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小・中学校の卒業式で泣けなかったおはなし。
小学校卒業で
どうせみんな同じ中学校に行くんだし…と
冷めた目で泣いている子たちを見ていましたが
中学校卒業も
どうせ地元が一緒なんだから会うし…と
またまた冷めた目で見ていました。
同じ高校へ10人くらい
行くことが分かっていたのもあって
そこまで寂しさを感じる必要がないのも
あったんだと思います。
ひねくれてるなと自分でも思いつつ
中学生の思春期まっただ中で
いろんな抱えきれない感情を
抑圧しまくっていたんだろうと
思います。
この泣けなくて感情を抑えてしまった体験を
HSS型HSPの愛すべき個性を使って解説していきます。
● HSS型HSPの特性から読み解く「冷めた目で見てしまった」背景
① 感情の強さ × それを抑圧するクセ
HSPは本来
感情が深く、共感性が高い特性を持っています。
つまり、
感じすぎるからこそ、感じないように制御した
可能性があります。
心理学では
感情回避(Emotional Avoidance)
と呼ばれる反応です。
本当は寂しい・不安・名残惜しい感情があるのに、
受け止めるのがしんどいから
“冷めた態度でふたをする”
という仕組みです。
② HSS(刺激追求)特性の作用
HSS型は
「変化・新しい環境」を求める傾向があります。
卒業 → 新しいステージは
刺激なので、
むしろ次があるから大丈夫と捉えやすい。
これが
寂しさを感じにくい or 感じないふりをする
という形につながります。
③ HSP(敏感な心)ゆえの“距離の取り方”
人の感情が流れ込むと
心が疲れてしまうため、
HSPは他人の感情から距離を置くことがあります。
周りで泣く人がいる → その情動に巻き込まれる
=エネルギーを消耗する
だから
心理的距離を置く = 冷静さを保つ
となった可能性があります。
これは
「情動的境界(Emotional Boundary)」
を本能的に守った行動。
④ “冷めている”の裏にある
防衛機制(Defense Mechanism:知性化)
「どうせ同じ学校」「会えるし」
という理屈で
寂しさを抑えるのは
知性化(intellectualization)という心理的防衛です。
本当の感情(寂しい・不安)を
理屈で抑え込むことで心を守ります。
冷めているように見えても
その下には
大きすぎる感情 → 処理しきれない → 麻痺させる
というプロセスがあります。
● つまり何が起きていたか
“冷めている”のではなく
感情を守るために麻痺させていた
感情が深いからこそ、
同級生の涙に共鳴したら
自分が崩れてしまいそうだった。
だから
「どうせ会うし」
と“理性的な理由”をつけて
距離を取った。
ひねくれでも、性格の問題でもなく
自己防衛本能(self-protection)
大きな感情を感じきるキャパが
当時はなかったんです。
だから
・感じないようにする
・ひねる
・理屈で抑える
という形で身を守っただけ。
自分を守るために
最善を選んでいたんです。
冷めていた=感性が乏しい
なんてことはなくて、
むしろ感じすぎるからこそ、冷静を装って守っていた。
HSS型HSPは
“強さ”と“弱さ”を同時に持つタイプ。
その両方が
当時の中学生だった自分の中で働いて
「いまは感じないほうが安全」と
判断していたのです。
それは生き延びるための知恵でした。
決して、ひねくれではありません。
がんばっていた証です。
☆☆☆☆☆
中学生だったころは、自分の特性に気づくはずもなく
すぐに泣いてしまう泣き虫な自分はダメな弱い子なんだ
と思っていたので
どうにか泣いてしまわないように
感情を麻痺させてまで自分を守っていたんですね。
きっと素直に感情を出せる子たちがうらやましかったはずだし
泣いてしまう自分が恥ずかしいなんて思いもしないで
泣けているんだろうなと思って
ズルいなと感じていたような気がします。
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