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「HSS型HSPって、一人が好きなんでしょ?」
そう言われるたびに、なんとなく違和感があった。
一人の時間は好き。でも、一人が好きなわけじゃない。
本当は、誰かと笑いたい。くだらない話をしたい。安心できる輪の中にいたい。
だから「人嫌い」という言葉が、ずっと自分にはしっくりこなかった。
HSS型HSPが人間関係で消耗するのは、「人が嫌いだから」じゃない
HSS型HSPは、刺激に敏感な特性がある。
だから大人数の場で疲れやすいのは事実。
でもそれは、「人が嫌い」とは全然別の話だと思っている。
むしろ、人が好きだからこそ、
- 相手の感情を受け取りすぎる
- 空気を読みすぎて、場を壊さないように頑張りすぎる
- 嫌われないように、役割を背負いすぎる
- いつの間にか、その場の感情処理役になっている
これが積み重なって、人と関わるだけでヘトヘトになっていく。
わたしも、人間関係で悩みすぎて転職を10回繰り返した。
社会に出るほど、「気を遣いすぎる自分」が増えていったから。
しかも最初は、ちゃんとこなせてしまう。
だから周りからは普通に見える。
でも内側では、神経がずっとフル稼働していた。
「コミュ障」じゃなくて、「安心して人と関われる状態じゃなかった」
ある時期から、「わたしってコミュ障なんだ」と思うようになっていた。
でも今思うと、それは少し違う気がしている。
コミュニケーション能力が低かったというより
安心して人と関われる神経状態じゃなかった、というほうが近い。
嫌われないように。 浮かないように。 変に思われないように。
常にそこに意識が向いていた。
そりゃ、自然体で話せない。
緊張した状態でいくら「うまく話そう」としても、限界がある。
子ども時代に「安心できる輪」を知らなかった
わたしが育った家は、祖父母もいて親戚も訪ねてきて
大人が多い環境だった。
でも、みんなの生活リズムはバラバラで、一緒にワイワイする感じがなかった。
一家団欒の温かさを知らない。
大人たちの中に、子どもがポツン。
いつも大人たちが談笑している横で、疎外感を感じていた。
だからなのか、「安心して輪の中にいる感覚」が、
よくわからないまま大人になった。
グループの中にいると、自分がどこにいたらいいのか分からなくなるんだよね。
だから無意識のうちに、 グループ=気を遣う場所・自由がない・楽しくない場所
そんな方程式が出来上がっていたんだと思う。
今でも、家族ぐるみでワイワイしている人たちを見ると、ちょっと羨ましくなる。
安心して笑っているママたちの輪を見ると、ふと立ち止まってしまうことがある。
「一人が好き」は、強がりだったかもしれない
昔は、「私は一人が好きだから」と自分に言い聞かせていた。
でも正直に言うと、本当は寂しかった。
それを少し認められるようになったのは、わりと最近のこと。
HSS型HSPだから、一人が好きとは限らない。
一人じゃないと神経が休まらなかっただけで、
安心できる関係があれば、本当は人と一緒にいたい人もいる。
「安心できる人間関係」を知らなかっただけ。
それだけのことだったのかもしれない。
もしこれを読んで、「なんかわかる気がする」と思った人がいたら
あなたも、人嫌いじゃないと思う。
ただ、安心できる場所をまだ見つけられていないだけかもしれない。
つづく
