面接される側ではなく、する側の意識 | 走って撮って心理学

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 僕は仕事で採用面接や人事考課面接に立ち会うことが多いです。最近、一つの傾向があることに気づきました。それは、面接される側ではなく、する側の意識に ついてです。

 面接は、いくつかの項目を5段階の基準で加点する絶対評価なのですが、過去に自分が苦学したとか、ふびんな環境でもがんばってきたという思い が強い上司ほど、自分の価値観に囚われて、自分との相対評価をしてしまう傾向があるようです。

 これは上から目線ですね。仕事では上司であっても人としては 対等なのに。そこを見落とすから、パワハラやセクハラを起こすのだと思いました。
 若い頃、自分が苦労しながら頑張ってきたことは、立派なことに違いありません。しかし、それに囚われて、未だに人に対しても、その思いが強すぎるのは、 幸せなことではないような気がします。

 若くして出世した時は、周りも褒めてくれたかも知れません。しかし、今はその地位もあたりまえになって、日頃の人と の対応に、どこか横柄で、自分で自分を寂しい存在に追いやっているのではないでしょうか。周りが何も言わないのは、厄介な人間と思われているからなのかも 知れません。
 親や環境を選んで産まれた人はいません。そこで育ち、成長し、やがて、自分の意志を持ち生きてきたのです。出会いと別れがあり、皆、老いていく…。病気 もする…。

 過去の自分に囚われてばかりいると空虚な心が大きくなります。埋めきれない不安に苛まれます。できることなら、あれもこれも受け入れるくらいの 気持ちになって、自分の心を見つめ直したほうが、これからの人生、幸せな気持ちで過ごせるように思うのです。