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ジュースをこぼした夜、娘を抱きしめながら気づいたこと

娘と買い物の帰り、蓋つきカップのジュースを買って帰った。

「おうちで飲もうね」って言いながら、娘はうれしそうにそれを両手で持っていた。

でもリビングに入る直前、つまずいた。

床いっぱいにジュースが広がって、残ったのはほんの一口分。

娘は大泣きした。

楽しみにしていた分だけ、ショックが大きかったんだと思う。

 

以前の私なら、どうしてたか

子どもに怒鳴っていた頃の私なら、きっと反射的に言っていた。

「何やってんの!」

こぼした事実より先に、片づける手間とか、

また買いに行く大変さとか、泣き声の大きさとか。

そういう"処理しきれない負荷"に、神経が先に反応していたから。

HSS型HSP×アダルトチルドレンのわたしは、

子どもが泣いている姿を見ると、自分の中の焦りや不安まで一緒に刺激されやすい。

「早く泣き止ませなきゃ」「なんとかしなきゃ」って、苦しくなる。

 

でもその日は、ちがった

まず床を拭いて、それから泣いている娘を抱きしめた。

「うん。うん。悲しかったね」

それだけ言って、ただただヨシヨシしていた。

娘は「飲みたかったぁ…」ってワアワア泣いていた。

もう一回買いに行こうか、とは言わなかった。

先回りして解決するより、この子が悲しい気持ちを感じ切れる方が大事な気がしたから。

感情って、急いで消そうとすると逆に長引くことがある。

だからその時は、娘が泣き止むまで、ただただ温かさを感じながら抱きしめていた。

そのうち娘は自然と落ち着いて、何も言わず遊び始めた。

 

半年後のこと

テレビにたまたまあのジュースが映った。

すると娘が言った。

「あのジュース飲みたい。前にこぼしちゃって悲しかった…」

半年経っても、ちゃんと心に残っていたんだよね。

「そっか、悲しかったよね」と言って、今度は一緒に買いに行った。

娘は今度はこぼさず持って帰って、満足そうに飲んでいた。

その姿を見ながら、なんだかわたしまでホッとした。

 

あの時、一番癒されていたのはわたしだった

娘を抱きしめながら、ふと気づいた。

 

「ああ、わたしはこうしてほしかったんだ」

 

わたしの親なら、きっと同じ状況で「何やってんの?」と怒っていたと思う。

わたしは子どもの頃に泣いていた時、解決より先に、ただ抱きしめてほしかった。

悲しい気持ちを、一緒に感じてほしかった。

 

子どもってきっと、問題を解決してほしいだけじゃなくて、

「気持ちをわかってほしい」が大きいんだと思う。

でも、気持ちを受け止めてもらえない経験が続くと、

だんだん「悲しんじゃダメなんだ」「迷惑かけちゃダメなんだ」って、

感情を押し込めるようになる。

HSS型HSP×アダルトチルドレンが感情を我慢しすぎて、

限界で爆発しやすいのって、こういう積み重ねも関係していると思う。

 

「悲しい時は怒られない」を経験する

あの日怒鳴らなかったことで、

娘も、そしてわたし自身も、「悲しい時は怒られない」を経験できた気がする。

悪いことをした時はしっかり叱る。

でも、悲しい時は一緒に悲しむ。

それだけで、子どもの心は安心して落ち着いていくことがある。

 

もし今、子どもの泣き声にイライラしてしまうことがあっても、

それは冷たいお母さんだからじゃない。

自分自身が昔、受け止めてもらえなかった苦しさを

抱えているだけかもしれない。

だからまず、「わたしもしんどかったんだよね」って、

自分の気持ちにも優しくしてあげてほしいなと思う。

 

 

 

つづく