幸福の科学を統一教会の信者が見ると -14ページ目

幸福の科学を統一教会の信者が見ると

幸福の科学も統一教会も、同じカルトじゃないかって?まあそうかもしれないけど、幸福の科学を見てるといろんなことを考えさせられるんですよ。「真実は小説よりも奇なり」

幸福の科学が魅力的だったところ、
それは爽やかな明るい宗教、未来型宗教というイメージだ。

宗教といえば、「迷信」とか「弱いものが信じるもの」と言われることが多く
普段は冠婚葬祭のときとか、地域の行事以外は用がない、
文化財か古い歴史の遺物か
そんなイメージを持つ人が多かったと思う。

表だって口にするのをはばかられる・・ような。

幸福の科学には
宗教を堂々と語り、誇ることのできる、そんな文化を作って行こう
発足時はそんな気概を感じた。

「偉大なる常識人となれ」
すばらしいスローガンだと思った。
共感した。

宗教は違えど、信仰を持つ一人の人間として、自らもそうあらねばと思った。

この20数年間、幸福の科学は私にとっていい刺激になってきたし、その存在に感謝している。

このブログでは、手厳しく批判しているけど、本当は初心を忘れずがんばってほしい
というのが正直な気持ちである。

大川隆法氏は2005年ごろ、心臓発作で危ない時があったという話も聞いたことがあるが、今も生きて現役で活動中ということは神様に生かされたのだと思うし、まだやるべき使命が残っているのだと思う。

今となっては、もはや軌道修正は不可能か・・・?


ユートピア建設というのは、宗教人みな共通の夢であろう。

文鮮明師の自叙伝には以下の記述がある。
「宗教も、自分の宗教のために存在するのではなく、愛と平和のために存在します。世界平和が成し遂げられれば、もはや宗教は必要ありません」

「宗教は神様の完全な世界に入っていくための手段であって、それ自体が目標ではないからです」


入教したばかりのとき、教会の先輩からこんなことを言われた。
「宗教をなくす宗教、それが統一教会なんですよ。
神様が親(父母)で、人間が神の子であるという、これが当たり前の世界になれば宗教は必要ないんです」と。

意外な言葉であったが、不思議と納得した。

教団の存続や発展は問題ではなく、
まして、他人からどう評価されるかが問題ではなく、
重要なことは、神様の願われるように生きることができるかということだ。

神を親とし、他人を同じ親(神)を持つ兄弟姉妹として
本当に家族のような情の関係を結ぶことができるか?
国や人種を超えて、そのような人間関係をどれだけ築くことができるか?
そして幸福な家庭をつくることができるか?

それができずしては、理想はただの「絵に描いた餅」にすぎない。
また、それはきれい事ではすまない、ほんとうにたいへんな道だと思う。
しかし、これ以上に夢があり、やりがいのある人生もないのではと思う。
なぜ大川隆法氏は「自らが神である」というような
とんでもない妄想を持つようになってしまったのか。

これは私の個人的な予想であるが、
幸福の科学が宗教法人化する前の1990年ごろ、きっと大川隆法氏は
「あなたは主である!」という啓示を受けたのだと思う。

「そうか、私が主なのだ!」

そこから以下のような、とんでもない設定が生まれてきたのだろう。

エル・カンターレとは、「うるわしき光の国、地球」や「地球の光」という意味で、その名の通り、地球の最高神です。
主エル・カンターレは、地球のすべての神々を導く存在であり、キリスト教的にはイエス・キリストが「わが父」と呼んだ方、イスラム教的にはアッラーです。
そして、主エル・カンターレは、現代の日本に大川隆法総裁として生まれられ、西洋文明と東洋文明を日本という地で融合し、全人類を導く教えを説かれています。
(幸福の科学サイトより)


ちなみに、最近の著書『太陽に恋をして~ガイアの霊言』では、なんと!「まえがき」「あとがき」のあとには、「主 大川隆法」とまで、書かれている。


ところで、統一原理の復活論のなかに、「終末に起こる霊的現象」という項目がある。

以下、信徒用教材から。(赤線は筆者)
$幸福の科学を統一教会の信者が見ると
$幸福の科学を統一教会の信者が見ると

終末には、「あなたは主である」という啓示を受ける人たちが多く現れるが、それはなぜか?という解説である。

本来神様は、人間を創造されたとき「生めよ、ふえよ、よろずのものを治めよ」という祝福を与えられた。「万物の霊長として、神の愛をもって全ての万物を治めなさい。神の創られた世界を治める主になりなさい」と祝福された。

しかしその神様の願いを、人類始祖アダムとエバは未完成の段階で堕落し、果たすことができなかった。

それで、人間の心霊が時代と共に成長し、人間始祖が堕落する直前の立場と同じ心霊基準に達すれば、神様は「あなたは主である」という啓示を下さるのだ。

また、各自の使命分野においては、再臨主のための時代的代理使命者として選ばれた聖徒たちなので、彼らにも、「主」という啓示を授けてくださるのである。

さらに、神様は彼らが各自最善を尽くすように激励なさるため、「あなたが一番である」という啓示を下さるという。

彼が担当した部分的な使命分野においては、事実上、彼が一番であるために、このような啓示を下さることもあるというのだ。

これが統一原理による見解だ。
さらにこう続く。

また、篤実な信仰者たちが、アダムとエバの堕落直前の心霊基準まで成長して霊通すれば、アダムとエバが克服できずに堕落したのと同じ試練によって、堕落しやすい立場に陥るようになる

統一原理で言う「堕落したのと同じ試練」というのは、まさに愛と性の問題、淫乱の罪である。

この統一原理が書かれたのは1960年代であり、幸福の科学が出てくる20年以上も前に書かれたものである。

後付けの説明ではない。
このような現象が起こってくるだろうという50年前からの予言であった。

幸福の科学の動向を見ると、まったく統一原理の予言通りに進んでいるのがよくわかる。
いわば、公式どうりの顛末というわけだ。

「自分が一番」と思いこんで傲慢になる、謙虚さを無くし誰の言葉にも耳を傾けなくなる、そして行き着く果ては男女の乱れた関係へ。

幸福の科学にかかわらず、あらゆる霊的な集団が陥りやすい落とし穴なのだ。


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幸福の科学では今、退会者や植福(献金)をストップする人が
続出していると聞く。

幸福の科学では教義が変わったり
過去世の設定がコロコロ変わることに
疑問や不信を感ずる人も少なくないと思う。

そして次々と起こるスキャンダル。

しかし疑問を持ったとしても
疑ってはいけない、ただ信じなさい
と教えられるため
理性を無視し盲目的な信仰へと走っていく人のみが残り、
もはやついて行けない人が多量に発生しているのだろう。


幸福の科学がもし、初期のような神理の探究団体であり
正しき心の探究をする団体であれば

あるいは
大川隆法氏が、ただの作家であったり
団体の主宰ぐらいであれば
さほど問題ではなかっただろう。

真理の探究中なのであれば
年月とともに悟りが深まっていくこともあるだろうし
新しい悟りや教団の発展とともに
教義の変更も十分ありえるだろう。

いろんなスキャンダルも
修行中の身ということで素直に反省の姿を示せば、
いくらでも挽回が可能であろう。


最大の問題は
不完全な状態で、完全なものであるかのような設定にしたことだ。

いち修行者、いち真理探究者であれば良いものを、
それをいきなり
「我こそはエル・カンターレなり。地球の至高神なり」
とぶちあげてしまったものだから
後に引けなくなってしまったのだ。

さらに教祖のみならず
団体の職員までも
「絶対善なるエルカンターレに従う団体だから
教団も絶対善、職員も絶対善」
となり
会員の意見には一切耳を傾けない
意見する者は「魔にとりつかれた者」とレッテルを貼って排除する
そんなとんでもない団体になってしまった。

愛、知、反省、発展という「四正道」を説きながら
自らが反省のできない教祖と団体になってしまった。

ここに大きな矛盾がある。


なぜ大川隆法氏は「自らが神である」というような
とんでもない妄想を持つようになってしまったのか、
それに関しての見解は明日書くことにする。



次の記事「あなたが主である」という啓示を受けた大川隆法


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アンチサイトでは、
幸福の科学に関する没落の法則逆没落の法則
まことしやかに囁かれている。

恐るべき方程式。

大川隆法氏によって持ち上げられたり
幸福の科学にかかわると
坂道から転げ落ちるように運を無くして没落する
という怖い法則なのだ。

アンチサイトであげられている例はたくさんある。

「没落の法則」で検索すると、たくさんの例があげられている。

たとえば先日も、映画「ファイナル・ジャッジメント」に出演した宍戸錠さんの自宅が全焼したとか。

「もしかすると自分も幸福の科学に関わったため、没落の法則にはまってしまうかもしれない」と不安になったときは、どう対処したらよいのか?
それが、逆没落の法則だ。

幸福の科学から悪魔認定されたり、訴えられたり、非難されたりすると、何と逆・没落の法則が働いて、一気に運勢が上がるという。

すごい開運の方法である。

この例も「逆・没落の法則」で検索すると、色々と見つけることができるだろう。

そういえば、統一教会も2010年ごろ大川隆法氏の霊言でさんざん悪口言われた。「文鮮明の霊言」。



一信者として統一教会の内部状況を振り返ってみると、どうもその頃が一番大変だった時期で、それ以降ゆるやかながらV字回復に向かっているような気がする。
私の勝手な主観だが。

これは逆・没落の法則が働いたのかもしれない!(笑)

あの霊言はそもそも、とある雑誌が新興宗教の特集をした時に、幸福の科学が統一教会と同じカルト扱いされていることに大川隆法氏が激怒して、それで「うちはそんなカルトとは違うんだぞ~」と主張したいがための霊言だったらしい。

それまで霊言はたぶんホンモノなんだろうというのが私の認識ではあった。
霊言の対象として取り上げている人も、詳しくは知らない人が多かったし。
1980年代の霊言も興味深く読んでいたし。
しかしあのとき、霊言は100%デタラメだとはっきり認識させてもらった。思えばありがたい霊言であった。


記事「大笑い文鮮明守護霊の霊言」もどうぞ。



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遠藤周作の「沈黙」という小説があった。
17世紀、江戸時代初期の史実・歴史文書に基づいて書かれた小説である。



すさまじいキリシタン弾圧の中で
挫折していった宣教師の悲しみ。

理不尽な仕打ちを受け続けるキリシタンを見つつも、
なぜ神は沈黙を保ったままなのか?

無能の神なのか?
善の神ではないのか?
神は正義の味方ではないのか?

なんともやるせない物語である。

ところで、一般に「神を信じない」という人は、ただ唯物的な人ばかりではない。
善良に、正直に、真面目に生きながらも裏切られたり、理不尽な目にあったり、とても苦労した人である場合が少なくない。

神がいるなら、なぜこんな報われない人生なのか?

なぜ要領良く、ずる賢く生きている人が豊かに幸せそうになり、真面目に正直に生きている者がつらい思いをしなければならないのか?

こんな世のなか、神も仏もあるものかと。

本当に真面目に努力し、一生懸命に生きた人こそ、こんな思いになりやすいだろう。

神はなぜ沈黙を保たれるのか?
無能な神なのか?

その答えは、神の責任と人間の責任にある。

神がどんなに道すじをつくられたとしても、最後にそれを全うするのは人間自身の責任なのだ。

神はそこに干渉することはできない。
人間はロボットではないのだから。

助けたくても手を差し伸べることができない神。

救世主を送っても、それを受け入れるか受け入れず排斥するかは、人間の責任。

十字架上のイエスを助けることができずに、じっと見つめることしかできない神。

善なる者が鞭打たれ、弾圧され、それに沈黙で見守るしかできない神。

冷たい神?無慈悲な神?
いや、一見そう見えるが、その背後には膨大な涙がある。

気の遠くなるような忍耐と悲しみと、あまりにも深い愛情。

じつは苦しむ人間以上に、それを見つめる神のほうが苦しみを味わっておられたのだ。

遠藤周作の「沈黙」でも「弱い神」「寄り添うイエス」として描かれていた。その通りだと思う。

親として我が子を救いたい神、
しかしどんなに手をさしのべられても
人間のほうでそれをしっかりつかまなくては、救いは成就しない。

人間自らが悟り、そして行動しなければ。


これは
「神がいるなら、どうして世界中戦争ばかりなんだ?」
「なぜ神は人類を一度に救えないのか?」という疑問への答えでもある。

神は全知全能。愛の神、善の神。でも原則を曲げることはできない。絶対・永遠・不変の神であるから。

コロコロといくらでも都合よく設定を変えることのできる、地球至高神のエル・カンターレとは全然違うことを付け加えておきたい。


 ↑
「沈黙」って映画化もされたのですね。


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