中庸

考え方・行動などが一つの立場に偏らず中正であること。

過不足がなく、極端に走らないこと。また、そのさま。

古来、洋の東西を問わず、重要な人間の徳目の一つとされた。


中庸で、いよう。


考えたことや感じたことをいつまでもずっと

心に留めておけるピンが欲しい。

言葉だけじゃ頼りないなにか、とらえきれないものを留めて残して

必要なときに、そっととりだして見れるような場所が欲しい。

だとすれば、今の、めったにないわたしの気持ちやわたし自身も

ずっと残しておけるのに。

変わることは美しいけれど、

今は変わらずにいたいよ。


そして、こういうときはいかんせんまわりのことを

おろそかにしてしまうから、もともとない注意力をどうにかかき集めてきりっとしなければ。


ただ、中庸に。

今は、楽しいほうに。


ただ一人の人が浮かび上がることがある。

たとえば、大教室の中で、後ろの方にちっちゃくなって座って前をぱっと見据えたとき。

たくさんの人の中で、

ある人の体の線だけきりっとしてそのまわりに光のがあるような感じを受ける、と、

言ったら大袈裟すぎるかなぁ。

後から考えて、その人の雰囲気や格好が好きで目に留まったんだろうなぁ、と

いうことが多いのだけれど、

たまに、絶対に服装とか好みじゃない人でも、その人だけグンと、浮き出て見えることがある。


物質的に距離が近くなると、さらにそのレーダーの精度は上がるようだ。

一度話してみたりすると、

「ああ、この人、わたしと何か絶対あうな」とか

「この人と付き合いそうだなぁ。すぐ別れるだろうけれど。」

とか、

なんか、もっと具体的に、言葉をもってして、感じてしまうのだ。



本当にそういう人とは、だいたいあとから繋がってくる。


わたしが、彼らの光を集めるように無意識に繋がろうとしているのか、

光の方がわたしを集めてくれているのかは、わからない。


最近、結婚した先輩も

付き合う前から結婚するなぁってなんかわからんけど思ってた

って言っていて、

わかる!わかるよ!!と、興奮し、


そういう経験やきりっと浮かび上がる感じを共有できる人がいて、

ほっとしたのです。

吉本ばななのオカルトの世界みたいだけれど、嘘じゃないんだよ。


最近一緒に夜更かししたマヨちゃんも、そういうのがあるようで、


「なんかいっぱいの人の中でなっちゃんがはっきり見えたよ!」

といってもらえて、

それはわたしがマヨちゃんに思っていたことでもあるので

(マヨちゃんの場合はあのキノコ頭とシッポのせいでもあるかも)

わたしもわたしも!!!と、嬉しかった。


人生の中で自分が必要としている人は、ちゃんと、繋がるんだよ、連なるんだよ、続くんだよ。

そしてきっと、同時に、相手の人生にとっても自分が必要であるんだ。

あああ、人って不思議だ。


最近は、17日にせまった写真展準備になんだか忙しく、

(まだ、3メートルうめる自信がない・・カラーだそうかな、カラーだそうかな;;うううう)

あたふたしていたよ。


そして、まよちゃんのおうちに行ってきた。

まるで中学生のような鈴木くんの話題で盛り上がって、

そのままの流れで、

将来はeriと潮音ちゃんみたいになろーよーーー!ってゆってバンザイして盛り上がってみて、

(今思えば、あれはものすごいお酒の力とテンションだったわ。こわい。)

トクマルシューゴが好きな男の子はかっこいいだとか

ぬりえの話だとか

思いつくことを二人して夜の部屋の中に、ただただ羅列していった。


気がついたらとっくに始発はでている時間で、

眠いからだの中は、おかしな浮遊感でいっぱいだったなぁ。

楽しかったなぁ。



おいしい梅酒とかぶらづけ。

ぬかどこは、まだない。


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最近よく川沿いの道を歩いている。
ちゃんとはやあるきで。
手足を交互に出す単調作業。
クリアになるよ。

昨日はえみちゃんに会った。

えみちゃんは武蔵野美術大学の一年生である。
でも、年はわたしと一緒。
中学校からの友達。
妹同士も仲がよい。つながりが濃い。(わたしは勝手にそう思っている)

いろんな感覚がずれていた。
なんだか時間がかかる。取り戻せないことの多さには、会ってみないとにきづかない。中学校のときは一緒に画用紙で漫画の目を作ってそれを目の上にはって、リアル少女漫画ーって言ってそれで生活したり、コートを思い切り逆立ててどっちの方が強そうな威嚇ポーズ出来るか考えたりしていた。そんな友達。えみちゃん。

えみちゃんの友達の美大のこたちもえみちゃんも、ほがらかだった。
目下の目標は着ぐるみを着てみんなでくだらないビデオを撮ることらしい。そのために3万円の着ぐるみと5万円のビデオカメラが欲しいんだって。高いよ!ってわたしが言ったら 安いよ!着ぐるみがあればなんでもできるよ!何しても許されるよ!って言われてしまった。真剣にそうやって話すえみちゃんとえみちゃんのお友達たちが好き。わたしも混ぜて。

えみちゃんは本当に優しい。
今、えみちゃんのおうちには粟ちゃんというこれまた保育園からの友達が居候しているのだけれど、二人がうまくやっていけてるのは、えみちゃんの介入しすぎないけれどきちんと見守ってくれる優しさがあるからだと思う。わたしは介入しすぎるのに、放置するから真逆だなぁと思った。そしてそれって人として最低。
それは誕生日にもあらわれていて、えみちゃんの誕生日には21時ごろから2時ごろまで友達が何人も家を訪ねてきてくれて、朝までホールケーキとお菓子とお酒で、みんなで盛大にお誕生日をお祝いしたらしいけれど、わたしはと言いますと、まず、人を家にあげること事態おっくうなネクラであり、誕生日は非常に残念な感じでして、しょうじじゃないけれど、人としての薄さを感じました。ぺらぺら人間よね。やはり。

いかんせん自分の内側に興味があり、えみちゃんには「なっちゃんは、余裕がないよね」と言われる始末。あと、「なっちゃんはメールかえってこなくても、もうあきらめた」とも言われた。
答えようがないです。
自分の波であっぷあっぷでいっぱいおっぱいです。

えみちゃんとわたしの違いは、外向的な変態か
内向的な変態かということ。

もちろんわたしは後者です。