Startin' over… -61ページ目
今年もまた雨が降っている。
暗い昼間の部屋の中、白壁はほんのり青く見える。
呆然んと本棚を見つめ、視界がぼやけていくのを感じる。
わけもなく流れる涙。


努力不足にもかかわらず、志望校に合格した。
世の中何かおかしいと感じた。
一年の浪人の中で、過度の自己嫌悪と家庭不和で
自分が生きるに値しないと思うようになった。
すべてを手に入れた環境の中で、なぜ今こんなに自分を否定しなければいけないのか。
疑問に満ちた怒りに苛まされ、ますます慎吾に依存するようになった。
もちろん大学進学時には親と喧嘩した。
仕方なく受けたA判の国立大の試験では、下書き用紙に論文を書き、
名前も書かずに白紙の解答用紙を提出。不合格。
その時思った。
「最初から、私の人生の中に大学進学という選択肢は無かった。」のだと。
フリーターとなり、お金を貯めてすぐさま家を出た。

朝方、雨音は強くなり。
すべてを洗い流し、どうしようもできない感情を
洗い出すのが海から降る雨。

誰かを好きだと気付いた瞬間、ピストルで頭を打ち抜きたくなる。
どうしようもないほど相手を欲しがる感情が、身体と日常をむしばむ。
講師としての私を貫き、あいつが壊れるなら
私が壊れてあいつが笑っていられる方がましだ。
「どっち?」
教室の真下の信号を渡る。
土曜日。残っている生徒さんはほとんどいなかった。
故にお迎えの車もいないはず。
保護者や他の生徒さんに見られる可能性は極めて低い。

「先生どっちですか?」
「私こっち。」
暗い人通りの少ない道を指す。
「じゃ、おれもそっち。」
逆方向なのは知っている。
私でさえ逆方向。
お互いに遠回りをして帰ることになった。
お互いの人生を象徴しているのか?

いっしょに歩いている。
私服のせいか、少しだけ罪悪感は薄れる。

「先生、徒歩ですか?」
「うんそうだよ。」
「どのくらい?」
「20分くらいかなー」
もし家まで付いてきたらどうしよう。
10対0で私が悪い。クビになる。
なんて数分後の未来の心配は、排除した。

当たり障りの無い会話。
あいつのバイトの話、大学を辞めたときの話、フリーターになろうかと思ったときの話。
もっといい聞き役にはなれなかっただろうか。

「何にもなければ30くらいに死んじゃおうかなーって考えてた。」

自分の声のように感じた。
発したのはあいつ。
19歳のとき、私も同じだった。

「長生きしたくない。無駄に二酸化炭素を排出するなら
短い濃い人生を送って死にたい。」

無力感に苛まれていた。映画にも絶望していた。
詩に思いを吐き出し、荒い音に乗せ、雑音を作っていた。

その30まで私はあと3年しかない。

「意外に30までだとしたいことできないよ。」
そう言ってくれたのは高校の時の担任の女性の先生であった。
慎吾のおかげで私は志望の高校に合格することができた。
ただ望んだ場所で、望んだ以上のものに出会えたのに
家庭の問題もあり精神はぶっ壊れ続けていた。
身体も傷つけた。その痕跡は左腕に残っている。

ふとあいつの腕を見てしまった。
ここ数日暑いから、そでをまくり上げている。
細身だが引き締まった筋肉がついていて、美しかった。

「自殺願望あるの?」
触れたい衝動、身体を傷つけるな、と言いたいのを抑えて出たのが
その言葉であった。

「今は大丈夫ですよ。」
いつもの笑顔で返す。
安らぎは、痛みの根幹に迫ることではなく
楽しみを与えることによってしか生み出せないのだろう。

ただただ暗い通りを歩いて行く。
いっこうに別れる気配は無い。
当たり前だ。
意外とお互い家が近かったのだから。

「どっち?」
わざとらしく再度きく。
「私こっち。」
「俺もそっち。」

雨が降っていた。
ゆっくりと帰り支度をするあいつと、
大急ぎでデスク周りを片付ける私。

「上がっていいですか?」
室長の許可をもらい、教室を出る。
あいつも続く。
エレベーターではなく、灰皿が置いてある非常階段から帰る。
二人きりになった。

数日前、一服を終えて教室に戻ろうとすると
帰る途中のあいつと鉢合わせた。

「帰るの?」
「うん。」
教室ではできなかった、どうってことない会話を2、3言交わす。
途端に精気が無かった目が輝きを取り戻しいつものあいつに戻る。

「先生タバコ吸ってるんですか?」
「え、なんで?」
「だってちょくちょく外行くから。」
「ちょっと、誰にも言わないでね。」
「言わないよ。俺らの年だからわかることだよ。
小中学生はわからないと思うよ。」
それからあいつのバイト先の話になった。喫煙者が多いとのこと。
接客業なら当然だろう。まして居酒屋のキッチンならなおさら。

不覚にも、「喫煙」が私たちの間の唯一の秘密になった。

その事実にあぐらをかき、その日もすぐさまタバコに手をのばした。
「あたしここで吸ってから帰る。」
あいつも待ってくれた。
帰ってくれて構わない。
「喘息持ちじゃないよね。」
もうライターに火は着いている。

「これ先生の灰皿ですか?」
「ううん、下の階の人だよ。みんな自分の階で吸ったらお客様に
見えちゃうからね。」

「なんかね、バイト先のスタッフルームね、めっちゃ狭いんだけど
喫煙者に囲まれたら火事みたいになってる。」
目を輝かせながらあいつが語る。
また喫煙者つながりから、あいつが現役の時に通っていた塾の講師の
話になった。
彼も喫煙者であった。
私が以前使用していたコンビニの喫煙所を使用していたらしい。
皮肉にも、「喫煙」ネタで会話が広がっていく。

「絶対クビだよねー。こんなとこ見られたら。」
大きく煙を吐きながら言った。
あいつがキラキラした目で笑う。
醜いだろう。私のこの姿。
羞恥心ゼロでさらけ出す。
生徒の前での喫煙。
一方のあいつは先ほどの講師とごはんを食べたり、サッカーをしたりなど
もちろん連絡をとったりなど極めて近い距離にいることに抵抗は
無いらしい。ただ男性講師とだ。

「いいよねー、男同士だと。」

あいつはどう受け取ったのかは知らない。
特に意味は無い。
4年続けてきた中での唯一の苦情は、
男子生徒とたまたま帰る時間がいっしょで、下の階までいっしょに出てきたことだ。
後日母親からクレームが来た。
新人の頃だった。
「いっしょに帰っているように見えた。」

それから帰る時間は生徒とずらし、男子生徒とはエレベーターにいっしょに
乗らない。
スカートをやめパンツスーツに。
長かった髪は束ねた。
一方では男性講師と男子生徒が、いっしょにコンビニに行く、いっしょに
帰るというのは何のおとがめも無かった。
それを見て純粋に羨ましく思ったこともある。

それに比べれば、今私がやっているのは確実に逸脱行為だ。
しかもとりわけ大事な生徒さんと。

いっしょに階段を降りる。
雨が降っている。
傘が二つあるのが、もどかしかった。