今日はネッシーの日 絶対にありえないことなどないというお話 | Ty Hassyの敢えてwokeなブログ

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「地球外生命体」(UFO、ネッシー、カッパ等)見たことある?

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僕は基本的にはこの世にあり得ないことは無いと思っています。

人間が想像し得る事はあり得ると思う訳であります。ただ、普通にいつもお目に掛れることと滅多にお目に掛れない事とは何が違うかと言うと、確率の違いだと思います。

以前にここでも何度か書いたことがありますが、僕は基本的にこの世は毎瞬可能性の数だけそれぞれの世界に分岐して行っていると思っております。これは、僕が根拠もなく勝手にそう思い込んでいる訳ではなく、現代物理学が最終的に到達した結論みたいなもので、もし世界が可能性の数だけ毎瞬分岐して行っているのでないと仮定すれば、唯一考えられる他の可能性は、人間の意識が毎瞬この世界の在り方を決定していると考えるしかないということになるのであります。

何故そういう話になるのかは、以前からここで何度も書いてきましたので関心のある方はそちらの方を読んで頂ければと思います。

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今日6月30日は、アインシュタイン記念日です。

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まあ、そういうことで、あらゆる可能性はどこかの分岐した世界の中に存在しているはずですが、その世界に今の自分の意識が繋がる確率は物事次第であると言えるわけです。

毎日会っている人、毎日乗っている電車、毎日行っている会社が、明日もいつも通りである確率は、そうでなくなる確率よりも遥かに高いが故に普通は毎日の日常は同じような状態が続くわけです。いつも乗っている電車が突然脱線して大事故にあうなどと言う確率は極めて低いためにそのような目に合うことは滅多にないわけです。

何だか、極めて当たり前のことを言っているだけのようですが、世界があらゆる可能性の数だけ分岐して行っているという考え方も慣れてくれば、極めて当たり前のことを言っているに過ぎないということが分かってくると思います。

ネッシーがネス湖に居るか居ないかという問題も、ネス湖にネッシーがいる確率がどれぐらいあるかによると思います。その確率が低ければ低いほど滅多に会えないということだと思います。

ただ、勘違いしやすいのは、その確率と言うものは万人に共通する客観的なものではないということです。

以前、テレビで東欧のエクソシストの話を紹介していました。その地域には悪魔祓いの儀式が今も存在しており、定期的にその地域の住民が必ず悪魔に取りつかれて、エクソシストがその悪魔を儀式によって追い出すのだそうです。その地域の人々にとっては、この悪魔に取りつかれる現象は紛れもない現実であり、思い込みでも、気のせいでも無いのであります。

ごく普通の若い女性が男の悪魔に取りつかれて男のような叫び声を出して暴れるのです。それをエクソシストが聖書や聖水をもって追い出すのです。その地域では毎回必ず56人ぐらいいる悪魔のうちの一人が取りついて追い出されるのです。

また、所を変えて日本には昔から狐憑きという現象があり、普通の人に狐が取りついて、コンコンと言いながら飛び回るのを霊力をもった行者が追い出して鎮めるというものです。また、東北地方の民家には座敷童がいることも有名です。

所が、面白いことに、狐憑きの現象は東欧では絶対に起きないし、座敷童も東欧には絶対に登場しないのであります。同様に、東欧の悪魔祓いに登場する悪魔たちは日本には絶対に登場しないのです。そのような現象が起こる確率は限りなくゼロに近いのです。

所が、東欧のあの地域で悪魔に取りつかれる現象が起こるのは毎年起こることを考えるとその地域の人にとっては100%の確率で起こるのです。

この違いは何を意味するかと言うと、人々がそれを信じているか居ないかによるということです。座敷童の事を知っている人など東欧には殆どいません。だから、座敷童は東欧には登場しないのです。逆に悪魔祓いに登場する悪魔の事など東北地方で知っている人はほとんどいません。だから、そのような悪魔は東北地方には絶対に登場しないのです。

要は、多くの人がその実在を信じている現象は、その信じている人々の前では実際に起こる確率が非常に高くなるということです。

良く、カトリックの国でマリア信仰が盛んな地域では、突然、空中にマリア様が出現して啓示を垂れるというような現象が度々起こり、それを何千人もの人々が目撃して新聞やテレビでも報道されることがよくあります。

ということは、その地域ではそれは紛れもなく実際に起こった客観的事実であったということです。しかし、その客観的事実と言うのも、人類すべてに共通のと言うわけではなく、同様な世界観、同様な信仰を共有している人々に共通する客観的事実であるということです。

UFO現象にしても、同じところ同じ時間に居ても、UFOが見える人と見えない人がいるのはその為です。つまり、同じような世界観や考え方を共有している人々にとっては、特定の現象に遭遇する確率は、そのようなことを全く信じていない人々に比べて、有意の割合で高くなるということです。

また、近頃、引き寄せの法則など言う謳い文句で、ネット上などでもお金儲けをしている人々が沢山見られるようですが、あれなども、全く根拠が無いわけではなく、人間と言うものはある特定のイメージを頭の中で描き続ければ、自然に毎瞬毎瞬そのイメージに近い世界を選択していくようになり、最終的には完全にそのイメージ通りの世界を選択できる日がくるというお話です。

これなども、一旦理屈が分かってしまえば、極めて当たり前の話で、別に高いお金を払ってセミナーを受けなればならないような話では全然ないわけであります。

そして、先にもちょっと触れました様に、宗教経験なども、結局はその人が何を信じているかによると思う訳であります。

キリスト教の神による救いを心から信じている人には、実際に自分の全てを神に委ねれば、神が自らの心の中に働きかけて、神の恩寵によって人を愛せるようになり自らも救われるのだと思います。

同じように、阿弥陀様に自分の全てを委ねて御すがりすれば、阿弥陀様が救ってくださるのだと思います。

アラーの神もしかりです。

また日本の伝統的な信仰のように、ご先祖様をお祀りして、家内一同の御守護を御願いすればご先祖様に御守護してもらえるだろうし、逆に不義理をすれば罰があたるのかもしれません。

このように、人間は心底信じたことを実際に経験するのであって、その経験は紛れもない事実であって、決して思い込みや気のせいなどではないということです。

しかし、このような言い方をすると、あらゆる宗教現象を相対化してしまっているようで、それぞれの宗教を絶対的に信じている人々からはお叱りをうけそうですが、僕は、逆に宗教現象と言うものが、紛れもない実体験であり、決して錯覚などではないリアリティーを持ったものでああることを強調している訳ですので、誰に叱られる筋合いも無いわけであります。

むしろ、自分の経験した宗教体験あるいは信仰体系のみが本物あるいは真実であり、それ以外のものは邪教であって間違ったものであるという考え方こそが、あらゆる、紛争の元であり、人類を幸せに導くどころか不幸のどん底に突き落とす元凶だと思っております。

ということで、どうせなら、僕は、あらゆる人々、あらゆる生き物がすべて、あらゆる争いから解放されて、皆が仲良く幸せに暮らせる世界が実現することを願って止みませんし、そういう世界を選択できるように日々念じております。本当に信じたことは必ず実現するはずですが、中々実現しないのは、どこかでやっぱり無理か?と思っているからなのかもしれません。