幸福の科学を統一教会の信者が見ると -13ページ目

幸福の科学を統一教会の信者が見ると

幸福の科学も統一教会も、同じカルトじゃないかって?まあそうかもしれないけど、幸福の科学を見てるといろんなことを考えさせられるんですよ。「真実は小説よりも奇なり」

「経営入門」という1万円もする本がある。



さぞかし立派な内容が書かれてあるんだろうと思った。

「天使のモーニングコール」をPodcastで見つけて聞いていたら、鈴木真実哉教授が「経営入門」を絶賛していた。

「幸福の科学的経営法」って、なんだかすごいことが書いてあるように思って、高かったけど、Amazonのマーケットプレイスで中古の一番安いのを買った。

実は私も2009年の衆議院選挙前までは、幸福の科学が大発展しているように錯覚していた。

それできっと参考になると思って購入したのだ。

冒頭の、「人を感動させなさい」・・・
そこまではよかった。

でも次章から、なんだか言わんとすることが不明で、眠たくなって読まないまま投げ出した。

即Amazonで転売。買ったよりも高く売れたから、まあいいけど。

見かけはりっぱそうで、中身が無い
どうもこれが幸福の科学の本質のようだ。


ところで「幸福の科学の支部もハリボテだよな。」
友人がそんな事を言ってて吹き出した。

通りからみると、立派な建物に見える。
2階建ての大きな建物に見えるんだ。

でもちょっと横から、裏から眺めると
表から見て想像したのとは信じられないくらい、小さな建物だったりする。

こんな風に見えるのが・・・
$幸福の科学を統一教会の信者が見ると
実際はこんな感じ。
$幸福の科学を統一教会の信者が見ると

たとえば、幸福の科学支部を、適当にGoogleマップで検索して、ストリートビューで見てみれば・・・。

これが・・・
$幸福の科学を統一教会の信者が見ると

こんな感じ。
$幸福の科学を統一教会の信者が見ると

こういうのも多い。
$幸福の科学を統一教会の信者が見ると

ハリボテの科学ですな。

これは一貫している。

「性相が形状化する」という言葉がある。
目に見えない内面が、見えるカタチにあらわれるということ。無意識のうちにも。

これってそうなのかな・・・。

ただの見栄っ張り?



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「逆境からの脱出」という講演テープがあった。
私を伝道しようとしていた知人からもらって、何度となく聞いた。

理想国家 日本の条件」という本に収録されている、1990年代初めのころの講演だ。

検索すると、目次がでてきた。1994年刊だな。

第3章 逆境からの脱出
1 逆境からの脱出-政治編
・混迷する日本の政治
・信長・秀吉・家康は現代に生まれ変わっている
・金儲けが目的で政治家になる人はいない
・派閥は有効に機能している
・政治家は言葉を武器とせよ
2 逆境からの脱出-経済編
・ヨーロッパとアメリカが恐慌の震源地となる
・不況の原因はマスコミにもある
・甘さとお人好しは倒産の原因
・不況の乗り切り方
3 逆境からの脱出-病気編
・肉体と心は不二一体である
・積極的な思想を持て
4 逆境からの脱出-家庭編
・家庭不和には悪霊の作用がある
・言葉と心の調律を

私は当時営業職から、ある店舗の経営を急にまかされるように変わって、暗中模索の状態だった。
幸福の科学の書籍に、経営に関する記述が多かったのは助かった。

今思えば、ごくごく初歩的な内容ばかりだが、
経営に関してずぶの素人だった自分にはぴったりだった。

「不況期の倒産原因は、人任せ・運任せ型の甘い経営や人材配置、取引におけるお人好し経営、権限委譲型経営、やみくもな多角化路線などだ。

不況期には、高収益部門・商品の徹底強化をせよ。
経営者は「見通しの甘さ」と「お人好し」の心を排除せよ」

そんな話が新鮮だった。
このへんの話は好きで、何度も繰り返しテープを聞いたものだ。

そのおかげで、自分に必要だった経済編以外の部分の政治編も何度も聞いた。
それで内容もよく覚えている。

戦国時代の武将が、政治家として生まれ変わっているという話だ。

織田信長・・・小林興起
豊臣秀吉・・・鳩山邦夫
徳川家康・・・住博司

「二十一世紀には、こうした信長、秀吉、家康らの時代が始まります」という話だった。
何度も聞いたので、よく覚えている。

ところがだ。
最近の豊臣秀吉の霊言でも、徳川家康の霊言でも
20年前の講演内容を否定しているではないか?

 

鳩山邦夫は秀吉の生まれ変わりではない。
住博司は家康の生まれ変わりではない。
(住博司氏は1998年43歳で逝去されている。)

いいかげんだな~。
話のつじつまが合わなくなってきたから、設定変更か?

まあ、戦国武将が誰に生まれ変わってるなんて話、私はどうでもいいけど、
それにしても信者さんがかわいそうだ。
一貫性がなさ過ぎる。
これで、「無条件に信じてついてこい」と言われても大変だろうな~、
疑いの心を持ったり、不信すると無間地獄に落ちるなんて脅されてるし。

そんなことを考えた。

職員の方々は、どうやって信者さんをフォローされるんだろうね。


一体なぜ、大川隆法氏の言う過去世設定はコロコロ変わるのか?

それは簡単だ。
真実はひとつ!(コナン風)

そもそも、過去世なんてないから。
前世なんてないから。


このブログでも何度も書いているように、
霊界からその人が協助する現象はあったとしても、生まれ変わりはない!!

これが真実。

悪意に取れば、「最初から詐欺だったんだろ~」ということになるが、
大川隆法氏の言動を善意にとらえてフォローするとすれば、

霊的なものが見える人は、その協助現象が生まれ変わりに見える
当時の3人にはそれぞれ信長、秀吉、家康がきっと協助していたんだろう。
それを生まれ変わりと勘違いして宣言したんだろう。

でも協助現象なんて普遍的なものではなく一時的なものだから、何十年もたって再び霊視してみれば、協助霊が変わっているのは不思議でもなんでもない。

過去世設定がコロコロ変わる理由を、私はこのように解釈する。


前世はない。
生まれ変わりはない。
過去世はない。

人間は一度きりの人生。
死んだら永遠に霊界で生きる。
地上人に協助することはあっても、生まれ変わることはない。

親なる神様が唯一、永遠であるように、その神の子である人間も唯一、永遠の存在。

こう考えるほうが、ずいぶん科学的ではないか?

ただこれを認めると、幸福の科学の教義体系は崩壊してしまうと思われる。
特に最近は仏教的な心の教えではなく、もっぱら霊言だのみだから。


関連する以前の記事
「輪廻転生の嘘」
「生まれ変わりではなく、使命であり協助現象」
「生まれ変わりでなく霊界からの働きかけでは?」

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この絵は1660年代にオランダの画家、レンブラントによって描かれた「放蕩息子の帰還」である。

絵のテーマになっているのは、新約聖書 ルカによる福音書にある有名な放蕩息子の話。

要約すると以下のような内容だ。

父から財産を等分に与えられた兄弟のうち、弟は家を出て放蕩し財産を使い果たした。
やがて飢饉となり、豚の世話役となって、その餌で餓えをしのぐほどに落ちぶれた。
啖呵を切って家を出た以上、二度と帰れない立場だったが、本心にたちかえって、素直に自らの失敗を認め、親元に帰ることを決心する。
罵倒され突き返されるのを覚悟で実家に帰るが、そこには息子の帰りを今か今かと待っている父親の姿があった。

これは、イエスが神と人間の関係を、親子の物語にたとえて語ったものだ。
(この話には長男と父親の葛藤・・・という続きもあるのだが、ここでは省略。)

家を飛び出して、勘当した息子であったとしても、いつまでも親として子を愛し心配し、帰りを待つ親の心がみごとにたとえられている。

すばらしいのは、惨めな最低の姿でありながら、自らの非を認め、素直に親にわびようと決心した息子の心である。

「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にして下さい」と。(ルカ福音書 第15章)

そう告白する。

そこまで砕けた心で親の元に帰ったのだ。


私たちも同様である。
ついつい傲慢になって、何でも自分の力でできるような気分になり、神様なんか関係ない、オレが神様だ!みたいに突っ走ってしまう。そしてほどなく壁にぶつかり、にっちもさっちもいかなくなる。

えっ?大川隆法氏みたいだって?

違う、違う。
誰でもがそうなり得るのだ。


問題はここで、ほんとうに素直に、謙虚になれるか?
自らの非を正直に認めることができるか?
「息子として扱われなくてもかまわない。召使いでもかまわないので、親元にいさせてくれ」と、
ただただ親の許しを得、親の元に生きていたいと、
本心に立ち返った放蕩息子のような、そんな純粋な心になることができるか?
財産も何もいらない。必要なのは親子の愛だけだと。

これはハッキリ言って至難の業だ。
プライドの高い人にしてみれば、きっとエベレスト山よりも高く見えることだろう。

特に自分で「地球の最高神」とか「主」とか「国師」とまで言う人にしてみれば・・・。

限りなく勇気のいることだ。

しかし、それができたとき、神様はすべてを許し、受け入れてくださるだろう。
どんな放蕩息子であっても、神様のかけがえのない息子なのだから。



余談ながら、私はすべての人が
人生に一度は、この放蕩息子の心境を通過するのではないかと思っている。

親である神様の心がほんとうにわかったときには、
神様を無視して生きてきたそれまでの人生が申し訳なくて申し訳なくて、涙がでてくる。


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幸福の科学の支部に行ったとき、
支部長から

「統一教会は原罪といって
人間は罪人だという教えを説いている。
これが問題なのです。

幸福の科学は人間神の子仏の子と言っています。
人間の本性はすばらしいんだというのが
幸福の科学の教えです」

と説教されたことがある。

とんだ誤解だ・・・と思った。

人間神の子であるというのはキリスト教も同じである。

本来神の子である。完全な善の姿である。
しかし、人間始祖が堕落してしまった。

だから、神の子ではあるけれど、
悪魔の子でもある。
善と悪の中間位置にあるのが現実の人間の姿だ
と見る。

これが人間観である。

だから、無条件で善の姿とは見ない。
生まれながらに悪の要素も持っている人間である。

ただし、すべての人間が善なる良心を持っているから、
自然に良心の呵責を感じるし、なんとか本来の善なる姿に戻ろうとする本性がある。

そう考える。

人間神の子と言っても現実を見ると、とても神の子とは思えない罪悪で満ちあふれている。
その理由をこの人間観から説明する。



人間「神の子」「仏の子」というのは同じだ。

ただし、神と人間が親子だと言っても
段階があるだろう?


たとえば
幼児
小学生
中学・高校生
青年期
壮年期
老年期

いくつになっても親は親、
敬うのは当然のこととして、
親に接する態度は年代によって異なってくるはず。

幼少年期は、親に甘えるだろう。
中学・高校生くらいの思春期になると
自立心から、反発もあるかもしれない。

しかしやがて大人となり独り立ちしていくようになると、
親のありがたさが身にしみて感じるようになってくる。

また、親が苦労している姿を見ると
なんとか力になってあげたい、
親を喜ばせたい
そんな情も沸いてくるだろう。

やがて結婚し、子供を育ててみると
ますます親の気持ちがわかってくる。

神様が親であり、人間が神の子であるならば
そのような人間世界での親子関係が
神様と人間の間にもあるのではないか?

とすれば、自分自身は親の前にどのくらいのレベルなのだろう?

親の事情もわからずに、
「あれちょうだい、これちょうだい」とだだをこねて甘える子供の姿なのか?

それとももう少し成長して、親を喜ばせようとする姿か?

親の抱えている複雑な事情を察して
何とか力になろうとする姿か?

親の悩みを打ち明けてもらい、
一緒に涙を流したり、喜怒哀楽を分かち合う姿か?



<追記>
今回はちょっと難しい話だったかもしれないので
意味不明だったらスルーしてもらってかまわない。

幸福の科学でいう「仏神の子」って、どのくらいの段階になるんだろうね。



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幸福の科学のアンチサイトでは、
大川隆法氏の予言は外れっぱなしということがしばしば書かれている。

大きなところでは
「黄金の法」の初版と現在版の比較。

黄金の法―新文明を開く釈迦の英知 (心霊ブックス)/大川 隆法 土屋書店1987年


黄金の法―エル・カンターレの歴史観 (OR books)/大川 隆法 幸福の科学出版

Amazon.co.jp


「(20世紀末には)おそらくは大地は揺れ、空は曇り、津波がいくつかの諸都市を襲い、陥没する大陸もあるでしょう。空から降る火の雨に逃げまどう人々の姿を、テレビで見たり、ラジオで聞くことになるでしょう。」

改訂版が出た時は、以上の内容はバッサリ削除されている。

西暦2000年。世界の人びとは、前年の夏に起きた衝撃的な悪夢からまだ立ち直れないでおります。この頃まで世界の中心だったニューヨークは、その機能をほぼ壊滅的なまでに失っているでしょう。ロンドンの人びとは、夜明けの薄明かりのなかを、手探りをしながら歩いている状態です。フランスは眠っております。中近東は仮死状態です。中国は政変が起きて、共産主義体制が急速に崩壊していきます。ソビエト? その名は、死を意味しています。大きな死体が横たわっているのと同じです。

日本は―――日本は、全国各地で復旧作業が続いております。自衛隊員が、ミミズのように分断された新幹線の線路工事に、玉のような汗を流しているでしょう。かつて都市だった太平洋岸のある地域には、黒潮が打ち寄せて、藻が繁り始めています。日本各地で、政府主催の合同慰霊祭が行われて、その読経の声が低く流れております。しかし、日本は無事でした。この災難を期に、日本では、神理を求める声が全国津々浦々から聞こえてき始めて、人びとは悪しき万能主義、唯物主義の迷信から目覚め、光へと向かいつつあります。」


2000年の様子を描写したこれらの予言も削除されている。

ご苦労様。

幸福の科学の救世事業によって、大災害が回避されたのだ。
大難が小難になり、小難が無難になったんだ
という主張もあるかもしれない。

それにしても、「このようになる」と断定的に書いた書籍を
後ほどの改訂版でばっさり削除しないといけないというのは
かなり恥ずかしいことではないか?

「運命論」は間違いである。
大川隆法氏は断定的に発言するために、
信者を誤った方向へ誘導している部分が多々あるのではないかと思う。


大川隆法氏の予言はなぜ外れるのか?
このことについてはまた書くこととする。


以前の記事「なぜ予言には両面があるのか?」も参考にご覧下さい。


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