火山学会誌の昨年最終号の案内があったので見ると、守屋以智雄先生が昨年6月に88歳でお亡くなりになったとのことで4人の方による追悼文が掲載されていた。

 

守屋先生は金沢大学へは1980年に赴任され2002年まで勤められている。文学部におられた守屋先生は時々理学部の山崎正男先生のお部屋に来られて話しておられることがあった。山崎先生は成層火山の活動史の調査を男体火山群、立山、白山、等されていて、成層火山全体の地形発達史に取り組まれていた守屋先生とある意味問題意識に共通のものがあったのだろう。また山崎先生のお父上は自然地理学の泰斗である山崎直方先生で守屋さんの分野の大先輩にあたる。

 

追悼文は、奥野充、小林哲夫、井上素子、西村智博の4名の方々がそれぞれの受けた印象を綴っておられるが、「細部のみを調べても全体は見えてこない」や「はじめに『手段』を与えると、先入観で物事を捉えてしまい真理には近づけないと考えられていたようだ」など、印象深い。

 

私は1983年の東大出版会「日本の火山地形」はすぐに読んで成層火山の発達史のモデルが印象深かった。火山学会の巡検でご一緒することもあったが、最近になって、花崗岩体に関するレビューを書く時に思い出して、深成岩体が成層火山の発達史の各段階で異なった深さで貫入した可能性を考え守屋(1979)地理学評論を引用させて頂いたりした。長年独自の研究を進められた守屋以智雄先生へ哀悼の意を捧げます。

 

1974.9火山学会巡検樽前山で。

 

ps このブログでも検索してみたら6件、守屋先生の仕事を引用していた。思った以上に影響を受けていた。