福留真紀 『将軍側近 柳沢吉保』 を読みました。
この書は、最近見直されている生類憐みの令の内容や将軍 徳川綱吉についてと
関わる柳沢吉保の実際はどうだったのか。
残る文書もんじょなどの書き物から探る人物像です。
山梨、甲斐で武田信玄時代やその後の信濃を読んでいると
武田の土地の中から
柳沢が出てきて、柳沢吉保につながり荻生徂徠の紀行をみることができました。
すると、どうも荻生徂徠の嫁さんが亡くなったところで
元気のない徂徠に柳沢吉保が、甲斐の領地の柳沢発祥の地をみてくるように
転地効果を施したのではないかという旅行心理学的な命令を与えた。
と、私は読めたので、そこで柳沢吉保という人物は人の上に立つ者として
考えるところがあったのだろうと思うわけで。
戦の無くなった江戸の支配階級にとって
地位を維持することを守ろうとすると
あっちに見せる顔とこっちにみせる顔。
上の人間が変わったことに合わせて、どちらに頭を向け
足を向けるか、風見鶏として気を使わなければならなくなった。
農民たちはどうか。
江戸も時代が安定するごとに、納税分のコメの割合も少なくなってきたり
出労の賦役も道路普請などに限られてくると
おかしな役人でなければ、残る収益や副業での生活の少しの余裕も
できるようになったかもしれない。
武家はどうだったのだろう。
石高が増えるとして、その領地とされたところの
ひとびとの暮らしについて、どれくらい考えていたのだろうか。
興味が湧いてくる。
荻生徂徠 (河村義昌 訳注) 『峡中紀行 風流使者記』 雄山閣 1971
速水融 『歴史人口学で見た日本』増補版 文春新書 2022
同著 『近世農村の歴史人口学的研究』 東洋経済新報社 1973
平山優 『天正壬午の乱』増補改訂版 戎光祥出版 2019
福留真紀 『将軍側近 柳沢吉保 いかにして悪名は作られたか』 新潮新書 2011


