静岡でのスコリア酸化実験がうまくなかったので、残っている気になるテーマは雲仙火砕流の問題。このテーマを考えるのに太田一也さんの回想録は読む必要があると思い取り組んだが、何せ425頁、各頁1800文字で図表が多いとは云え時間がかかった。読み始めが12月25日で、途中少し休みが入って読み終わりが1月29日。
今回、御本を読んで一番印象的だったのは、人間関係。太田先生は、地元の人々、首長(知事・市長・町長)と役所、自衛隊、気象庁・噴火予知連、等の要におられて警戒区域・避難勧告地域等の決定・変更等に当たっておられた。特に自衛隊との協働観測体制・大火砕流での事故対応等は印象に残った。
1 マグマの胎動始まる(p.9-15)
2 マグマの胎動第二段階へ (p.16-21)
3.普賢岳噴火ーその推移と防災への対応ー
3.1 噴火への助走始まる(p.22-29)
3.2 噴煙立ち昇る(p.30-64)
3.3 溶岩ドーム成長へ(p.65-168)
3.4 溶岩ドーム成長劇的な復活(p169-205)
3.5 溶岩ドーム成長形態の変貌(p.206-243)
3.6 溶岩ドーム沈降へ(p.244-275)
4. 闘いを終えて
4.1 変貌した山頂部や被災集落(p.276-279)
4.2 なぜ死者が出たのか!(p.280-299)
4.3 大惨事後の防災意識の変化ー死者が出ないと目覚めない!(p.300-303)
4.4 行政機関の危機管理とその変遷(p.304-317)
4.5 自衛隊の特異な活躍ー外部から複眼的にみた実態ー(p.318-337)
4.6 島原温泉病院の規範的危機対応ー機器管理 看護婦主導!ー (p.338-340)
4.7 気象庁と火山噴火予知連絡会の防災への対応ー防災への関与徹底回避ー(p.340-341)
4.8 噴火予知はどこまで出来たのか?(p.341-342)
4.9 火山学的新知見(p.342-356)
5 余韻残る終息から退職まで (p.357-377)
6 余生漫然(p.378-424)
あとがき(p.425)
文献(p.426-430)
年表(p.431-434)
1991年6月3日の大火砕流で43人の犠牲者が出たことについて、避難勧告が出されていたのに現場に立ち入った人々が犠牲になったが、やはりモーリス・カテイア・クラフト夫妻(とグリッケン)が専門家として立ち入っていた事が大きかったように思うのだが、それについて、中田節也さんが太田一也教授退官記念文集に書かれた文章が4.2に引用されており印象的「6月3日の事件は、起こるべくして起きた。しかし、死者に鞭打つのも何であるが死んだ3人の外国の火山研究者の責任は重い。もっと酷ないい方をすれば、なぜ自分たちだけで死んでくれなかったのか。彼らも火砕流の本当のことを知らなかった。」。多分、世界の火山学者の大半がこれに該当するように思った。
太田一也先生は昨年1月に90で亡くなったが、これだけ詳細なまとまった資料を遺され、されるべきことはなさったと思った。ご冥福をお祈りいたします。