イラクで死んだ米兵の母親が「どうして息子を殺したのか、息子は何のために死んだのか」とブッシュ大統領に抗議を続けているという(CNN日本語版8月7日付 。North Texas Indy Media Center や、Washington DC Indy Media Centerのウェブサイト でも詳しく報告されている)。
肉親が殺された。その喪失感は、どれほどのものだろう。だからこそ、国家にとっては「崇高な使命のための死」というレトリックが必要になる。遺族たちの喪失感と悲しみを掬い取る形で、政権担当者たちは死の意味を語る。どの社会にも共通するあり方だ。
「崇高な死」という意味づけの中を生きていれば、遺族の心は穏やかでいられるのかもしれない。ただ、この意味づけはおそらく、“現実”に裏切られる。捏造された「崇高さ」は、他者たちの声によって揺るがされることになる。日本でも、米国でも。
だから、「崇高な死」というレトリックは、遺族たちを何度も傷つける結果になるだろう。遺族たちの痛みへの想像力を力の限り保ちつつ、このレトリックを乗り越える方途を探りたい。