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監視の中で育った神経が、大人になっても世界を“監視モード”で見ていた話

 

 

私はずっと、説明できない違和感を抱えて生きてきました。


誰も見ていないはずなのに、「見られている気がする」。

 


レストランや結婚式のようなサービスの人が周りにいる場所でも

サービスの人と分かってるし

私だけをみているわけではないとわかっているのに、

なぜか視線が怖い。

 


慣れている人なら平気だけれども、

初めての人と食事をすると緊張して

食べられないことがよくありました。

 

 

息子の幼稚園の時は、

毎学期クラスごとにランチ会があって、

強制ではなかったのですが、

初めての育児なので参加した方がいいと思って

毎回

参加していましたが、

食べながら話すのが苦手で、性格の問題だと思っていました。

 


気にしすぎ、自意識過剰、弱いだけと、

そう自分に言い聞かせてきた。

 

 

でも違いました。

 

 

私の神経は、子どもの頃の“監視の世界”に合わせて作られていただけでした。

 

 

 

1.食事は安心じゃなく「試練」だった

 

実家の食卓に、安心はありませんでした。

祖母と母の言い争い。
機嫌の悪い空気。
家族がそろうことはほとんどなく、みんな別々。
外食では父が待ち時間でイライラし、早く食べなきゃと焦る。
もともとが車酔いしやすかったのですが、

待ち時間の長かった外食の日は

帰りの車から降りた瞬間に吐いてしまうほど、体は緊張していました。

 

 

小学校高学年の時のお昼の時間もつらかった。
週に2回の自由に食べていい日、

私はどのグループにも固定されず、
“入れてもらう側”で毎回心が試されていました。

 


食事は休む時間じゃなく、居場所テストだった。

そうやって私は、
「食事=安心」ではなく
「食事=緊張」という回路を体に覚えさせていきました。

 

 

2.大人になっても消えなかった感覚

 

家を出ても、県外に行っても、祖母が亡くなっても、
あの空気は終わらなかった。

 

レストランのサービスの視線さえ緊張してしまう。
初対面の人と食べると緊張して食べきれずに残してしまう。
夫が食卓でスマホを見るだけで胸がざわつく。

 

本当は誰も監視していないのに、
私の神経だけが“見張られている前提”で動いていたのです。

 

 

これは妄想でも性格でもなく、
監視に適応した神経の設定でした。

 

 

3.息子のべったりがつらかった本当の理由

 

息子が幼い頃、ママべったりで離れなかった時期、
私は「ストーカーみたい」と感じてうんざりしていました。

 

ひどい母だと思っていました。

 

でも今になって、ようやく分かりました。
息子の甘えが悪かったのではなく、
“常に見られている感覚”が、祖母の監視と重なり、

私の神経が限界になっていただけだった。

 

息子が私から離れない=祖母からの監視されている恐怖 になっていました。

 

息子への愛がなかったのではなく、
安心の土台が足りなかった。

 

 

去年の年末4泊5日の入院をして、その退院後、

飼い飼が寂しかったのか、2週間くらい、

ひたすらべったりくっついて来ていましたが、

これには「いきなり5日も家を空けていたから仕方ないな」と思い

思う存分べったりさせて寄り添えたのは、
入院して何もせず、何も考えず、

私の神経が少し回復していたからでした。

 

 

4.スマホ問題もダミーだった

 

10年悩んだ夫のスマホ問題も、
マナーや態度だけの話ではありませんでした。

 

夫が目の前にいるのにスマホを見ていて

私から意識が離れると、
私はまた“ポツン”の側に戻される。


あの小学校のお昼ご飯の自由に食べていいときの

ポツンと居場所がなかったような感覚がよみがえる。

 

 

欲しかったのは
「夫がスマホをやめること」ではなく
一緒にいる実感・穏やかな食卓だったのです。

 

 

5.安心がないと、気づくことすらできない

 

長い間、どういう理由で苦しくなるのか

何も分からなかったのは当然でした。


人は安心がない場所では、過去を振り返れない。

 

最近になって、犬のぬくもりや静かな時間の中で、

ようやく私は気づき始めました。

 

 

・見られていないのに見られている感じ
・食事への緊張
・べったりへの拒否感
・視線の怖さ

 

全部が同じ根っこから伸びていたことを。

 

 

6.これから作り直せる世界

 

監視そのものはもうとっくの昔にない。


残っていたのは“監視モードの名残”だけ。

 

気づいた時点で、設定は更新され始めます。

 

私はいま、穏やかな生活をやり直したい。
家族そろって「安心の時間」を作りたい。
 

 

☆☆☆☆☆

 

一人で家にいて、誰もいるはずがないのに

なぜか誰かに見られている感覚が抜けなくて、

「気のせい」だと思うことで、やり過ごしてきました。

 

子どもの頃に、祖母から監視されてどこにいても気が休まらなかった感覚を

ずっと繰り返してきたのでした。

 

ようやく、この見られている感覚が、

祖母からの監視されたときに覚えた、監視に適応した神経の名残だと、つながりました。

 

長年の謎がとけて、ようやくホッとできました。

 

 

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