相模原事件とナチスと右寄りの人々に共通するもの | Ty Hassyの敢えてwokeなブログ

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 相模原の障害者施設で19人もの人が、一人の青年によって殺害された事件は、日本だけでなく世界も震撼させました。先ずは犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 犯人は「障害者など生きている価値はないので抹殺した方がよい」と言っていたそうです。僕は、その言葉を聞いたとたんに直ぐに彼はナチスと同じことを言っていると思いました。その後、彼はヒットラーの思想が降りてきたなどと言っているそうですが、今回の事件は、このままでは気の狂った人間の狂気の沙汰であるということで片づけられてしまいそうなので、それだけでは済まない問題をはらんでいることを指摘しておきたいと思います。
 今回の事件そのものは、恐らく障害者に受け入れてもらえなかったことによる自信喪失とその事実を受けいれたくない自分が自分を正当化するために、全てを障害者のせいにして自分の価値を貶めかねない憎むべき人々の抹殺を図ったのだと思います。しかし、結果的に犯人が抱くに至った「障害者など生きている価値はないので抹殺した方がよい」という発想が決して、この精神に異常をきたした一人の青年だけのものでは無く、非常に根が深く予想以上に大きな広がりを持つものであるということに我々は真剣に向き合う必要があると思う訳であります。
 ナチスはこのような発想の元に国家事業として障害者を抹殺して行ったのです。最初は、病院や施設に命じて、障害者には治療も食事も与えないようにして餓死させるということから始めたようですが、次第に抹殺の為の収容所を作って、毒ガスで大量に殺害するようになったということです。それによって20万~40万人もの障害者が抹殺されました。
 ナチスによるユダヤ人の殺害は有名ですが、最初は障害者がターゲットだったわけで、その障害者を抹殺するための施設がその後ユダヤ人抹殺にも使用されたという事です。
 では、何故ナチスは障害者を抹殺したのかというと、上記の「障害者など生きている価値はないので抹殺した方がよい」という発想と、より積極的にはナチスの根本思想である「ドイツ民族に代表されるアーリア人種は最も美しく優秀な民族であって世界を支配するに値する民族である。その優秀な血統の中からは不純なもの不完全なものは取り除かなければならない」という優生思想に基づくものです。
 おおよそ、ナチスに代表されるような民族主義者・国粋主義者・右寄りの人々には共通点があります。彼らは、更にリーダー格の確信犯的グリープと、取り巻き的フォロワーグループに二分できます。先ずはリーダー格の確信犯的グループの人の特徴は、ほぼ十中八九

1.自分大好きのナルシストであること
2.自分が最高の存在である為には、自分の属する民族も国も最高のものでなければならないと思っている。
3.強いもの、勇ましいもの、美しいものがなにもよりも大好きである。
4.逆に、弱いもの、劣ったもの、醜いものは反吐が出るほど嫌いである。
5.自分とは似ているが異質な人種、人々を異常なほど嫌い、卑下し、罵倒する。
6.自分と同質だと思っている強く、勇ましく、美しいものには心酔するが、弱いもの、劣ったもの、醜いものに対する思いやりは皆無であり、本音では、排除したいと思っている。
 
 どこかの国の首相が「美しい国」に拘っているのは、彼らが美しくないものは愛せない性格をしているからです。
 本当なら、人間でも国でも良い所もあれば悪い所もあり、美しいところもあれば、醜いもところもあるものですが、本当に大切ならそれらを全部ひっくるめて丸ごと大切に思えるものです。
 所が、上記のような人々は、美しく素晴らしいものしか愛せないため、過去の出来事でも、美しくないことや素晴らしくないこと、ましてや醜いことや都合の悪いことはあってはならないことであり、事実と真摯に向き合って反省すべきところは反省するということが出来ないため、醜いことや不都合なことは、無かったはずであると思いたい一心で、その証拠を探すことにしか関心がありません。
 ここまで、書いて来るともうお判りでしょうが、上記のナチスのような人々が決して過去の人々の事では無くて、今のどこかの国の与党の国会議員の多くに当てはまることが分かります。
 もちろん、程度の差はあるとは思いますが、上記の6つの特徴がことごとく当てはまる確信犯的な右翼も居れば、幾つかは確実にあてはまる人も沢山いると思います。
 また、上記の2番目のカテゴリーである、民族主義者・国粋主義者・右寄りの人々の中の取り巻き的フォロワーグループの人々の特徴は

1.自分では何の取り柄もない社会的な落ちこぼれであると思っている。
2.自分自身には何の取り柄も見いだせず、存在価値も感じられない為、せめて自分が属している民族と国家は最高のものであると信じ、また信じたいと思っており、その最高の民族又は国家の一員である自分と言うことに自らの存在意義を感じようとしている。
3.自分の民族・国家に属さない自分達に似てはいるけど異質な人々を徹底的に貶めて罵倒し彼らを排除するための活動に生きがいを見出している。そうすることで、自分の存在意義を実感しようとしている。
4.一方的で短絡的な思考にしか慣れておらず、多角的な物の見方をしようとしないので、全うな議論や話し合いをしようとはせず、自分達に同意しない者はことごとく全員問答無用に自分たちが卑下している民族や国に属している者として、罵倒を繰り返すだけで聞く耳を持たない。
 
 今の日本には、我々の予想以上にこのような人々が溢れており、今回の凄惨な事件にしても、犯人がやったことはもちろん非難するにしても、言っていることには一理あるなどと内心思っている人も少なくないようです。
 僕は今回の犯人の悪魔の様な所業はもちろんのこと、彼の主張に同調する人が少なからず居るという事実に愕然としますし、彼らこそが日本の将来に大変な悪影響与えかねない可能性を秘めていることを考えると暗澹たる気持ちになるのであります。