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「ねえ、ママって呼んでいい?」

近所の子にそう言われた瞬間、ゾッとした。

 

シングル家庭で留守番が多く、

かわいそうだと思っていた。

寂しいんだろうな、少しでも安心できたらと、よくしてあげていた時期があった。

でも気づいたら、私はその子の中で「優しい近所の人」ではなく、

心の穴を埋めてくれる存在になり始めていた。

 

「あ、私、母親役を求められてる」

そう気づいた瞬間、体がひやっとした。

なんで私、こんなことになってるんだろう。

断れなかったわけじゃない。

でも、気づいたら深みにはまっていた。

 

そういう経験、ある人いないかな?、と思う。

 

「助けたい」の裏側にあるもの

HSS型HSP×アダルトチルドレンには、

困っている人を助けずにいられない傾向がある。

これは、ただ優しいだけではない。

助けることで自分の存在価値を感じてきたという経験が

隠れていることがある。

 

幼いころ、「いい子でいれば愛してもらえる」「役に立てば必要とされる」という環境の中で育つと、

人の役に立つことと自分の安心が、セットになってしまう。

大人になっても、それがそのまま残っていることがある。

・頼られると断れない 

・放っておけない 

・かわいそうと思うと、気づいたら動いてしまう 

・いつの間にか相手中心になっている

 

HSS型HSPは、相手の感情や場の空気を深く察知しやすい。

そこにAC傾向が重なると、

「相手を優先していれば嫌われない」「役に立てば存在していい」という感覚が、

無意識の前提として入り込んでいることがある。

 

だから、助ける側に自然と回ってしまう。

意識してそうしているわけじゃなく、

気づいたらそうなっている。

それがこのタイプの特徴でもある。

 

境界線が薄くなっていくしくみ

HSS型HSP×ACは、相手の寂しさを自分のことのように感じやすい。

相手が悲しそうにしていると、胸が痛くなる。

その子の孤独が、まるで自分の孤独みたいに感じられる。

だから「何かしてあげなきゃ」と体が動く。

これは意志の弱さじゃなく、神経系の反応だ。

 

さらに、頼られる・感謝される・必要とされるという体験は、

脳の報酬系を刺激する。

一時的に、自分の中の寂しさや空っぽ感を感じなくて済むようになる。

「誰かの役に立っているとき」だけ、

自分が満たされる感覚になる。

だから止まれなくなる。

 

でも、これは本当の意味での充足感じゃない。

相手への関与が途切れた瞬間に、またぽっかり空洞が戻ってくる。

その繰り返しの中で、どんどん深みにはまっていく。

 

私もそうだった。

距離を取ろうとしたとき、すごく苦しかった。

家に来ても断った。

「ママ(私)と遊びたい」と言われても夫に代わってもらった。

それでも罪悪感はずっとあった。

「冷たいことをしてる」「あの子がかわいそう」という声が、頭の中でずっとしていた。

そして、ようやくその子が来なくなった頃には、

心身ともにボロボロだった。

 

本当は、助けられたかったのは自分だった

しばらく経って、ようやく気づいた。

本当は、助けたかったんじゃない。 

助けられたかったのは、自分だったんだ、と。

あの子の寂しさに共鳴していたのは、

自分の中にも同じ寂しさがあったから。

満たされたかったのは、あの子だけじゃなかった。

それに気づいたとき、罪悪感の正体が少し変わった気がした。

 

「助ける側を降りる」ことは、回復の一歩

HSS型HSP×ACの回復は、「助ける側を降りる」ところから始まることがある。

 

・疲れたら休む 

・断る 

・背負いすぎない

 ・「かわいそう」という感情だけで動かない

 

これは冷たさじゃない。

自分を守るために必要な、神経の境界線。

相手の感情を受け取りながらも、自分の輪郭を保つこと。

流されないこと。

それができるようになると、神経系が少しずつ落ち着いてくる。

「助けなきゃ」という衝動がゆるんできたとき、

はじめて「自分はどうしたいか」が聞こえるようになってくる。

それがHSS型HSP×ACにとって、じわじわと神経系を整えていく第一歩になる。

 

 

 

つづく