聖書を見ると、救世主イエス・キリストが人々の前に現れるまえに、ヨハネという人物が登場する。
バプテスマのヨハネとも洗礼者ヨハネとも呼ばれる。
祭司の息子であり、誕生時の奇跡があり、その人格と修道生活から、人々が「もしやあなたがキリストでは?」と問うてくるほどの人物であった。
ヨハネは「わたしはキリストではない」と告白する。
ではヨハネの使命は何なのか?
(1-15)ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った、「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。
(1-23)彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。
(1-26)ヨハネは彼らに答えて言った、「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがたの知らないかたが、あなたがたの中に立っておられる。(1-27)それがわたしのあとにおいでになる方であって、わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない」。
ヨハネ自身が証言している。自分のあとに来る方のほうがすぐれた方だ。自分のあとにくる主の道を、まっすぐに整えるが私の使命だと。
そして翌日、イエスを見たヨハネは「まさしくこの方が来るべき方だ」という神の啓示を受け、「この方こそ神の子だ」と証言する。
私は、大川隆法氏が洗礼ヨハネと同じ使命をもっていたと考える。
一部の者からは、「もしや、あなたこそが来るべき救世主ではありませんか?」
と言われるほどの人物。しかし救世主ではない。
来るべき救世主の前に、道を整えて準備する者だ。
霊界の存在を証し、善良な人々の心を神に向ける。
1980年代、幸福の科学が「神理の学習団体」のころは、たしかにそうだったのではないか?
既成の宗教や思想では満足できない純粋な求道者たちが集っていたのではないか?
それらの者を来るべき主につなげるのが、神から見た大川隆法の本来の使命だったのだ。
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