ネパールの人達の暮らしが変わるにつれ、
お金しか見えない様になってしまう背景には、
物質的に豊かになりたい、という先進国への強い憧れがあるのだろう。

日本はアジアの中でいち早く先進国になった国であり、
日本人はお金持ちで、ネパールの人は皆、羨ましんでくる。

日本に行きたい、働きたい、留学をしたいという人はアジアにたくさんいる。
ネパールの街中には、日本語学校や留学斡旋会社をたくさん見かける。

また、日本人と結婚したいと望むアジアの人もたくさんいる。

ポカラのホテル(という名のゲストハウス)に泊まった時、
そこで働く17歳の男の子と出会い、話をしていると、
日本の17歳とは驚くべき環境の違いがあることが解った。
彼は貧乏な家に産まれ、13歳の時からこのホテルに住込みで働いている。
外国人がたくさん泊まる宿なので、英語の日常会話はできるが、
ネパール語のライティングは出来ないと言っていた。
まともな教育を受けられなかったんだと言う。

さまざまな国のお客さんと話していると、自分と旅行者の仕事や給料の違いや環境の違いをまざまざと知ることになる。
仲良くなって、メールアドレスを貰うことがあるけど、彼はメールアドレスを持っておらず、
「作り方を教えてほしい」というので、作ってあげた。

日本の17歳なんて当たり前にケータイで友達とメールしたり、インターネットで検索したりするというのに、
彼はまだ、e-mailの出来ない通話とSMSだけの携帯電話で、しかも壊れて新しい電話も買えないでいた。
どれだけ給料が安いのだろう?

将来の話をすると、18歳になるとサウジアラビアの国などに行き、出稼ぎをすることになりそうだと言う。
もしくは、母親が軍隊に入ってほしいと言うので、そうしたいが、バカだから無理と言い、悩んでいた。

日本やアメリカ、オーストラリアなどの海外に行ってみたいけど、ビザが簡単に取得できないらしい。

実際、ネパール人は本当にビザがとりずらい現状がある。
例えば日本に友達でもいれば、そのつてで観光ビザが取れたりするが、二回目の来日までは14日間の滞在と決められているらしい。
留学ビザを取るには、一年間の留学料金だけではなく、貯金残高がある程度無いと(学校によると思うが)信用されず許可が降りないため、それなりのお金が掛かるし、
労働ビザを取るにしても日本語が出来なければ働けないし、難しい。

日本人なら日本のパスポートをもっていれば、海外の好きな国に行くことは大抵可能である。
お金が無い学生でも、日本で何かのバイトをすれば、海外旅行するくらいはすぐに稼げるだろう。
小学校から中学校までが義務教育だが、ほとんどの人が高校までは学校に通うし、
識字率も100%だ。

日本で生まれたら当たり前な環境も、
所変われば全く別な立場になる。

ネパールの人が日本人を羨む様に
生まれながらの不公平があることは認めざるを得ない。


しかし、宿に住込みで働く彼と話していると、
自分がダメな理由をバックグラウンドのせいにし過ぎている点も否めなかった。

学校に行けなかった環境を言い訳にして、勉強が出来ない事を強調し、
「自分はこんなだから何もできない。」
と何度も口にしている。
かといって、読み書きの勉強をしている様にも見えない。

また、日本人の私に、「僕を海外に連れていって仕事を紹介してほしい」
と言ってきたりする。

どうしようもない状況を自分で切り開こうと言うよりは、
何と言うか、ツテやコネ便りで、何とか楽に切り抜けたい本音がある様にも伺える。


彼にFacebookのアカウントを作ってあげたとき、
彼が希望した「Summit Nepali」という名前を入力すると、
そのアカウントの人がたくさんいるではないか。
なぜかと言うと、
皆、本名を知られたくない人達なのだ。

ネパールは今でも残るカースト制度があり、
苗字によって職業や身分、その人の素性が解ってしまう。

彼の様に、苗字を知られたくない人もいれば、
一方、自分の苗字が昔王族だったなごりという人達であれば、
苗字を名乗るだけで信頼性があり、暮らしに困るほど貧乏でなかったりする。
シェルパ族の様にヒマラヤの高地に産まれた登山ガイドの人達は
「シェルパ」という自分の苗字を堂々と語る。

…その逆もしかり。
そのため、苗字を語らない人達がいるのだ。

外国人からしたら、誰も彼もネパール人だが、
ネパール国内では、その差別的な目線が強烈にあるのだ。

そのせいで、彼の中には深い劣等感があるのだろう。
それが、彼の中の「自分はダメだ精神」に繋がっていて、
また、「現状は変えられない」という固定観念も根深いのかもしれない。

彼の様な立場の少年に出会うと、
どうしても先進国の人は、
「発展途上国の人にチャンスや機会を与えてあげたい。」
という気持ちになり、お金を寄付したりすることが多いいのだが、
彼の事を知れば知るほど、私にはしっくりこなかった。

というのは、与えてあげたい、という立場であるかぎり、
上下関係は自然に成立し、
その行為は全て、「helpする」と言うことになり、
彼の持つ劣等感の解決にはならないからだ。


産まれた国と環境によっては
私もこすっからいインド人商人になっていたかもしれない。

世界は国境で分かれていて
その線のどっち側で産まれるかによって
人生がガラッと変わってしまう。
それは自分では決められない。


ネパールなど、特に貧しい国の人達は
大なり小なり劣等感を抱えているのだと思う。

それは、上下関係で分けられた国境があるかぎり無くならないのかもしれない。

金や権力を基準にすると、そのピラミッドでいう底辺の人達は、どうしても不公平な思いをする羽目になる。

ただ、なにがあっても公平なのは、
もともと備わった身体や脳ミソは同じ人間であり、
信念や考え方までは拘束されていないということ。

たまたま先進国に産まれた日本人として、
盲目的に援助や寄付をするのではなく、
国や本名に関わらず、
ひとりの人間、一個人と対等に話せる価値観を
自分の中に持つことが大切なのではないか、と思う。

知らず知らずのうちに身に付いてしまう価値観によって
偏見の目や分け隔てる心が生まれるからだ。

いくら大気汚染で空気が濁って遠くが見えなくても、
その奥には変わらずにヒマラヤが在り続けているように、
人々の心の中に元々ある、在りのままを見る目を濁らせないように生きよう。