Startin' over… -93ページ目
夕方近くに起きた。


今から行けば、4限のコンピューター入門には間に合う。


どんよりとした空が広がっている。


適当な格好をして、コーヒー一杯飲まずに家を出た。


商店街を歩くうちに、ぽつぽつ雨。
すぐにドシャ降り。
感情のすべてを隠してくれるように、もっと降ってほしい。


空いている電車、空いているバス、山道を抜け、キャンパスに降り立ったとき、昨日のことがフラッシュバックした。

奴に出くわすのが嫌で、あえて対岸にある経済学部の喫煙所に向かった。


携帯を開くといつも一緒にいる友達からのメール。仲間内全員に送られている。「席とったよ!」
「2限の出席カードもらっておいて」
「私のもお願い~」
「お昼どこで食べる?」
私たちの毎日が、そこに凝縮されていた。
眠ったりぼーっとしてた時間に、日常は日常のまま流れていた。


飲み屋にいた時から何も胃に入れていない。
授業に行くのをやめて、学食に向かった。


こんな時間に一人で食べるというのも、たまには悪くない。


もう一度携帯を開いた時、沙那さんからのメール。
慎吾はいつも電話に出ない。
代わりに、いつも出てくれるのは、留守電サービスの女性の声。


それでも、愛してくれてるから、耐えられた。

だけど今日は、感情のままに当たり散らしたかった。ストーカーのように、また自分のことしか考えずに、何度も何度も電話をかけて、彼を起こした。
慎吾は起きてくれる、奴と違って。
包まれたような気分。
涙が出た。

「なした?」
私の話を聞いてくれた。
すべて。
深夜2時半。


慎吾は私と奴が結ばれたと知った時、正直にジェラシー、と言った。だが奴に甘えろ、大切にしろと応援してくれた。


電話してから行くべきだったな、もう一度電話してみれ、そう言われた。


私は断った。
精神異常者みたいだ、そう言った。
奴が私にするように、どんなに私がひどい言葉を使おうと、慎吾は受け入れてくれる。
たった一人の甘えられる人。
だけど私のものにはもうなりえない。
慎吾みたいになりたかった。



慎吾の穏やかな声と心になだめられ、電話を切った。




私は異常だ。
奴の家にまた向かった。
慎吾に電話することで、そうする大義が欲しかっただけなのでは?
卑怯だ。


ただ、自分が、慎吾にされていたように、奴に、強い腕で抱きしめられたかったから。



こんなじゃ奴を支えられない。
だけど同時にここまでして会いにきた私に気付かない奴に対し、自分勝手な苛立ちを覚える。



したいって言ったくせに…。



やっぱり結果は変わらなかった。


奴は心地好く眠っているんだ。




歩いた。


一匹の白い猫。
まだ若いのだろうか?

親しげな視線で私に寄ってくる。


しばらく対面しあう。

細い声で泣いている。


この子は一人なのだろうか?


やがて細い柵の間をすり抜け、どこかに行ってしまった。



奴は言っていた。
猫のように、フラ~っとどこかに行ってしまい、寂しくなったら寄ってくるような女が理想だと。


だから、慎吾にしたように甘えちゃだめってずっと心に決めていたし、呼ばれない限り会いにも行かなかった。


でも今は…




歩き回った末に古びた駐車場を見つけた。
誰も使っていなさそうなスーパーハウスの手前の、コンクリートに腰を下ろし、感情が込み上げてくるのを待った。



午前3時、声を上げて泣いても誰にも気付かれない時間。
このまま朝までいてやろうか?

ボロボロになった姿を見せてやりたい、そんな気持ちにもなった。


一限開始まで、あと6時間。
ここに居座り、昨日と同じく服で、学校に行くのだろうか?メイクも落とさずシャワーも浴びず。




泣くのをやめてしまったら、歩きだしてしまった。
数時間前、電車からわくわくした気持ちで見てきた景色を逆方向に進む。









足の痛みも麻痺し、大名行列の一員になったつもりで甲州街道を東に向かう。
先人はどんな思いでこの道を歩いていたのだろう。
安政の時代からある商店。心震わされた。
その時の私の故郷、開拓はされていなかった。
異国にいるような気分。
たかが家までの距離なんかで…





結局その日、私は誰一人に連絡せずしてすべての授業を休んだ。

奴に会いたくなかった。
会いたくなかった。
会いたかったけど、自分が惨めすぎた。
私が家をもっと早く出ればよかったの?
いや、早く出たよ。

こんなに早く寝付いてしまうものなの?


ドアの前に立ち尽くす。


帰ろうか。



でも、奴はしたいって言ってた。



電話する?



起こしちゃう。
迷惑だよ。





奴は甘える人が欲しかった。


こんなじゃ、私が執着している。




自分が嫌い。大嫌い。


なにやってるんだろ。



駅まで引き返す?
帰路が遠く感じる。


もう電車は無いんだ。

徒歩で帰る?
ヒールが擦り減るのは嫌。


そんなことより、



私に触れて。



お願い、泊めて。



私はここにいるの!
気づいて、ここにいるの!お願い!




心の中で、何度も奴の名前を叫ぶ。
だけど声にならない。



ドアを叩く。
でも強く叩けない。



原チャが通る。






開けて。
会いにきたんだよ。




ドアを隔てて数メートル先のところに奴がいる。
触れたいのに、触れられない。



こんなに近くにいるのに、奴は知らない。
ここにいること。
私がいること。





だけど、自分のわがままが勝って、電話をかけてしまう。



タクシーが通る。





虚しく響く着信音。






お願い出て。







私に気付いて。






端から見たら、人ん家の前に長時間突っ立った不審者。ストーカー、別れを受け入れられない元カノとしか思われないだろう。
こんな深夜に。
警察に通報されたっておかしくはない。





びっくりさせたかった。




そんな言い訳通用しない。





奴に、気持ち悪がられるんではないかと怖くなった。そして嫌われるんではないかと。



自転車が通る。




近所迷惑になるから、ドアも強く叩けない。



なんて愚かなんだろう。



ここにはもう立っていられる場所は無い。



奴の家を後にした。

周辺をぶらぶら歩く。

誰もいない。





公園までやってきた。

ベンチ?

誰かが寝ている。

私に気付いたようだ。



サンダルに砂が入る。



どうでもよかった。



ここにも居場所は無い。





歩く。

住宅しかない。






一周した。


また奴の家。



呼び鈴を押してしまった。ドアノブを引っ張ってしまった。
ドアを軽く叩いた。
窓を叩いてしまった。

通行人と目があった。

電話してしまった。

ドアを右腕全体でおもいっきり叩いてしまった。



何も変わらなかった。

ただ、右腕の痛みが、骨まで伝わるだけ。



誰にも必要とされてない虚無感に襲われた。


私は、どこに…



また奴の家を後にした。

慎吾に、電話してしまった。