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日本がつまんない?!んなわきゃ!

=== このブログを本棚にして、読んでみた新書を並べてみましょう。===

西垣晴次 『お伊勢まいり』 を読みました。

この前、御杣始祭(みそまはじめさい)が長野県の国有林にて行われ、
御樋代木奉曳式(みひしろぎほうえいしき)で切り出したご神木が内・外宮へ運ばれた。

20年に一度の式年遷宮祭の始まりをニュースで知り、

伊勢神宮崇拝について考えてみたくなった。

 

いくつか新書などを読んでみたいと思う。

読んでみるとなかなか、目から鱗が落ちる感じで面白い。

天皇への崇拝のようなところは歴史や文化についてはつい最近のことで

明治時代から第2次世界大戦の敗戦までの異常な時代の色だということが分かる。

 

どうも、信州 木曽の木を選んで、伊勢神宮に使うのは、江戸時代くらいからのことで

伊勢の周辺の森から木を選んでいたところが変化した歴史があるようだ。

 

伊勢神宮への参拝が日本にとって農業の神様、稲作の神様であったこと。

幕府というか、政府というか権力によって参拝を強要されたことはないということ。

そのうえ、明治時代の前には、天皇自身も参拝していなかったとのこと。

参拝という名のもとに、むらから旅に出る、成人する、大人になるなどの節句のようなこと。

見聞を広げる、農業の情報を得るなどの人間的な「自由」の一時的獲得。

 

長い伊勢参りの歴史の上で、羽目を外す参拝客がいたことでしょう。

現代の観光政策に反映できる旅行者への行動の教示やルートの提示など

ありそうだと思いました。

伊勢神宮の内・外宮の中は外国人でも霊験、なにかしら感じるものがあり

大丈夫かと思うけれど。

日本国内町場、通りでコンビニで購入した飲料の飲み終わったものを置いていくような感覚。

他人おうちの私有地に入って、写真を撮っているとか。

日本人の酔っ払いも同じなんだけれど。

 

日本人もコンビニで購入したもので、食べ終わったゴミを

車の窓から道路の端へ投げていく輩もまだまだ、若者から年寄りまで存在している。

どうしたら家に持ち帰って、分別して、指定のゴミの日に出すのが自然とできるか。

 

地方の在り方も観光とまではいかなくても、

訪れてくれる人たちをみんな、いい気分で受け入れたいところなのだ。

 

 

松本清張『昭和史発掘』4 文春文庫 2005

宮本常一 『伊勢参宮』 現代教養文庫 1971

同著 『忘れられた日本人』 岩波文庫 1995

 

西垣晴次 『お伊勢まいり』 岩波新書 1983

高牧實 『 宮座と祭』 を読みました。

この書は、宮座という神社やお寺の祭を行った集団が

村の行政、統治というようなこともしていたのではないかという

村の始まりについて考えられる。

 

日本の村、むらの始まりとして

定住と田畑による生産、保存、その経験の継続、継承などを

探ることは、古文書などを読むことで

知ることができそうだ。

 

集団がどのような集団だったのかを知るにはそれを表わす証拠が

遺伝子配列のようなことになってくるだろう。

 

最近では、人口減少や都市部への人口流出に関係して

地方や都市部にしても、集落の日常について参加する人口が限られてきている。

現代は、税金を国家が集めて、一度集めたものを政策によって

地方行政に分け、また個人よりも自治体から集落へ使用目的によって分けられる。

 

この書を読むと、集落を形成する一定の人数のなかで

首長になろうとする者は、それなりの奉納が可能で、また祭や行事を主導して行う。

奉納ができなければ、集団から追い出されるというようなところは

階級制度とはいえ、厳しい集団形成だと思える。

 

地元の行事や集落の自治について

どのような権限でなにを決め、なぜ参加するべきなのかも

疑問を持つ住民もチラホラ現れている。

勤めている会社関係が社会で、一般に警察や役所などが税金で

河川や道路なども整備するのが道理ではないかとの考えがある。

 

国家が社会保障制度で取って代わった時代。

村のためとも、国のためとも、戦争への関与までもが私たちに関わってくる。

とはいえ、平常時に、世の中がうまくいっていたり、

旅行に行くと不利なこととして、

他地域の人間だからと区別されることが少ないこともある。

 

国家制度において、守りたくなる国家なのか。

地方制度において、参加したくなる地域なのか。参画したくなる雰囲気なのか。

考え方をもつにはどのように住民が住んでいる地域と関わっているのが良いのか。

日本食と集落の関係などを考えながら、

むらの起源は、面白いかもしれない。

 

 

枝廣淳子 『地元経済を創りなおす』 岩波新書 2018

河合悦三 『農村の生活』 岩波新書 1953

神崎 宣武 『日本人の原風景』 講談社学術文庫 2021

並木正吉 『農村は変わる』 岩波新書 1961

速水融 『歴史人口学で見た日本』増補版 文春新書 2022

同著 『近世農村の歴史人口学的研究』 東洋経済新報社 1973

平山優 『天正壬午の乱』増補改訂版 戎光祥出版 2019

マルク・ブロック (河野健二/飯沼二郎 訳) 『フランス農村史の基本性格』 創文社 1980

保阪正康 『五・一五事件』 ちくま文庫 2019

横山十四男 『百姓一揆と義民伝承』 教育社歴史新書 1977

 

高牧實 『 宮座と祭』 教育社歴史新書 1982

横山十四男 『百姓一揆と義民伝承』 を読みました。

この書は、江戸時代を中心にした農民一揆というものがどのようなものなのか

紹介し、農民の精神文化として、権力への申し立ての村の伝統化というようなところに

近代政治的思惑もあって考察を繋げ、農村のなかの学習能力について考えさせられる教本。

 

農民は、年貢を取られる、現在でしたら国民は税金を取られること。

現代では国民みんなから税金をとっているという面は違いがありますが。

その税金が生活上の収入と合わない経済状況や江戸の名主などの中間媒体により

割に合わない搾取をされているということを訴える、その代わり、

代表者は命と引き換えに申し立てる時代だった。

 

近年では百姓一揆の研究は廃れたと言える。農民という職業カテゴリーになり

士農工商などの階級は、金銭によって図られる、金持ちや低所得者のような分析対象となり

仕事によっては、一人の人間が生活支援を受けたり、急に成功していろいろな組織の社長業というような

職種につき、経済的に豊かになることがある。

 

江戸の農民は、基本的には農民から抜け出すことは稀だったろう。

この命を懸けた申し立てを世代を経て、学習し、

村のために伝説を実行に移す人物が現れる、犠牲を必要とする時代だったのだ。

 

ここ最近、ようやくコメの値段によって現代農業の問題性が明らかになっている。

名主に代わる、中間業者による市場での商品流通コントロールのような形。

農家にも国家にも、わからないブラックボックスの市場コントロールがある。

命を懸けて、市場の仕組みを変える農業者は必要か。

中間業者に就職して働いてしまうと、モノの価値がわからなくなる。

買値と売値の商品流通の差額によってモノの価値を計ってしまうのだ。

分業社会の悪い部分として、貨幣、デジタルで生活費を稼いでしまうと

土地と天候と共に生命の根源を作り出す過程について

まったく感覚を持たない人物、組織が中間にハビコッテしまう。

 

これが、石高を食んでいた名主、庄屋、武士階級の階級問題だったのだろう。

 

戦国時代までは、武士も作物を作っていたのではないだろうか。

現代も、デスクワークや政治家、研究者など土地での食物の栽培から離れた

職業に就きながら、汚れた仕事をしなくても生きていかれると

キレイなスーツを着込んだ多数の消費者社会では、コメや小麦の値段に関する不安定な

コントロールが行われてしまう投資、金融社会に

生活感の壁が立ちはだかって、壁の影で暗躍する組織が悪気もなく、経済の論理を盾に

自由経済の負の面を実行することになるのだと思う。

 

このようなことを、どのように改善させていくか。

知的な学習を生涯受ける機会を持つこと、そしてそれを実践する感覚を持つこと

を普段から、自己の「やり直す」ことができる人間になる習慣が必要だ。

 

枝廣淳子 『地元経済を創りなおす』 岩波新書 2018

河合悦三 『農村の生活』 岩波新書 1953

玉村豊男 『パリのカフェをつくった人々』 中公文庫 2012

並木正吉 『農村は変わる』 岩波新書 1961

速水融 『歴史人口学で見た日本』増補版 文春新書 2022

同著 『近世農村の歴史人口学的研究』 東洋経済新報社 1973

平山優 『天正壬午の乱』増補改訂版 戎光祥出版 2019

マルク・ブロック (河野健二/飯沼二郎 訳) 『フランス農村史の基本性格』 創文社 1980

保阪正康 『五・一五事件』 ちくま文庫 2019

横山十四男 『上田藩農民騒動史』 上田小県資料刊行会 1968
 

 

横山十四男 『百姓一揆と義民伝承』 教育社歴史新書 1977