これが読解力だ。


読解力がないと、この文章になんのツッコミも無しで、ただ読み流してしまう。


小説の中に登場する人間の言葉に反論したり、納得したり、行動に「どうして?」と疑問を抱いたり、よもやの一言に「そりゃねぇだろ!」と読みながら反応をする。これが読解力で、眼の前にある文章の意味の理解と、その前にこれまで読んで感じた文章全体の意味との比較とすり合わせの作業する、それが出来るということが読解力なのだ。



読解力がない者はこれが出来ない。その場の文章を漫然とツッコミもせずに読み下すので、自分の中で一番目を引いた「ある場面のある言葉(文章)」のみで、全体を解釈してしまう。という本当の理解に至らないのだ。



こんな読解力の無さを克服するのに安上がりで確実な方法が「本を読む」なのだ。裏を返せば本を読まない奴はジワジワと、だが確実に「馬鹿」になる。


残念ながら上記で紹介した作者は、最初の頃の作品から7年以上経っているものの、その間、まともに「本を読む」という作業は全くしていなかったのが分かる。


読んでいないのが分かる例を1つ上げるなら、7年前も7年後もそうなのだが、「すべての登場人物全員がどんな服を着ているのか?」それさえ、ほぼ描かれていない。


もっというなら身長も体重のくだりすら、誰にも書かれていない。それは作者の「わざと」ではなく、明らかに作者の頭の中に「登場人物の姿は無い」のだろう。


顔も姿もない登場人物は物語の中では「絶対に人間の振る舞いはしない。」人間という設定なのに人間の動きをしない登場人物に読者は共感などしない。




物書きに求められるのは「文字による表現力」だ。

文字での表現が出来ない者は「物書きの道の上」にすら立てない。



少しでも賢くなりたい。


今回のブログはここから始めたが


物を書く人間になりたい。


そういう者がいるのならば、アドバイスはどちらも同じだ。


「本を読め」


これが手っ取り早く確実の「解」である。