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家庭教師のいっぽのブログ

私たちの得意科目は・・・ズバリ!
勉強がちょっと苦手で、勉強の仕方が分からなく、成績が上がらず苦労している小・中学生の背中を『いっぽ』押してあげることです!
また、不登校で授業が遅れているお子様もご相談下さい。
☎ 025-201-6141

採用にはその会社の社風が反映されてこそ、有能な人材が集まるんですかね。



『持ち株会社の傘下に博報堂、大広、読売広告社、博報堂DYメディアパートナーズの中核4社のほか、様々な子会社、関連会社を持つ総合広告会社のグループです。

 仕事の内容は多種多様。企業などから広告製作を受注する営業、広告内容の企画、広告を載せる新聞社やテレビ局への仲介業務などがあります。

 私が人事担当を兼ねる博報堂と、博報堂DYメディアパートナーズは、入社8年目までにおおむね2回、異動し、様々な経験を積みます。

 この2社は採用も合同で行っており、採用方針に「粒ぞろいより粒違い」を掲げています。広告会社のクリエイティブな発想は、多様な価値観を持った人がぶつかりあってこそ生まれるからです。個性は作るものでなく、にじみ出るものです。日々の何気ない行動に五感を働かせ、自分の個性とは何かを考え、それを言葉にして伝えてほしいと思っています。

 会社説明会などでは「語学力は必要ですか」「デジタル関連の知識があると有利ですか」などとよく聞かれます。ないよりはあったほうがいいですが、それよりも必要に応じて積極的に学ぼう、吸収しようという姿勢がある人に魅力を感じます。

 広告業界を取り巻く状況は、大きく変化しています。誰が何時何分に駅を通ったかなど、生活者の様々な行動が数値化されるようになり、これまで見えなかったものが見えるようになってきました。広告の伝え方も変わってきています。

 そうした中、新聞を読むことは、着想のヒントを得るのに非常に有効です。就職活動をする上では、企業の状況を伝える記事の裏に、どんな背景があるのかを深く読み込んでみることも役に立つと思います。(聞き手・泉田友紀)』
様々な乗り越えなければならない問題はあるとは思いますが、是非実現すると良いですね。
明るいニュースです。



『米政府は17日、1961年以来、外交関係が途絶えていたキューバと国交正常化に向けた交渉を始めると発表した。米国は数カ月以内にハバナに米大使館を再開する方針。米国とキューバとの外交関係が来年に回復すれば54年ぶりとなる。

 オバマ大統領が米東部時間の17日正午に会見を開く。米政府高官は「米国は、キューバとの関係改善に向けた重大な政策変更を行う」と語り、オバマ氏はケリー国務長官に国交正常化に向けた交渉にすぐに着手するよう指示した。キューバのラウル・カストロ国家評議会議長も発表する見通し。

 米政府高官によると、来年1月に米外交団がハバナを訪問し、国交正常化に向けた議論を始めるという。関係改善に向け、両国政府の高官レベルの協議を行い、移民問題や麻薬対策などで協力を進めていく方針。米政府高官は「キューバとの間には民主主義や人権などの分野でいぜん大きな違いがあり、米国は市民社会や民主化を進める上で支援していく」とも語った。

 米ニューヨーク・タイムズ紙によると、約5年前からキューバに拘束されていた米国人アラン・グロス氏が17日に釈放され、米国側もスパイ容疑で拘束していたキューバ人3人を釈放した。グロス氏は、米政府が準備した飛行機で米国に向かったという。

 米国はこれまで、キューバを「テロ支援国家」に指定し、両国がお互いに政治犯を収容するなど複雑な関係が続いていた。一方で、米国から約150キロしか離れていないキューバは海外からの投資の誘致や市場経済化を進めており、ロシアや中国が経済的関係の強化を模索。米政財界からはビジネスチャンスを逃さないよう、経済封鎖の解除を求める声があがっていた。

 キューバは、1959年にラウル氏の兄のフィデル・カストロ前議長らが親米のバチスタ政権を打倒し、革命政権を樹立。その後、社会主義宣言をして、米系企業の資産を接収したため、米国は61年にキューバと断交し、翌62年の「キューバ危機」では軍事衝突も懸念された。米国は、それ以降、輸出制限などの経済制裁を続けてきた。一方で、国連総会は過去23回、圧倒的多数で、この経済制裁解除を求める決議を行っている。

 キューバは、2008年にラウル政権に変わって以来、市場主義経済を部分的に導入。今年3月には新たな外国投資法を可決するなど、改革路線を進めている。(ワシントン=奥寺淳、ロサンゼルス=平山亜理)』

■米国とキューバの歴史

1898年 米西戦争(米国がキューバを支配していたスペインに勝利)

1902年 独立

  59年 キューバ革命でフィデル・カストロ政権成立

  60年 米系資産を全面接収

  61年 米国と断交

     ピッグズ湾事件(米国の支援で反革命部隊が武力侵攻したが失敗)

  62年 米国が全面禁輸制裁

     キューバ危機(米国がソ連製ミサイル撤去を要求し海上封鎖)

  80年 マリエル港事件(12万5千人のキューバ難民を出す)

  91年 ソ連解体、ソ連からの支援停止

  96年 キューバ軍機による米民間機撃墜を機に米国でキューバ経済制裁強化法成立

     キューバ、対米協力者を処罰する法を制定し対抗

2001年 米国から約40年ぶりに食糧購入開始

  08年 フィデル・カストロ国家評議会議長が議長職から引退表明

  09年 オバマ米政権、対キューバ制裁緩和
生きた授業ですね。
素晴らしいと思います。
自身の大変な経験から後世に伝えていくのは大切ですね。


『阪神大震災のとき避難所になった神戸市の小学校で、子どもたちは被災者に配る新聞を書き続けた。「編集長」を務めた高校生は今、近くの小学校の先生になった。16日、当時の新聞を初めて使い、授業で体験を伝えた。震災のとき、小学校は避難所になったんだよ――。

【特集】阪神大震災
 「自衛隊でおにぎりを作っています。午前11時ごろ放送をしますので、みなさん作るのを手伝ってください」(1月26日)

 「3階の南のトイレだけ水洗になりました。1・2階の北トイレはバケツリレーが大変なので使用禁止です」(1月28日)

 B4判の紙に、手書きの文字とイラストが並ぶ。

 「小野柄(おのえ)小学校避難所新聞」。中央区の市立小野柄小学校(現中央小学校)で、震災3日後の1995年1月20日から、避難所が閉鎖された7月下旬まで、86号発行された。避難した小学生の高学年が取材と執筆を、低学年が配布を担当。編集長として約20人をまとめたのが、卒業生で当時高校1年だった中嶋早苗さん(36)だ。

 JR三ノ宮駅の東約500メートル。市街地の真ん中にあった小野柄小には震災直後、3階建ての校舎に約2千人が詰めかけた。

 中嶋さんも両親と弟たち、祖父母の計8人で避難。校舎も校庭も人で埋まった。食料も水も不足。明日への不安から酒をあおる人や、わずかな食料をめぐって配給役の教員らにくってかかる人も。避難所の秩序を保とうと、物資の配布方法や水が使えないトイレの使用法などを知らせるために配られたのが、避難所新聞だった。

 1、2号は教員がワープロで作成。だが物資の受け入れや電話対応で手いっぱいだった教員をみかねて、元PTA役員の中嶋さんの母親が、3号以降の発行を子どもたちに持ちかけた。

 授業は中止、校庭も避難者の車で埋まり、暇をもてあましていた子どもたちは、職員室の印刷機の横に陣取り、新聞づくりを始めた。生活情報のほか、避難所にいる足が不自由なお年寄りを調べた結果や、仮設風呂の設置にきた自衛隊員のインタビューなど、自主的に取材した記事も。

 「トイレのルールを守れてない人がいます。掃除する人が大変なんです」。時には大人への率直な怒りを書き込むこともあった。

 小さい子と遊ぶのが好きで、将来の夢は「小学校の先生」だった中嶋さんは「みんな絵描くの好きやろ? 私たちが作るんだからかわいくしよ」と呼びかけ、イラストをちりばめた。配りに行くとお年寄りたちは破顔し、「ありがとう」の言葉にさらに張り切った。

 「新聞作りはただただ楽しい時間だった」という中嶋さんは、住んでいた市営住宅に戻った後も編集長として避難所に通い続けた。

 震災後、港湾関係の父の仕事が激減。バスケットボールの特待生として入った私立高校では、遠征費が払えず部活から足が遠のいた。母とパチンコ店で清掃のアルバイトをし、生計を支えた。楽しかった新聞作りの記憶が、教師への思いを強くしてくれた。大学で教員免許を取得後、7年間臨時講師を続け、30歳でやっと採用試験に合格した。

 避難所で住民代表を務めた中嶋さんの祖父が亡くなったのはその頃だ。本棚から茶封筒に入った避難所新聞の束が出てきた。「まさか全部とっておいてくれるなんて……」。いつか授業で伝えたい。茶封筒のまま、教室のキャビネットにしまっておいた。

 3年前、市立なぎさ小学校に赴任した。当時の小野柄小の隣の校区。震災後に建てられた復興公営住宅が林立するHAT神戸にある。「神戸の人の頑張りの上にこの街ができていることをしっかり伝えなくては」と感じる。

 16日の授業では、担任をしている4年生のクラスで新聞の実物を配り、震災当時、子どもたちが書き続けたことを紹介した。「なんでやと思う?」との問いかけに、子どもたちからは次々手が挙がった。「大人たちは忙しそうだから」「家がつぶれた人を励ますため」「みんなに笑顔になってほしいから」

 中嶋さんは応じた。

 「そう。小学生だって、人のためにできることはあるんやで」(水戸部六美)』

■小野柄小避難所新聞の主な記事

第3号(1月22日) 援助物資がどこからきているかの調査結果

第5号(1月24日) トイレの水をプールから運ぶバケツリレーの時間のお知らせ

第12号(1月31日) 自衛隊が設置した仮設風呂のマナーや感想

第57号(3月25日) 避難所住民から小野柄小を卒業する6年生へお祝い金

号外(4月17日) 16日にあった橋幸夫さんらのチャリティーコンサートの感想

第86号(7月29日) 避難所新聞最終号、編集後記
良いアイディアですね。
見習わないと。。。


 『日本ゼネラル・エレクトリック(GE)が主催する「地域に役立つ発明家になろう!プロジェクト」で、最優秀賞を受賞した宮城県石巻市立開北小の6年生2グループが、亀山紘市長にアイデアを披露した。

 6年生13グループは7月、市内を歩いて震災復興の課題を見つけ、解決策をまとめた。このうち最優秀賞の2グループが発表を行った。

 金野有笑あみさん(12)がリーダーを務めるグループは、漁師や魚市場の仕事が体験できるテーマパークの建設を提案した。人口増加に向け、子どもが遊べ、大人が働ける場を作ると説明すると、亀山市長は「非常に良い考え」と絶賛した。

 金野さんは「石巻がにぎやかな街になってほしいという声を聞いて考えた。発表の出来は99点です」と話していた。』
オペラもそうですが、歌舞伎も難しいイメージがありますが、分かり易くする事で子供達に関心を持ってもらえればイイですね。
とても素晴らしい企画だと思います。



『指揮者の小澤征爾が10日、長年続けている「小澤征爾音楽塾」について京都市で会見し、来年以降、新たに小学生向けのオペラ公演を始めることを明らかにした。「大きな賭け。覚悟を持ってやりたい」と意気込みを語った。

 音楽塾は2000年、若手音楽家を育てるために始まった。当初から半導体メーカー・ローム(同市右京区)の支援を受け、これまでにオペラ9作品などを上演している。

 来年3月には、市内の小学3、4年生を無料で公演に招待。ラベルの歌劇「子どもと魔法」を左京区の市勧業館みやこめっせで上演する。日本語での上演にこだわり、あらすじがわかりやすいよう工夫を凝らした舞台を目指す。

 小澤自身の初めてのオペラ体験は、実は20歳を過ぎてから。欧州で見た、カラヤン指揮のモーツァルトの名作「フィガロの結婚」だった。

 「子どもたちは、静かに座っているだけでも大変。でもこちらが一生懸命やっていたら、何かが伝わるはず。その信念を持ってずっとやっていきたい」

 京都には16年1月、新たな舞台芸術の拠点を目指すロームシアター京都も開館する。小澤は「ここでオペラをやらせてもらえるなんて夢のよう。オペラ以外でも活用され、京都の人たちに愛される場所になったらすばらしいですね」と期待を語った。(谷辺晃子)』