洗礼ヨハネは救世主を証しできたのか? | 幸福の科学を統一教会の信者が見ると

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幸福の科学も統一教会も、同じカルトじゃないかって?まあそうかもしれないけど、幸福の科学を見てるといろんなことを考えさせられるんですよ。「真実は小説よりも奇なり」

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イエスを見たヨハネは「まさしくこの方が来るべき方だ」という神の啓示を受け、「この方こそ神の子だ」と証言する。

ヨハネによる福音書より
(1-29)その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
(1-30)
『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである。
(1-31)
わたしはこのかたを知らなかった。しかし、このかたがイスラエルに現れてくださるそのことのために、わたしはきて、水でバプテスマを授けているのである」。
(1-32)
ヨハネはまたあかしをして言った、「わたしは、御霊がはとのように天から下って、彼の上にとどまるのを見た。
(1-33)
わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。
(1-34)
わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」。



洗礼ヨハネがイエスを証しすることで、弟子たちはイエスのもとに行くようになる。

(1-35) その翌日、ヨハネはまたふたりの弟子たちと一緒に立っていたが、(1-36) イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、「見よ、神の小羊」。
(1-37) そのふたりの弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについて行った。

(1-41) 彼はまず自分の兄弟シモンにに出会って言った、
「わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った」。


洗礼ヨハネの弟子たちは、
自分たちがメシヤではないかと思うくらいに尊敬していた先生から
「彼こそが神の子である」と証しされたので
素直にイエス・キリストのことをメシヤとして信じることができたのだ。

このように、神は救世主を送るまえに
洗礼ヨハネという人物を通して、道をまっすぐにする準備をなされた。

1980年代、バブル景気に浮かれ酔いしれる日本のまっただ中で
物質的な幸福には飽き足らない、
本当の心の幸福、精神的な充実感を求める純粋な人々が
幸福の科学に集っていった。

これは大きな神の計画であったように思う。
地球規模の救世事業が始まろうとしていたのだ。

しかして、大川隆法氏は洗礼ヨハネの使命を果たすことができたのだろうか?

彼は来るべき真の救世主を探し出し、自分に従ってくる弟子たちに対して
証ししなければならなかったのだが。

洗礼ヨハネに神の啓示が下り、イエスの上に
「御霊がはとのように天から下って彼の上にとどまるのを見た」ように
1990年頃、大川隆法氏にも
「この方がきたるべき方である」という啓示は
まちがいなく降りたはずである。

それを謙虚に受け入れるか、受け入れないかは
神も干渉できない大川隆法氏自身の責任なのである。

それが、その後幸福の科学という神理探求の団体がどうのような道を行くかを
決定づけることになる。


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