今や皇室こそが反戦、リベラル、憲法改正大反対の最後の牙城? | Ty Hassyの敢えてwokeなブログ

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 本当はこの記事は昨日の終戦記念日に投稿したかったのですが、昨日は帰省の移動日の真っ最中で一日遅れの今日になってしまいました。
 安倍政権が過去の戦争の反省を表明しなくなる中で、それに反比例するように天皇陛下は去年から、前例のないほどの強い言葉で「先の大戦に対する深い反省」というお言葉を敢えて付け加えられ、今年のお言葉でも「深い反省」というお言葉を付け加えておられました。
 まるで、政府がちゃんと言わないのなら、私が言いますと言わんばかりの強い決意が感じられます。
 天皇陛下の戦争犠牲者の方々に対する思いとその本気度は単なる立場や職責を越えたもので、たまたま訪米中でアメリカ政府主催の晩餐会開始の時間が6月23日の沖縄戦慰霊の日の黙とうの時間と重なってしまった時、アメリカ政府に頼み込んで晩餐会の開始時間を45分も遅らせてもらったという程です。
 昔から右寄りの人々は天皇陛下万歳!と言っていたものですが、最近はあまり言わなくなりました。
 と言うのも、今の天皇陛下や皇太子は、もし他の人が同じことを言ったらネトウヨなどに「反日、亡国左翼、在日」などと徹底的に罵倒されるような、極めて、リベラルで平和主義で恐らく憲法改正にも絶対反対なのだろうと思われる発言を以前から繰り返し表明されておられるからです。
 恐らく、今の右寄りの人々の最大の論敵は他ならぬ天皇陛下と皇太子ご自身であろうと思われるほどです。
 その事実は当の右寄りの人々も感じており、さすがに天皇陛下万歳とは言えないし、本音では言いたくもないし、今や彼らにとってのもっとも厄介な存在になっているとさえ言えるかもしれません。
 民族主義者で国家主義者である彼らにとってはその象徴である天皇は絶対的な存在であるはずだし、その彼らにとっての絶対的な尊崇の対象ご本人が、彼らの最大の反対者であり論敵であるというのはこれほどの矛盾はないと思います。
 この度の、天皇陛下の生前退位のご希望も、政府は今の天皇の特例として処理しようとしましたが、天皇陛下御自身は制度化することを強く希望されています。
 制度化するとなると、現行の皇室典範を改正する必要があります。それには相当な時間がかかるものと思われます。
 この皇室典範を改正することの最大のポイントは、その問題が決着するまでは、憲法改正などの議論ができないということです。
 衆議院で圧倒的多数を占めている与党は、今回の参院選でも圧勝し、いよいよ今度こそ憲法改正を国会の審議日程に乗せようとしていた正にその時に、あの天皇陛下の生前退位表明があったのです。
 天皇陛下が自らの信念に反する憲法改正をどんな手を使ってでも阻止するために、今回の生前退位を表明されたとまでは思いませんが、結果的に現状では憲法改正のための手続きが始められなくなっているのは事実です。
 我々国民が過去の大戦のことやその犠牲者の方々のことなど忘れつつあり、日本を再び戦争できる国にしようと本気で考えている人達がどんどん増えていっている中で、今の天皇陛下とそのご家族はむしろ時代に逆行するように、過去の大戦の過ちを深く反省することを訴えられ、二度と再び戦争によって国民や他国の人々を犠牲にしてはならないことを事ある毎に訴えられ続けています。
 憲法改正を主張している人達と天皇陛下との最大の違いは、戦争の犠牲になった人々に対する思いと哀悼の念と彼らの死を絶対に無駄にしないためにも、二度と同じことを繰り返してはいけないという強い決意があるかないかです。
 天皇陛下の、犠牲になった人々に対する思いは限りなく深く、心からのものであるのに対して、憲法改正を主張している人々は、殆どの場合は「戦争に犠牲はつきもの」位にしか思っておらず、犠牲者の方々の死を無駄にしないためにも同じ愚行を絶対に繰り返さないなどという発想は殆ど皆無で、そんなことは判断の要素にも成っていないのだ思います。
 だからこそ、平気でまた再び多くの人々を戦争の犠牲者にする道を選ぼうとするのだと思います。これでは犠牲になった多くの人々が浮かばれないと思います。