
画像は部屋の窓から見える桜です。
今日は、日中暖かかったこともあって、一気に色付き始めました。
毎年思いますが、桜って柔らかい華やかさで心地いい気持ちにしてくれて、
自然の美しさとか季節といったものを改めて認識させてくれます。
地震後、なんだか沈んでいた気持ちも、少し元気づけられた気がします。
少し遅れていましたが、この春もいつもと同じように桜の花が咲くことで、
未来を感じさせてくれてるように思えます。...少し大げさですが。
例年なら、各メディアもこぞって花見の特集をしている時期ですが、
今年は、声を荒げて、花見(宴会)の「自粛」を訴えている人たちが少なくなく、
また、都内各所の著名な公園もそれを受けるかのように「自粛」を掲げ、静かなものです。
しかし、「自粛」は誰のため、何のためにやるのでしょうか?
「自粛」することで、誰にどういうメリットがあるのでしょうか?
もちろん、被災された方々への気遣いという思いは理解できます。
でも、その気遣いで被災した方々を助けることはできません。
被災地の方々が今本当に欲しいのは、気遣いよりももっと実質的なものなのではと思います。
「宴会をやってたくさんお酒を買って下さい!」
とネット上で訴えている被災地の酒蔵の方の書き込みを見ました。
これは一例ですが、直接手を差し伸べられないのなら、ただ気遣うよりも経済を回すことの方が
よほど支援をすることになるのではないでしょうか。
先月、日本人の気質、日本人としての素晴らしさを書きましたが、
この「自粛"ムード"」になびく人たちを見ていて、
今度は、日本人のダメなところを目の当たりにしている気がします。
横並び意識というのでしょうか、自分は悪者になりたくない、批判されたくない、
悪く言われないように他の人の行動に合わせよう...といった感じに取れます。
そして、こういう人たちが、水やトイレットペーパーを買い占める人たちでもあります。
これは、電車やバスの「優先席」という存在と似てるなぁと感じました。
そもそも、席を譲るという行為は、誰かにルールを作ってもらわないとしないような
そんなことではないはずです。本来、「優先席」などなくても譲るべきものですよね。
そして、そういう人たちは、「優先席」に座らなければ譲らなくてもいいと思ってますから、
「優先席」が空いていても滅多に座りません。
一方、いつでも譲る意識がある人は、他の席が空いてる空いてないに関わらず
「優先席」にも抵抗なく座ります。...必要があれば譲ればいいのですから。
それでも、「自粛」を疑問に思っている人も少なくないようで、
節電モードの月明かりでの花見を静かにやっている人もいらっしゃるようです。
なんだかんだ言っても、東京近郊の人たちも地震の恐さは十分に味わいましたし、
被災地の人たちのことが頭にある以上、
何も言われなくてもバカ騒ぎはできないように思います。
今はただ、桜の花に未来を感じ、希望を見出したい...そんな思いです。